運命の人 | ケセラセラ通信日記

運命の人

あまりの暑さに、活動まで制限される。地球温暖化が実感され、未来への恐怖を感じるほどだ。クーラーも悲鳴を上げ、ときどき熱風を吹き出す始末。そのたびに慌ててスイッチを切り、数分休ませて、また恐る恐るスイッチを入れてみる。それでなんとかもっているが、壊れるのは時間の問題だろう。

気分転換のために、だいぶ前に買ってあった穂村弘(ほむら・ひろし)著『もしもし、運命の人ですか。』(メディアファクトリー)を読み始めたら、これが面白く、一気に最後まで読んでしまった。恋愛に関する、男性側からの考察、分析、思い込み、妄想、幻想、戦略、対策、提案、理想などなどが、29のエッセイに込められている。途中で数度、声を出して笑ってしまった。
《激しい恋愛の中で、我々は束の間の生の実感を得ることができる。/男性のタイプとしてのいわゆる「いいひと」が恋愛対象として女性たちに人気がないのはそのためだ。/「いいひと」との穏やかな関係には非日常性が乏しい。》という文章もあり、ドキッとさせられる。私はたぶん、その「いいひと」タイプだからだ。
穂村氏も同じタイプらしいが、女性の友人から「ほむらさん、恋愛に対するセンサーが過敏っていうか、意識が過剰だよ」と言われたりしていて、その点が私とはちょっと違う。
氏の過敏な恋愛センサーは、たとえば友達の家に何人かで集まり、コンビニへ食料の買い出しに行くことになったとき、《「僕、行こうか」と私が名乗りをあげると、「じゃあ、あたしも行く」とSさんが云った。/どきっとする。/今、Sさんは「じゃあ、あたしも行く」って云わなかった?/「じゃあ」ってなんだ?》というふうに反応する。そしてコンビニへの道すがら、《無表情のまま、脳だけが高速回転》して、さまざまなことを考えるのだ。
その一つ一つにうなずきながら、「現役だなあ」と思う。この本を書いた時、穂村氏は44歳だったようだ。私とは一回り違う。自分では充分現役だと思っているのだが、対外的にはセンサーをあえて鈍麻させているのだ。上記のようなシチュエーションになっても、私なら「たまたまでしょ」「別に気にするほどのことでも」と考えようとするかもしれない。哀しいね、56歳の独身男。
でも、穂村氏には奥さんがいるらしい。ということは、本当は私のほうが〈現役〉なのでは。

とまあ、いろいろに楽しませてくれる本だが、特筆しておかなければならないのは、こういう軽いエッセイを書けるのは、ひとつの芸であり、技術だということだ。巻末に置かれた「運命の人」という一篇など、ジーンとするほど余韻深く、見事である。