ケセラセラ通信日記 -37ページ目

無題

「いのち短し 恋せよ少女(おとめ)」という歌があったけれども(ゴンドラの唄)、そんなことを深く思う一日であった。以上。

出戻りヨーガ

「嫌われてはいないな」と思うと、調子に乗る。馴れ馴れしくなる。甘える。少々のことは許してもらえると思う。親しき仲にも礼儀あり、を忘れる。
そして失敗する。失敗すると、くよくよ気に病む。すぐに謝れば済むものを、妙に居直る。小心者のくせに頑固なのだ。
思えば、人との付き合いのなかで、そんなことを何度繰り返してきたことだろう。通い始めて1年を過ぎたヨーガ教室でも、そんな傾向が出始めた。はたから見ればたいしたことではなくても、後ろめたく思う。自己嫌悪に陥る。教室を休む。一度休むと、行きにくくなる。また休む。そんな悪循環と、実際に用事が重なったりして、また丸々2週間休んでしまった。日数にすれば、21日ぶりである。
「悪循環は、どこかで断ち切らねばならない。今日は絶対行くぞ」と決めて、準備万端おこたりなく、いささか緊張して参加。行ってみれば、しんどくはあったが、気持よく終われた。瞑想も、初めて集中できていたように思う。案ずるよりなんとかで、実践あるのみ! だと思った。

いつも感心するのは、指導者たちの変わらぬ態度だ。明るく軽やかで、わだかまりをもたない(こちらは小さなことにこだわっていたりするわけだが)。信仰をもつ人にありがちな、押し付けがましさもない(指導者たちの拠り所が〈信仰〉であるのかどうか、私には分からないが)。つまり、特に変わっているわけではないが、いつ会っても〈気のいい人たち〉なのである。これは、なかなかできることではない。そして、私はそのことに救われてきたのだと思う。

あんまりヨーガのことばかり書いても、読者は面白くなかろうし、どこまで伝わるだろうかとも思うのだが、私にとっては人生の大きなテーマであるし、そのことを今日改めて感じもしたので、記録として記しておきたい。

沈黙の恐怖

歩道を歩くときは、なるべく端に寄る。反対側に移るときは、後ろに注意する。わがアル中探偵マット・スカダーがそうするのは、不意に襲われることへの警戒からだが、私の場合はそうではない。自転車が怖いのだ。背後から音もなく近づいてきて、すぐ脇を猛スピードで走り抜ける。思わず「ウワッ」と声が出てしまうこともしばしばだ。先方は振り向きもしない。
ハンドルにはベルやブザーが付いているはずだが、その音を聞くことはまずない。商店街などで、「邪魔だ、どけどけ」とばかりにけたたましくベルを鳴らしているオヤジをたまに見かけるが、あのほうがまだマシだ。少なくとも、こちらの注意を喚起しているわけだから。
また、夜でもライトをつけない。最近は夜の街も明るいから、ライトをつけなくても見えるということかもしれないが、あれは「ここにいますよ、近づいていますよ」という合図でもあると思うのだが。
ベルを鳴らさないのは、目立ちたくないからかもしれない。ライトをつけないのは、ペダルが重くなるからかもしれない。いずれも乗り手の理由であって、そこに歩行者への配慮はない。こんな時代に、「せめて『すいません』『ごめんなさい』と声をかけましょう」などと言ってみても、虚しいばかりだ。いちばん現実的なのは、自転車用通路をきちんと整備することだが、この国の道路行政には期待できない。
かくして、自転車にぶつけられて骨折したり死んだりするのは嫌だから、おじさんはビクビクしながら(安全なはずの)歩道を歩いている。

