主人が痙攣で倒れて動けなくなってから、2ヵ月...。
病気の進行を止めることはできませんでした...。
先生が言った...。
話が出来る時間はそう長くないから、なるべく家族の時間を大切に...って。
本当にそうでした。
なるべく早く、なるべく多くの時間を自宅で、子供たちと過ごせるように...、
それは、主人の願いでもあり、子供たちがお父さんの病気、現状を受け止めるための準備でもあると、考えたからです。
子供たちには、この先のことを、はっきりとは言えませんでした...。
あと、どれくらいなのだと...言って、そのあとのフォローをする自信がなかったからです...。
でも、緩和ケア病棟に入ってから、一時退院をするよ...ってなったとき、やはり、子供たちにはしっかりと話しておいた方が良いだろうと、先生や師長さんの勧めもあり、子供たちを支えるために、心理の先生も入ってくださいました。
家に帰ると言っても、良くなって帰るのではないと言うこと...。
もう、そんなに時間はないんだ、と言うことをちゃんと知らなければ、子供たちの意識の中では、あやふやなままになってしまうだろう...。
せっかく、お父さんとの大切な時間をより、大切に過ごせるように、もう、中学生の子供たちには分かっておいたほうがいいのだろう...。
その方が子供たちも、もしものあとに、後悔することは少ないのかもしれない...。
でも、私からはやっぱり言えない...。
先生が、優しく、話してくれた...。子供たちの反応を見ながら...。
子供たちは、ちゃんと、聞いている...。
私が思っていたより、大人なんだな...。
子供だとばっかり、思っていた...。
私は子供たちが悲しむのが怖かった...。
でも、結局は、子供たちも、はっきりと説明してもらって、どこか、スッキリしたみたいだった...。
「お父さん、あと、どれくらいなの?」
「そっか、でも、お父さん、頑張ったんだね...、悪いことじゃないんだね...」
って、長男が言った...。
ホッとした...。
それからというもの、お父さんにかける言葉のかけ方が、変わった...。
ちゃんと、目を見て、「お父さん、学校に行ってきます」って、3人の子供たちがしっかり、伝えていた...。
この瞬間が大切なんだと実感しているみたいだった。
それまでは、
お父さんの病気、悪いものなんだけど、どこか、良くなるんじゃないか...、
悪くても、このままの状態でいられるんじゃないかと思っていたようだ...。
私も、主人にしてあげられることを出来るだけしてあげようと思った。
子供と一緒に手浴、足浴、ある日は、学校を1日休ませて、お父さんの全身のお世話などもみんなでやった...。
子供たちには初めての経験...。
でも、それも、お父さんがそうやって、教えてくれている...。
2回目の一時退院の時は、もう、状態があまり良くなくて、2日目までは良くて、長男がマッサージをしてあげたり、末っ子は、自ら、お父さんのベットの隙間に潜り込んだり...と….。
でも、3日目から、熱が出てしまい、4日目には、病院へ戻ることになった。
1回目の退院よりも、2回目のほうが、家にいられる時間は短く、状態もあまりよくない...。
そんな様子を子供たちも、見て、分かっている...。
嫌がおうにも、徐々に受け入れざるを得ない...。
結局、熱が下がらず、
入院した次の日から、私は泊まり込むことになった...。
そんなこともあり、徐々に不安定な状況となり、最後を迎えました。
私は、最後の最後まで、主人の呼吸が楽になるように、体の向きを変えたり、関わることができました...。
特に最後の2ヵ月は、ずーっと一緒にいられたし、してあげたいこともしてあげられたし、私の悔いは病気な対する思いだけです...。
でも、泣きません...。
泣いたら、主人の無念さが増すのだろうと思うからです。
こんなに頼りない私を置いていったことをきっと、心配しているはずです。
でも、そばにいてくれるんだろうとも思っています...。
寂しさはありますが、いつの間にか、いつの間にか、強くなっているみたいです...。
前を向いて、歩くしかないです。
子供たちも、なんとか、頑張っていけるような気がしてきました。
