目の前の事を自分のせいだと思わなければならない理由


あなたは銃で撃たれたと本当の現実のように想像し、本当に現実で合った事として認識してください。



恭子・敦美「はいわかりました!」


あなたは、顔に0.03ミリだけ銃弾があたりました。


医者に診てもらいましたが、数日で治る怪我程度です。との診断。



キャサリンは言います。

「あんたが今日この場所に来たから、こんな目にあったのよ。あんたの責任なのよ。わかる?」


この話を聞いた恭子と敦美はどうおもったのでしょうか?


あなたと同意見?


恭子は「そうよ。私が今日、この場所にこの時間に来たからいけないの。」

敦美は「そうよ。私が今日、この場所にこの時間に来たからいけないの。」


文章では、同じように見えますが


2人とも全く違うのです。


恭子は本心でそう思っています。

「そう、わたしが今日この場所にこの時間に来たから銃弾が顔に0.03ミリ当たって数日で治ってしまう怪我をしたのよ。全部私の責任である事は間違いではないわ。でも死ななくて済んだし数日で治るし何の問題も無い。生きていける!」


とポジティブに現実を


受け入れています。

受け入れています。


2回言いました。わざと・・・




敦美は怪我をした自分を責めて、さらにキャサリンに自分のせいだと追い打ちを掛けられた事で、

「もうどうでもいいわ」という気持ちです。



だから、敦美は

「そうよ。私が今日、この場所にこの時間に来たからいけないの。」

と言いながらも。



実は、心のの裏側では、



【もうどうでもいいわ。一生今日の事は心の傷に残るし、キャサリンの顔なんてもう二度と見たくもない。】と本心で思っています。



どちらも、間違いではないし、どちらも間違っているとも言えます。




ただ、2人には、

同じ現実が起こっただけなんです。


現実の捉え方が違うだけ。



この現実が起こった10年後2人はどうなったでしょうか?



恭子は10年後この日の出来事を忘れています。

敦美はいつまでも記憶の中に残しキャサリンを恨んでいます。



あなたは、

恭子と敦美どちらの人間が好きですか?



その時に、感情的になるような出来事があったとしても、どう今後の人生で活用するか、どう考えるかは全て自分次第なので、どうせならば生きている事に感謝し。



目の前に起こる事を自分のせいだと受け入れて見ると良いです。




「主人が余命1年です。もうどう私は生きて良いか、どう接していいか・・・考えるだけでもう死にそうです。」



小林さんはいいます。


それは、そういう現実は起きただけで、あなたは笑顔で生きて居れば良い。


主人の寿命があと1年だろうが10年だろうが、あなたは旦那さんに笑顔で接してあげれば良いじゃない。


そうすれば主人はあなたの笑顔に安心して残りの人生を幸せに生きていけるよ。


安心できる空間をあなたは提供出来るんだよ。


あなたは自分の事ばかりを考えるから、苦しくなるんだよ。


余命1年という現実をどうとらえるかは、あなた次第なんだよ。


あなたが辛い顔をしたら、主人はどう思うのかい?もう答えは出たと思うよ。


そしてこの世を全うした時は泣いて見送って上げればいいんだよ。


亡くなった時に笑顔だったら喜んでいるみたいだから泣いて良いんだよ。


亡くなった後もいつまでもウジウジして居たら亡くなった旦那さんが成仏できないよ。


あなたの事が心配だから成仏できなくなるんだよ。だからウジウジしない事だよ。



現実を受け入れる。



目の前の事を全部自分のせいだと思うからって、責めなくて良いです。

自分が引き起こしたんだと受け入れればいいんです。