喫茶店に入れば、サラリーマン風の若いのが、携帯電話で話している。しかも大声で。私なら店を出て話すがね。しかし、そんなことはおくびにも出さない。にらんだりすると、「なに見とんじゃ!」とスゴまれかねないから。
新聞を読みながら、それとなく観察する。メニューと雑誌が、席の左右に放り出してある。電話で「オレが迎えに行ったるわ」と言っている。おう、早く出ていけ、と思う。男はブリーフケースを持ち、席を立つ。メニューと雑誌は、もちろんそのまま。そのブリーフケースが、飲み終わったコーラのグラスに当たり、派手な音を立てて床で割れる。散乱するガラスと氷。しかし、男は無言。申しわけ程度にガラス片を拾っていると、店員が近づいてきて「いいですよ、そのままで」と言う。ここで初めて男は「すいません」と小声で言い、店を出ていく。まず周りの客に謝るべきだろうが、と思う。
さらに驚くべきことに、モップか何かを取りに行ったはずの店員が、なかなか戻ってこない。その間に新しい客が入ってきたら危ないじゃないかと思うが、別の仕事をしているらしい。人手不足なのかもしれないが、それは優先順位が違うだろう。
ようやく戻ってきても、無言。ガチャンガチャンと、わざとのように大きな音を立ててガラス片をバケツに放り込んでいる。
誰もが、何かしら不満を抱え込んでいるのだ。犬死にしたくないおじさんは、ますます慎重にならざるを得ない。ま、犬死にするのが運命なら、それも仕方ないな、とどこかで思っているのだが。

夏の思い出

蒸しますなあ。ちょっと歩いただけで汗が噴き出てくる。この時期、タオルハンカチを手放せない。まとわりつくような湿気。私がいちばん苦手な季節だ。「夏が好き!」なんて言う人の気が知れない。海水浴場へ行ったって、ゴミだらけだし。砂を洗い流すシャワーも長蛇の列だったり、水がチョロチョロしか出なかったり。
〈長蛇の列〉で思い出したが、蛇も嫌い。最近はあまり見かけないのでありがたいが、それでも草むらなどを歩くときは緊張する。上には上があるもので、蛇嫌いというとM部長を思い出す。私が最初に勤めた出版社の上司。編集室の横に資料室があって、諸橋大漢和や百科事典などが置いてあったのだが、このM部長、百科事典の〈はちゅうるい〉の項に数ページ、カラーで挟まっていた蛇の図版を、全部ホチキスでとじてしまったのだ。「見て、見て」とみんなでサカナにしたが、その気持はよく分かった。
水の思い出も良くない。あれは幼稚園のころか、木津川で溺れかけた(当時はまだ木津川で泳げたのだ)。川は怖い。急に足が川底に届かなくなった感覚を今でも覚えている。そこからの記憶はないが、たぶん父が救けてくれたのだろう。父は横浜生まれの横浜育ちで、水泳や潜水は上手だった。
小学5年生のとき、大阪府泉大津市に引っ越した。今はもうないが、家から歩いて行けるところに〈助松海水浴場〉があった。夏の日の朝、父に連れられて海へ行った。海岸から50メートルほど沖に、筏(いかだ)のような木のデッキがあった(あれは浮いていたのか、木で組まれていたのか)。私は泳げなかったから、父の背中につかまって、そこへ連れていってもらった。デッキに寝そべっていると、突然父が私を抱き上げ、海に放り込んだ。死ぬ気で泳いでみろ、というわけだ。そういう〈スパルタ式〉は私には合わなかったが、父はそんな人だった。死ぬまで「男なら、もっとしっかりしろ」と思っていたことだろう。

