加齢臭がなんだ! | ケセラセラ通信日記

加齢臭がなんだ!

20日(月)朝10時、京都にいた。携帯に着信があったことに気づき、かけてみるが、今度は先方が電話中。とりつぎの人に「折り返しお電話ください」と伝言を頼む。こういうとき、どこで待つかが問題だ。周りがうるさいと聞こえにくいし、喫茶店では他の客が迷惑する。でも、外は暑い。ちょうど開店したばかりの本屋があったので、そこへ飛び込む。客は私だけだから、店の隅で話すのは許されるだろう。迷惑そうなら、外へ出ればいい。
しかし、電話はかかってこない(電波状態が悪かったらしい)。新刊本も雑誌のコーナーも見て、さてどうするかと思案していたら、コミック本のコーナーがあることに気づいた。土曜日に見た『天然コケッコー』(07年、山下敦弘監督)の原作があるかもしれない。脚本の渡辺あやが《10代の頃、まるで恋にうかされるかのように、その人の作品を読むために毎月別マを買いに自転車を走らせていた》とパンフレットに書いていた、くらもちふさこ作品だ。探してみたら、あった。集英社文庫・コミック版で、全9巻。とりあえず、1巻目だけ買う。
大阪までの電車で読み始めたら、これがいい。主人公のそよだけでなく、彼女の周りの伊吹ちゃんやあっちゃん、弟の浩太朗などの人物像が、くっきりと豊かに描き込まれているのだ。こりゃあハマるわけだ、と思い、またこの長編原作を一本の映画にすることの難しさも思った。1巻目だけでも、あっこれはあのシーンだと分かるエピソードがいくつかあって、確かにセリフはほとんど変えられていない。しかし、物語の中心をそよと大沢に限定せざるをえなかったことも分かり、それはやむをえないこととはいえ、原作の魅力のほうが勝っている。ちなみに、18日の日記には(映画の)そよが都会的すぎると書いたが、原作でもスタイルのいい、鄙(ひな)にはまれな美人として描かれている。
事務所で読了。そよちゃんのような美しき10代は遥かに過ぎ去ったことが悲しく、クーラーの効きはいよいよ悪く、映画でも見て帰ろうと決めた。『ボルベール〈帰郷〉』をまだやっているようだ。Hさんが「よかった」と言っていたアルモドバル作品。これにしようとナビオTOHOプレックスへ行ってみたが、上映されていない。またやっちまったようだ。では、OS名画座はどうかと行ってみた。『リトル・チルドレン』を上映していたが、次の回まで1時間もある。じゃ、ビデオにしようと、レンタルビデオ屋へ。Kさんが「大好き」と言っていた『リンダ リンダ リンダ』があったが、DVDのみ。自宅ではビデオしか見られないのだ。結局、成瀬巳喜男の『めし』を借りて帰った。
昭和26年の作品で、ちょうど私が生まれた年だ。その当時の大阪の街(北浜、中之島、大阪城、難波、道頓堀など)や神奈川県の矢向(やこう)が出てくる。映画の中で原節子が「近所の焼け跡に、もう家(うち)建った?」と言うところもあって、昭和26年がまだまだ〈戦後〉の色を濃く残していたことが分かる。それにしても、いいなあ成瀬は。あの光、その人物造形。ビデオを返す時に、また次を借りてしまいそうだ。

そして今日(21日・火)、成瀬を借りるのは思いとどまったが、阪急32番街・30階の紀伊國屋書店コミックハウスで『天然コケッコー』を9巻まで買ってしまった。
その昔、「男40、愛するものが多すぎて」というようなCMがあったと記憶するのだが、14、5歳のときには30歳、50歳の自分は想像もできないが、56歳の現在からは、いつでも14歳に戻れるのだ。そういう意味では、年をとるのも悪くない。
さて、『天然コケッコー』の2巻目を読み終えたら、仕事しようっと。