昨日で東北大震災から10年でしたね。
あの日の午後、私は沖縄の自宅で生後3カ月の娘を抱っこしながら、テレビ中継を見ていました。
見ていたテレビが全部、津波の中継に変わって。
「?????」
最初はなんのことかわからなかった。
映画?
一面が海面で、
流されてく屋根に、
流されてく折れた木に、
お家の屋根や屋上から手を振る人。
頭だけ海面に出して、
何かにつかまっている人。
一体何が起こってるだろう?????
本当にこれが、
リアルタイムで日本で起きてることなのかな?
最初は信じてなかったし、
「地震発生後に津波が起こった」
そう理解した後も、
テレビ中継で流れている映像は、信じられない状態だった。
それからしばらく、テレビで東北の現状を見たり、
ニュースを見て、たくさんの人がなくなったことを知る。
なんか本当に信じられなくて。
それから年数を重ねるごとに、
いろんな人の津波体験がネット上で出てくる。
子供を亡くした
両親を亡くした
家族が全員流された
家がなくなった
まだ行方不明の家族がいる
妻を亡くした
夫を亡くした
こんな悲しいことが
本当にあっていいのかって、
体験を読みながら聴きながら、
涙が止まらなくて・・
私は沖縄に住んでいるので、
小さい時から沖縄戦の惨劇を聞いてきました。
沖縄戦もすごく悲惨で、
体験談を聞くと涙が止まらなくなる。
だから戦争はしちゃいけないと思うし、
戦争をしない未来のためにも語り継がないと受けないと思ってる。
でも、正直もう昔の話、
という感覚もあって。
本当にあった出来事なのはわかるけど、
身近じゃない。
そんな意識があった。
そんな私にとって、
今、
日本で起きていること、
身近で起きているこの東北大震災は、
衝撃すぎて身近すぎて。
本当に信じられない。
こんな凄まじい現実の中にいる人が、いるんだ。
本当にいるんだ。
それは私だったかもしれない。
私だったとしてもおかしくない。
津波の体験談は、本当は見たくない。だって絶対泣くから。
でも、波に飲まれて亡くなった人がいて、明日が普通にくると思ってた人がいて、夕方家族にまた会えることを疑わなかった人がいて、お母さんって叫んだ小さい子供がいて、子供を探し続けたお母さんがいて、冷たくなったお母さんと体育館で再開した子供もいて、今も妻と子供を探し続けている夫もいて、孫が好きだった遺留品を唯一見つけて大事するおばあさんもいて、海水に濡れてボロボロになった家族写真を見つめ続ける人もいて・・・
これが本当に、信じられないけど現実で起こってるんだから、
悲しいから、見たくないからって見ないんじゃなくて、私に何ができるかなってちゃんと考えないといけないなって思う。
ニュースを見ると悲しくて本当に辛くなる。
でも、家族を亡くした被災者の方が今を生きる様子には本当に勇気づけられる。
10年経ったからこそ言える体験もあるだろうし、
10年経った今も言えない体験もあるしと思う。
私には何ができるだろう?
3.11 で想うのは、当たり前が当たり前じゃないってこと。
私は今生きてるし、
きっと生かされてるんだから、
ただただボーっと生きるんじゃなくて。
私ができることを、精一杯するべきだなって。
気持ちが落ちる時もあるし、
自分なんてって思うこともあるし、
イライラしたりむしゃくしゃしたり
もうダメだって思ったり、
投げ出したくなったり、
そんなこともあるけど、
そんなふうに私が私のことを考えられるのも、
生きているからこそ。
こんな小さい私にも、小さいなりにできることがあるはず。
3.11 に向かい合うと、
私が小さく見えると同時に、
私に何ができるだろう?
できることは小さくても、回り回って誰かのためになることしたい。
そう心の底から思うんです。
3.11 で亡くなられた方へ。
天国で安らかにありますように。