夏の思い出が、うっとうしいから哀しいになってしまった。もうやめる。

スロースターター

昨日、NHKの『プロフェッショナル・仕事の流儀』という番組を見るともなく見ていたら、脳科学者の茂木健一郎氏が「お忙しいことと思いますが、お仕事をされるときに気をつけておられることは?」と問われて、「一秒で集中する。一秒というのはオーバーですが、できるだけ早く仕事モードに切り替えるということでしょうか」などと答えていて、凄い! と思った。
私にいちばん欠けているのがそれだからだ。仕事にかかる前の準備行動というのか、私の気分では回避行動が、とにかく長い。スロースターター(これはどうやら和製英語らしいが)なのである。それでも〈スタート〉すればまだいいほうで、なかには何年もスタートできない仕事や、スタートする前にリタイアしてしまった仕事もある。関係者の皆さん、ご迷惑をおかけしております。これを読まれないことを祈りますが、この場を借りて深くお詫びいたします。
ようやくスタートできても、調べもののためにパソコンに向かったりすると、またいけない。まずメールチェック。気がつくと、2時間もかけて返信を書いている。何かを調べ始めても、関連するサイトに飛んだりしているうちに当初の目的を忘れ、遊んでしまっている。
それらのことがすべて〈無駄〉とは思わないが――こういう考え方がすでにいけないのか――仕事と仕事以外をきちんと区別できれば、それに越したことはあるまい。ここはひとつ、茂木先生の爪の垢でも煎じて飲ませていただくべきか。いや、マジで。

ヨーガ・クラスも2週間お休みしてしまった。よし、これから一人ヨーガをやるぞ!

会議は踊る

大阪府の障害保健福祉室が企画・推進している年1回の「ふれあいキャンペーン」というイベントの〈企画運営委員〉(以下、委員)を友人からの紹介で引き受け、今日は午後から大阪府庁でその会議。べつに呼び止められはしないが、どの出入り口にも警備員が立っていて、いささか緊張する。
委員は、年に数回ある会議に出席し、自由に意見を言うだけでよく、ほんの少しお手当(?)もいただける。お互いに名前と肩書だけしか知らない委員相互の親睦を図るために、茶話会や飲み会を催してはどうかとも思うが、そういうことは一切ナシ。まことにクリーンなものです。
さて会議は、大阪府や関係する各市からも人が来て、お役人は7、8名。聴覚障害をもつ委員もおられるので、手話通訳者が2名。委員の出席者は8名。委員と同数、あるいはそれ以上のお役人の臨席に、最初は気圧されたが、もう慣れた。で、今日も限られた時間のなかで(会議はほとんど予定どおりの時間に終わる)、質問をし、意見を述べた。小学生のころは、答えが分かっていても手を挙げられない子供だったのに、いつから心臓に毛が生えてしまったのだろう、などと思いながら。
会議が終わろうとするころ、聴覚障害をもつ委員が発言を求められた。「なかなか話に入るチャンスがなくて……」と。ハッとした。時間がないからと、私は自分の発言のことしか頭になかったのではないか。私たちは障害者と健常者が〈ふれあう〉ためのイベントを考えているのに、その会議で、障害をもつ人に配慮が足りなかったのでは。そういえば、会議中まったく発言されなかった委員も2人おられたと思う。その方たちにも、「何かご意見は?」と訊いてみるべきではなかったか。そんな思いが、胸のなかで渦を巻いた。

事務所に戻って、司会進行役を務められた方に、そんなことをつらつら書き並べ、FAXした。「うるさい委員だな」と思われたかもしれない。そうでないことを祈るが。

同窓会に向けて

今月は忙しくなりそう。手帳が、鉛筆で書き込んだ予定で埋まっていく(予定は鉛筆で書き、実行したものは4色ボールペンで書いている)。その内容は、会議、人に会う、飲み会、映画、演劇、映画講座、ヨーガなどだ。自分の予定だけなら世話はないが、3、4人で集まろうとすると、それぞれの都合を聞かねばならず、メールのやりとりだけで午前中がつぶれてしまったりする。でも、こういうとき、メールは便利だ。

