父のこと、母のこと | ケセラセラ通信日記

父のこと、母のこと

映画仲間のNさんからメールが来た。お父上が亡くなったという。まったく存じ上げなかったが、立命館大学文学部哲学専攻の名誉教授であられた由。10月2日に「偲ぶ会」があるので、出席してほしいとのこと。
それを受け、以下のような長い返信を書いた。思いがけず、自分の父のこと、母のことについて率直に書けたので、ご披露する気持になった。
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Nさま

お返事、遅くなりました。
事務的にササッと返信できるような内容ではなかったので、ご容赦ください。

お父上・N先生のことは、不勉強ゆえまったく存じ上げませんでしたが、こうしてNさんが私を思い出してくださったのも何かのご縁だと思い、10月2日はつつしんで参加させていただきます(朝早いのがキツいですが)。

私は一人っ子でしたが、1997年に父を76歳で、その2年後の1999年に母を74歳で亡くしております。
3日前の9月19日が母の命日でした。
父の時も母の時も、「何も(親孝行が)できなかったな」という思いが強くありました。
その一方で、「親が先に死ぬのは仕方がない。どうってことはないんだ」と自分に言い聞かせておりましたが、母の葬儀のあと、円形脱毛症になりました。
肉親の死は、そのように無意識のうちに作用するもののようです。
両親を失ったゆえだったのかどうかは分かりませんが、振り返ってみれば、その後数年は低迷していたように思います。
人によって違うでしょうし、どうすればそのような影響を少なくできるのかも分かりませんが、どうぞ睡眠をよくとって、ご自愛ください。
報道によれば、お父上は84歳で亡くなったとか。「大往生」と言えるのではないでしょうか。

私にとって、父は大きな存在でした。
銀行マンで、O銀行の副頭取まで務めました。
父も中央大学の二部出身で、コネもなく入行し、平行員から勤め上げました。
性格は豪放磊落。人は全盛期の田中角栄をよく例に出しました。
しかし、非常に繊細なところもあり、人の痛みが分かる親分肌で、多くの部下に慕われていました。
スポーツも万能で、水泳、柔道、ラグビー、野球、ゴルフと、それぞれに上手でした。
また趣味も多彩。写真、鉄道模型、プラモデル、映画観賞、レコード鑑賞、水彩画など。凝りだすと没頭・集中するタイプ。
勉強熱心でもあり、いつも何か本を読んでいました。
そんな父は、若いころは船乗りになりたかったそうです(そのせいか、帆船模型もたくさん作っていました)。
銀行員になった当時は、その仕事がイヤで、推理小説作家を目指していたとか。
帰宅後、コツコツと推理小説を書き、いろんな賞に応募していたようです。
当時『宝石』という雑誌は推理小説の専門誌だったそうで、その新人作家特集に「佳作」として自作が掲載され、それで憑き物が落ちたように作家志望を断念。「自分の力量が分かったから」と言っていました。
でも、「選評」で江戸川乱歩に褒められたことは嬉しかったようです。
それ以後は、銀行の仕事に邁進したとか。

もうお分かりのように、私とは対照的です。
私が大学を受験したのは1969年で、まさに学園紛争の時期(立命館の日本史学科も受けましたが、見事に落ちました)。
関西大学の国文科に滑り込み、反戦デモに明け暮れ、高度成長期の企業戦士であった父ともよく議論しましたが、敵もよく勉強していて、論破できませんでした。
在日コリアンの友人の話などすると、「あんまり付き合うな」なんて言ってました。
当時は「右翼め!」と思っていましたが、父なりに心配していたのでしょう。
そんなふうに反目の時期もありましたが、父の晩年のころには「和解」できていたと思います。

母のほうは、夫唱婦随を絵に描いたような、静かで優しい性格でした。
苦しい戦争も経験しているのに、生来の「お嬢さん」で、いくつになっても純真で可愛いところがありました。
父は亭主関白、生きたいように生きた人で、それに付き従っていた母はずいぶん苦労もしたので、父が亡くなってからは自由を謳歌すればいいと思いましたが、急にガックリきてしまいました。
私が家に帰ると、暗い部屋にぽつんと独り座っていて、「元気出せよ、僕がいるじゃないか」と言うと、「あなたじゃ駄目なの」と言われたことがあります。
華奢だけど病気などしたことがなかった人が、S状結腸がんになり、父のあとを追うように逝ってしまいました。
母には楽しい思いをいっぱいしてほしかったので、その10年早い死はかなりこたえました。

いま、私に対する父の愛は理知的で、母の愛は無条件だったなと思います。
いずれにせよ、父からも母からも、私は充分に愛を注いでもらったと確信できます。
それゆえ、「何もしてやれなかった」という思いが、深層でいつまでも私を責めるのでしょう。
しかし、5年前から少しヨーガをかじり、そこでは「反省するのはいいが、それに囚われてはいけない」と教えられます。
反省して、ここが良くなかったと分かれば、それを繰り返さないようにすればいいだけだと。
また「死」は最後ではなく、ひとつの通過点にすぎないのだとも……。

長くなりました。
お返事になっているか分かりませんが、ご自分を責めることなく、心穏やかにお父上を送られるよう、願ってやみません。
では、10月2日に。
お忙しい折、お返事には及びませんので。