病気の進行を止めることはできませんでした...。
先生が言った...。
話が出来る時間はそう長くないから、なるべく家族の時間を大切に...って。
本当にそうでした。
なるべく早く、なるべく多くの時間を自宅で、子供たちと過ごせるように...、
それは、主人の願いでもあり、子供たちがお父さんの病気、現状を受け止めるための準備でもあると、考えたからです。
子供たちには、この先のことを、はっきりとは言えませんでした...。
あと、どれくらいなのだと...言って、そのあとのフォローをする自信がなかったからです...。
でも、緩和ケア病棟に入ってから、一時退院をするよ...ってなったとき、やはり、子供たちにはしっかりと話しておいた方が良いだろうと、先生や師長さんの勧めもあり、子供たちを支えるために、心理の先生も入ってくださいました。
家に帰ると言っても、良くなって帰るのではないと言うこと...。
もう、そんなに時間はないんだ、と言うことをちゃんと知らなければ、子供たちの意識の中では、あやふやなままになってしまうだろう...。
せっかく、お父さんとの大切な時間をより、大切に過ごせるように、もう、中学生の子供たちには分かっておいたほうがいいのだろう...。
その方が子供たちも、もしものあとに、後悔することは少ないのかもしれない...。
でも、私からはやっぱり言えない...。
先生が、優しく、話してくれた...。子供たちの反応を見ながら...。
子供たちは、ちゃんと、聞いている...。
私が思っていたより、大人なんだな...。
子供だとばっかり、思っていた...。
私は子供たちが悲しむのが怖かった...。
でも、結局は、子供たちも、はっきりと説明してもらって、どこか、スッキリしたみたいだった...。
「お父さん、あと、どれくらいなの?」
「そっか、でも、お父さん、頑張ったんだね...、悪いことじゃないんだね...」
って、長男が言った...。
ホッとした...。
それからというもの、お父さんにかける言葉のかけ方が、変わった...。
ちゃんと、目を見て、「お父さん、学校に行ってきます」って、3人の子供たちがしっかり、伝えていた...。
この瞬間が大切なんだと実感しているみたいだった。
それまでは、
お父さんの病気、悪いものなんだけど、どこか、良くなるんじゃないか...、
悪くても、このままの状態でいられるんじゃないかと思っていたようだ...。
私も、主人にしてあげられることを出来るだけしてあげようと思った。
子供と一緒に手浴、足浴、ある日は、学校を1日休ませて、お父さんの全身のお世話などもみんなでやった...。
子供たちには初めての経験...。
でも、それも、お父さんがそうやって、教えてくれている...。
2回目の一時退院の時は、もう、状態があまり良くなくて、2日目までは良くて、長男がマッサージをしてあげたり、末っ子は、自ら、お父さんのベットの隙間に潜り込んだり...と….。
でも、3日目から、熱が出てしまい、4日目には、病院へ戻ることになった。
1回目の退院よりも、2回目のほうが、家にいられる時間は短く、状態もあまりよくない...。
そんな様子を子供たちも、見て、分かっている...。
嫌がおうにも、徐々に受け入れざるを得ない...。
結局、熱が下がらず、
入院した次の日から、私は泊まり込むことになった...。
そんなこともあり、徐々に不安定な状況となり、最後を迎えました。
私は、最後の最後まで、主人の呼吸が楽になるように、体の向きを変えたり、関わることができました...。
特に最後の2ヵ月は、ずーっと一緒にいられたし、してあげたいこともしてあげられたし、私の悔いは病気な対する思いだけです...。
でも、泣きません...。
泣いたら、主人の無念さが増すのだろうと思うからです。
こんなに頼りない私を置いていったことをきっと、心配しているはずです。
でも、そばにいてくれるんだろうとも思っています...。
寂しさはありますが、いつの間にか、いつの間にか、強くなっているみたいです...。
前を向いて、歩くしかないです。
子供たちも、なんとか、頑張っていけるような気がしてきました。