大学時代の同級生Tさんが、たまたま私のホームページを見て連絡をくださったことはすでに書いたと思う。メールで話すうち、あの人この人の消息も分かり、「同窓会ができるかもしれないね」から「やってみよう」という話になった。で、Tさんのメル友Yさん(この方も同級生)も交えて打ち合わせを2回やり、昔の同窓生名簿を頼りに、できるだけ多くの人に連絡をとってみようということになった。
だが、卒業からもう33年、電話番号が変わっていたり、亡くなっている人もいる。冗談で、「死ぬまでに一回集まっておくのもいいよね」などと話していたが、冗談ではなくなってきた。実は、女性陣への連絡はTさんが、男性陣は私が担当することになっていたが、私はまだその仕事をしていない。
学生時代は真面目でおとなしい勉強家に見えたTさんだが、それゆえにと言うべきか、着実にどんどん仕事を進め、今や私が追われる立場である。同窓会の開催目標を8月末とし、案内状を1カ月前に発送、1次会は出身大学のカフェレストランで、2次会は梅田でということも決まり、今月末には大学と梅田の店(未定)へ下見に行くことまで決まってしまった。
私の仕事は、まず男性陣への連絡(消息確認)、案内状の文案作り、梅田の店の選定である。できるかなあ。でも、Tさんの手前、ふだんはグズグズしているようでも、やるときゃやるよというところを見せなければ、と思う。どなたか、20人ぐらい(その数も未定だが)が集まれる、いい店をご存じないですかね。

思わぬ収穫

映画『やわらかい生活』を見て、原作本『イッツ・オンリー・トーク』(絲山秋子著、文春文庫)を読んでみたことはすでに書いた。同書には、表題作のほかに「第七障害」という作品が収録されていて、これが拾い物だった。
長さも「イッツ・オンリー・トーク」(無駄話という意味らしい)とほぼ同じ。映画の印象が強く、「イッツ……」の淡白な味わいは物足りなかったのだが、本を半分だけ読んで捨ておくのも落ち着かない。それで一気に読んだのだが、期待していなかっただけに〈収穫感〉が大きかった。レコードのB面のほうが気に入ったという感じ(たとえが古いなあ)。

主人公の順子は、高崎の予備校教師。24歳のときに好奇心から乗馬を始める。乗馬クラブでめきめき腕を上げ、《2年目には障害馬術の試合に出られるようになった》。それから1年後、《群馬県馬術大会の障害飛越競技、成年女子決勝の第七障害で順子は1メートル30のダブル障害の飛越に失敗して、派手な人馬転をやった》。ゴッドヒップという名の馬は右前肢を複雑骨折して安楽死の処置がとられ、順子自身も腕を骨折。傷は癒えても、《自分が殺したのだ。あの凄い馬を殺したのだ》という思いをぬぐい去ることができず、順子は乗馬クラブをやめ、東京に出る。
東京で部屋をシェアすることになる美緒、乗馬クラブの仲間でライバルでもあった4歳年下の篤との交流のなかで、少しずつ立ち直っていく順子が描かれているのだが、まず引き込まれたのは乗馬に関する記述の巧さだ。
《それまで篤はどんな馬にもきれいに乗っていた、短めの鐙(あぶみ)を軽く踏んだ脚はしっかりと鞍(くら)から馬のわき腹へと密着して動かず、背筋はりんと伸び、手は柔らかく、ぶれることはなかった》。あるいは《試合になるとゴッドヒップは全てを判っているようだった。興奮して、敏感で、注意深かった。耳を乗り手の方に向けて、指示を得ると障害に向かって力強く走った。順子は脚(きゃく)で推進しながら馬が走りすぎないように軽く座って手綱(たづな)をぴんと張り、踏み切りのタイミングをはかった》というような描写。障害馬術の経験がなければとても書けないだろうと思うのだが、実際はどうなのだろう。著者の絲山さんは39歳とのことだが。
また、女性なのにクルマのことに詳しいのも、〈元カーキチ〉としては嬉しい。「第七障害」にはスバルレガシィ、シルバーのビート、いすゞジェミニが登場するし、「イッツ……」には真っ黄色のランチア・デルタ・インテグラーレやうす茶色のランチア・イプシロンが出てくる。スバル、ホンダ、いすゞ、ランチアという選択がシブい。クルマの色を無視できないのが女性らしいところか(これって女性差別?)。
会話の自然さも特筆すべき点だろう。まさに今の若者の言葉で、しかし決して不愉快ではない。いつの時代も、乱れた〈若者言葉〉は年寄りに嫌われるが、またいつの時代も、その言葉でしか表現できないものがある、ということだろう。その軽いノリの会話は、重苦しくなりがちなテーマをかろやかに展開させてもいる。
ラストについては敢えて書かないが、この本は30歳前後の女性にオススメ、とだけ言っておこう。

