残暑の中の同窓会 | ケセラセラ通信日記

残暑の中の同窓会

大学卒業から33年、初めての同窓会当日。7時に起き、シャワーを浴びてコーヒーを飲む。同窓生の住所録と二次会会場への地図をコピー。ドロ縄で司会進行の台本めいたものを書く。だが、どんな展開になるか分からないのだから、何を話せばいいのかもよく分からない。とりあえず、今回出席できなかった人の近況、亡くなった方(5人おられる)の情報、住所録をまとめる過程でのエピソードなどを書く。最後は、それぞれの人に自己紹介というか、近況報告をしてもらおう。そこまでは行ったが、さてそこからが続かない。自己紹介が早く済んでしまったらどうしよう、二次会はノープランでいいのか、などと考えるが、アイデアが出てこないのだから仕方がない。ま、なるようになる、ケセラセラと大学へ。幹事は午後3時に集合なのだ。
2時45分に電車を降り、大学へのゆるい坂道を上る。午後の日差しが背後から照りつけ、猛烈に暑い。こんな日に、遠くは金沢や名古屋からも来てくださるんだなあと思う。3時に到着すると、会場である学生会館の食堂には、女性幹事のTさん、Yさんがもう来ておられた。Tさんは重いカメラと卒業アルバムを持参。若かりし頃のクラス写真が載っているのだが、高価な上に編集が杜撰で、購入した人は少なかったのだ。Yさんは、皆の胸につける名札を作ってきてくださった。ひとつずつ、誤植がないか確認している自分が悲しい(Yさんの名誉のために言っておくが、誤植はありませんでした)。
念のためにと早く来たが、することはあまりない。この日は〈オープンキャンパス〉とかで、学生食堂にも構内見学の高校生たちがたくさんいて、若々しい雰囲気。だが4時には、その広いフロアがわれわれだけの貸し切りになる。
一番乗りは名古屋のF君だった。当時の学生運動に入れ込み、大学には1年ほどしか居なかったという。彼と話しているうちに、続々と参加者が現れる。一目見て思い出せる人、当時の印象すら浮かんでこない人など、いろいろだ。私はといえば、「大きくなったね」「貫禄がついた」などと言われ、トホホな心境。
そんな再会の場面があり、4時には1人を残して16人でスタート。仕事のために遅れたY君は、2度も私に電話をくれていたのだが、バイブにしていて気がつかなかった。「早く来てくれ」と思いつつ、着信履歴を見ることもしなかったのは、やはりどこか浮き足立っていたのだろう。
乾杯の発声は、女性幹事のTさんにお願いした。人前で話すのは苦手とおっしゃっていたが、とんでもない。挨拶もしっかりと、堂々の乾杯であった。心配していた料理もまずまず(男性陣には少し量が足りなかったか)。飲み物も、注文しすぎたぐらいだった。ほどなくY君も到着し、17人全員がそろう。
3、4人単位での会話は弾んでいるようだが、なかなか全体の話にはならない。そこで、ときどき席を立ち、例の台本に沿って話した。出しゃばり過ぎではないか、と気にしつつ。77人中48人まで連絡先が分かった住所録を配る前に、「これも〈個人情報〉ですから、ヘンなふうに使わないと約束してくだされば……」と言ったら、みんな笑ってくれたのでホッとした。ここで1人でも「それは困る」と言われたら、みんなに配ることはできなかったので。
最後は、私から順番に〈自己紹介〉をしていったが、皆さんしっかりと自分の言葉で滔々と話され、安心するやら感心するやらであった。そこには、それぞれの33年があり、人間的成長があったのだなあと、いま思う。
6時過ぎにお開きとし、学生会館の前で記念撮影。キャンパス内の坂を上って、懐かしい文学部の学舎へ。図書館前の広場、昔からそこにある大きな木の下で、また記念撮影。誰も欠けることなくついてきてくれたが、懐かしさからか、あっちを見たりこっちを見たりと、動きが鈍い。7時半から予定している二次会に遅れたくないので、早く来いよと思いつつ先頭を歩く。6時51分、事前に調べておいた電車にギリギリで間に合った。正門付近でトイレに消えたM君も、後ろの車両に乗っている。途中ではぐれてもいいようにと地図を配ってはあるが、まずはやれやれである。
二次会は、梅田の阪急東通商店街を抜けた先にある小さなバー。二次会から参加のNさんも無事に到着していた。で、総勢13人。カウンターに9人が並び、あとの4人はテーブル席。最初に「できるだけ席を替わって、多くの人と話してください」と叫んでおいたが、誰も席を動かない。仕方なく、途中で「ハイ、第一回の席替えタイムです。僕はFさんとNさんの間に座りたい」と、強引に席替え。いつから心臓に毛が生えてしまったのだろう。〈仕切り役〉になっている自分に驚く。
そうこうするうち、「僕は卒論〈可〉だったんだけど、みんなはどうだったの?」とM君が言いだす。もちろん僕も〈可〉だったが、真面目で几帳面なTさんは〈優〉だったんだって。さすが。
実はこの同窓会には、同級生で、卒業してすぐ私の妻となり、後に離婚してしまったTさん(幹事のTさんとは別)も来てくれて、ありがたかった。息子夫婦が彼女と同居しているので、今も普通に交流はあるのだが、こういう場に出てくるのは勇気の要ることだったのではないかと思う。
そういうこともあり、同窓会の案内状に「恩讐を超えて」というフレーズを潜ませておいたのだが、そこに反応してくれた人もおられたようだ。ともあれ、忙しいなか、また遠くからも、さまざまな思いを抱きながら、残暑厳しい日に来てくれた人々には感謝あるのみだ。
二次会も和気あいあいのうちに終わり、私は名古屋のF君をホテルまで送っていった。「どこかで少し話そうか」と言われたけど、「もう眠いから」と断ってしまった。そんなやつなのよ、俺。