今年の夏、私の父は肺がんになり、

余命は、そんなに長くないと、

お医者さんから言われました。



その時から父は、

母が一人になった時、大変な思いをしないように、

いらなくなった物を処分したり、

身のまわりの整理を始めています。



ですが、体力が落ちている両親にとって、

ちょっとした部屋の片づけでさえも、

なかなか大変な作業のようですアセアセ



姉は実家から、わりと近くに住んでいるので

時間があるときは断捨離のお手伝いをしに行ってるそうですが、


私は、離れた所に住んでいるので

なかなか手伝いに行けませんショボーン




先月、8ヶ月振りに実家へ帰ったときの父は、

『あれもしなきゃ。これもしなきゃ。』と、

なんだか気持ちがとても焦っているように見えて、

胸がぎゅっと苦しくなりました悲しい



今までずっと暖房は、石油ファンヒーターを使っていたのですが、


母が一人になった時、石油だと扱いが大変だし、危険だということで、

新しくエアコンを取りつけたりしました。


残される母のことが、とても心配なんだと思います。




そして父は、独り言のように、

こんなことを話していました。


『えり(私)も、◯◯(姉)も、

昔に比べて、今は強くなったんだよな。

二人とも色々あったけど、

もう、一人でやっていけるくらい、

強くなったんだよな。大丈夫だな。』って。



娘たちは、自分の知らないうちに

こんなにも立派に成長していたんだ、

もう心配することは何もないんだ…って。


かみしめるように、心に深く刻むように。

なんども、なんども、つぶやいていました。



『そうだよ。

私とお姉ちゃんは、大丈夫だよ。

なにも心配いらない。

お母さんのことも、まかせて。』



父にそう伝えて、もっと安心させたかったけど、

やっぱり、なんだか、言えなかったな。



『私たちは、まだ大丈夫じゃないから、

長生きして、ずっと近くで見守っていてほしい。』



本当は、そう言いたかったのかもしれない。

でも、結局はそれも言えなかった。




夫のときも、

『家のこと、子供達のことは、心配しなくて大丈夫だからね。』

って言ってあげられたの、

夫が亡くなる3日前だったっけ。



もっと元気なうちに、

まだ仕事に行ったり、食事も出来てる時に、

その言葉をかけてあげれば良かったと、

今さらながら、思います。



あの頃は、

『夫が居なくなるかも知れない…』

そのことを考えるだけで、恐くて、恐くて…


夫の立場になって、声をかけてあげられなかったような気がします。



余命宣告をされても、

私はどうしても受け入れることができず、その事実からずっと目を背けていました。



それに『奇跡は起こるんじゃないか』って、

やっぱり心のどこかで、信じていたから。




私が唯一、夫にかけてあげられた言葉は、

『ずっと、一緒だからね。ずっと一緒にいるから。』

この言葉だけです。


どんなに、どんなに考えても、

これ以外の言葉が、私には見つからなかった。




先のこと(未来)は、誰にも、自分にも

分からないことだけれど、



どんなことがあっても、これだけは言える。

夫はこの先もずっと、

私の心の中で、永遠に生き続けるということ。



夫との楽しかった想い出を懐かしんだり

若い頃の写真を見て、やっぱりイケメンだったなぁ…って惚れ直したりラブラブ



今も、これからも、ずっと、ずっと

私の心を温めてくれるんだニコニコ