読書するひとりもの

もう今年も半分が過ぎた。ピシッと生活したいなあ。いつも反省と後悔ばかりだもの。と言いつつ、今日も暮れてゆく。
でも、このところ本はよく読んでいる。これも癖みたいなもので、読み始めると次から次へと読みたくなる。わが初恋の人・金子(きんこ)さんが「私、本を読みだすと、何も手につかなくなるの」と言っていたのを思い出す。そう、あなたは常に一生懸命だったからね。ダメな私は、いつも眩しく見ておりました。思えば、それが私の〈片想い街道〉の始まりだったようです。

齊藤寅(さいとう・しん)著『世田谷一家殺人事件~侵入者たちの告白』(草思社)を読了。2000年12月30日深夜に起きたあの惨劇を追ったルポルタージュ。こういうのって、どこまで書いていいのか分からないが、著者は犯人を特定するところまで突っ込んで取材している。それはクリミナル・グループ(要するに犯罪組織)と呼ばれる外国人留学生による犯行で、彼らはほかにも類似の犯行を繰り返しているという。齊藤氏は、彼らの写真まで入手している。最後まできちんと筋が通り、まことに説得力がある。
そこまで分かっているのなら、なぜ警察は動かないのか、と思う。齊藤氏によれば《警察がもつセクショナリズムと悪しき役人体質》のためだという。未だに解決していないグリコ・森永事件を連想した。現実の犯罪に、警察力が追いつけない。なんとも怖い時代になったものだ。この本、かなり売れているらしいから、そのうち国会質問などで取り上げられるかもしれない。そうなると面白いのだが。
著者の齊藤寅氏は《ジャーナリスト。週刊誌の記者を経て現在はフリーランスで活動中》としか書かれていない。〈報復〉を恐れてのことだろうか。ペンネームかもしれず、謎の人だが、かなり年配の方かと推察する。怺(こら)える、耳を劈(つんざ)く、犇(ひし)めく、肯綮(こうけい=物事の急所)に当たるなど、若い人にはまず使えない用字・用語が散見されるからだ。
取材ぶりも、〈ベテラン〉〈プロフェッショナル〉を感じさせるが、《私は、自分の職掌上もつべき矜持の境界線を知っているつもりである》というような自慢(?)がちょっと鼻につくかな。だが、《マスメディアにおいては「警察には隠された重要な情報があるに相違ない」、あるいは「警察からの情報を信じていれば、記事が成り立つ」という妄信めいたものがいまだにあるのだ》という現在、そこから脱して独自の取材を行なった齊藤氏のような気骨あるジャーナリストの存在は貴重だと思う。

この本を自宅の2階で読んでいた昨日の午後、窓の外で音がする。それも、すぐそばで。窓の下は瓦屋根で、簡単には上がってこられない。窓の雨戸は閉めてあり、外は見えない。しかし、間違いなく誰か(何か)がそこにいるのだ。ゾッとした。
窓を開けてみるか。だが、突然ブスリとやられたら……。私はそっと階下に降り、玄関を開けて道路に出た。そこからなら、相手も見えるし、怒鳴ることもできる。イザとなれば、隣家に駆け込むこともできる。われながら頭イイ! で、屋根を見上げてみたら、そこにはカラスが2羽いたのでした。
苦笑するだけですんだが、考えてみれば、錠をかけておいても、本気で侵入しようとすれば、どこからでも入れるだろう。どうしたものかなと思いながら本を閉じようとすると、最終ページに『危ない侵入者を防ぐ安全マニュアル』という本の広告が載っていた。嘘みたいな、ホントの話。

『やわらかい生活』はやさしい映画だ

シネ・ヌーヴォで『やわらかい生活』(05年、廣木隆一監督)を見る。悪くない。
みんな、どこか壊れてるのがいい。主人公の優子(寺島しのぶ)は躁鬱病で、彼女の周りの男たちも、出会い系サイトで知り合った痴漢のkさん(田口トモロヲ)、ED(勃起障害)の都議会議員・本間(松岡俊介)、鬱病のヤクザ・安田(妻夫木聰)、そして離婚寸前で彼女の部屋に転がり込んでくるいとこの祥一(豊川悦司)。
優子は、両親と友人を相次いで亡くしたことで躁鬱病になり、精神科にもかかっているが、かつてのキャリアウーマンからドロップアウトしたことで、肩の力が抜けているというか、自由な感じがあって、魅力的だ。その優子が、絶妙の距離感で男たちと付き合っていく。距離を測っているわけではない。彼女には、守るものも恐れるものもないのだから。あくまで自然体。鬱になればふさぎこみ、躁になればはしゃぐ。
そんな優子と接することで、男たちはそれぞれに自分の居場所を見つけていく。なかでもいちばん印象的なのは、いとこの祥一だ。妻子に愛想をつかされ、福岡からふらりと現れたこの男は、図々しくも優子の部屋に居候を決めこむが、とぼけた博多弁がどこか憎めず、意外な繊細さで優子を包み込む。
演じた豊川悦司は、主演男優賞か助演男優賞かは知らないが、いろんな賞を獲得するのは間違いないだろう。でも、私は不満だ。かっこ良すぎるのだ。高い上背、長い脚、肩幅や胸板もしっかりあって、嫉妬してしまう。寺島しのぶがあんまり美人じゃない(そこがいいのだが)だけに、釣り合わない気がする。もちろんこれは、腹の出た中年オヤジのひがみ以外の何物でもないのだが。昨日も《ヒガミ》って書いたな、ちぇっ。
ついでに言っておくと、優子35歳、祥一40過ぎ、痴漢のkさん50歳という設定で、55歳の私は「映画の中でも、もう現役じゃないんだな」と、妙に自分の年齢を意識させられた。

舞台になっている蒲田という場所も重要だ。行ったことはないが、画面上でも〈粋〉がない下町と表現されているように、気取らない庶民的な街であるようだ。レトロな観覧車、公園、川、居酒屋、銭湯など、優子が脱力できるスポットにも事欠かない。
あれは70年アンポのころ、蒲田に自警団がつくられて〈暴力学生〉を排除したということがあり、暴力学生にはならなかったものの、その周辺をウロウロしていた私には、あまり良いイメージはないのだが。

原作も読んでみた。絲山秋子(いとやま・あきこ)の『イッツ・オンリー・トーク』(文春文庫)。原作からはだいぶ変わっていて、私には映画のほうがしっくりきた。脚本が荒井晴彦だからかもしれない。03年の『ヴァイブレータ』も廣木・荒井コンビで、プロデューサー(森重晃)も撮影(鈴木一博)も同じだから、原作うんぬんより『ヴァイブレータ』の姉妹編と考えたほうがいいかもしれない。
原作からの変更といえば、ラストで原作にはない悲劇を伝える方法が、テレビの刑事ドラマなどで「なに、渋谷で殺し? ガイ者は30代女、場所は道玄坂のホテル・フェニックスか」とやるような紋切り型になっているのは、何かの冗談なのだろうか。
それに、季節が夏から秋に移り、その間に小さな出来事が重なって、男たちが優子から去り、あるいは優子のほうが別れを感じて離れ、これからそれぞれが自分の道を歩んでいくのだろうなと思わせておいて、最後のエピソードはあまりに悲しすぎる。銭湯で独り泣く優子が可哀想でならなかった。