ちょっと綴ってみようと思う

警備員の対応を通して感じたこと



この話は、警備員の立場上

『致したかなかった』

ということはもちろん承知の上で

 

その対応に不満がある

という趣旨での話ではない

 

ということを明確に明言したうえで

綴る記事となります。

 

 

先日のこちらの件において

警備員さんや店長さんの対応で

 

『あ~~なるほど~~

そういう感じなのね~~

それが今の現状の精一杯ということか』

 

という状況で

(詳しくは前記事で)


らちが明かなくて

しびれを切らしたわたしw

 

『じゃあもう、わたし

自分で捕まえてきてもいいですか?真顔

 

と提案したらば。

 

ちょっと動揺した様子で


・相手が暴れるかもしれないから
・自分には決定権がないから
・何もできない責任が取れない


という反応から感じたこと。


日本教育のたまものだな

 

と。

 

日本教育については

素晴らしい側面もあるのだけど、

 

ただその教育の本質とシステム

について深く知っていくと

見えてきてしまうものがある。

(それについては今回明記しないけど)


ただ、この後綴るような

思い込みや固定概念を

刷り込まれた結果

 

が、社会のあらゆる場所で出ている

と感じるなと思うこと。

 

 

それは

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今、自分の人生に

起こっている出来事において、

・自分には決定権がない

・選択権がない

・選ぶ自由がない
・責任はとれない

 

というか

取りたくない

上の人に指示されたこと
決まりごと、ルールにのっとったこと、

それに従っていることが安心。
安心だし確実。
怒られないし、責められない。

従ってることが安心
それ以外は
その決まりごとから外れたことは

できない、

し、

やっちゃいけない
だって
怒られるから・責められるから

自分で考えたり
自分で感じたこと
自分の信念や価値観に立脚した

行動は、取らない方がいい
それをやったら、怒られるから

 

決められたことから外れたら

怒られる・責められる

 

自分で考えて行動を起こすより

従っておいた方がいい。

======================

 

このマインドが強烈にしみついている

のではないかと感じる節がある。

 

てか、わたしもそうだった。

ただし、それが当たり前のこと

としては飲み込んでなくて

強烈な反骨精神

うみだす結果となったのだけど。w

 

 

日本人は勤勉で真面目で

と世界で見られていることは

とても有名な話。

 

それと共に

『従順で逆らわず意見も言わない』

とも思われている。


日本人の特性とも捉えられている。

 


でもわたしは思う。

それは
本当の日本人の元々の気質じゃない。
と。

 

本当は気骨があり本質を見極め

行動指針を自分で決め、引き受ける

ことを当たり前としてきた民族

 

なのだとあらゆる日本の歴史的

背景を学んでみて思うのです。

 

なのに

日本の教育って
とにかく従うこと、
自分で考えることや

信念に従うことより
いかにお上の決めたルール通りにやり
怒られないように、

責められないようにするか 

 

それが最優先事項
と繰り返し繰り返し

刷り込まれ叩き込まれる


なんなら、それが賢い生き方
いい人間、常識的な人間

ちゃんとした人、くらいになってる。

わたしがアメリカから日本にきて

日本の教育システムで感じたこと


日本の教育下は
自分自身のことにおける
『決定権を奪われる経験が多すぎる』

本来って、本当の教育って

子どもが

自分自身の信念に従って行動して
間違うことも含めて、
その結果を引き受ける


その結果を

 

引き受けるサポートを
大人が味方になって

一緒に引き受け方を教えてくれる

見せてくれる

 

というのが本来なのに

 

とにかく

間違っちゃいけない・失敗は悪いこと

決められた通りにやっておけばいい

従うことが最優先 と教えられる。

 

日本の教育下では

『自分の信念を構築していって、

それに従った行動をとった結果

それに伴う結果を引き受ける練習を

大人が一緒にしてくれる』
という

経験が少なすぎる


そうしてやがて大人になると

その刷り込まれた当たり前が

潜在意識の中で無意識のパターンとなり



自分の人生において、
自分には決定権がない



責任はとれない、というか取りたくない

そもそも、とり方を知らないし

できることなら逃げたい。

 

という無意識の信念形成と

その信念を元にした行動の

寄せ集めで社会ができあがっていく。

 

選んでいる、というつもりで

 

『選ばされている』

ということにもなかなか気づけない


 

自分が自由に、

自分の想いに従って選ぶ

その結果もちゃんと引き受ける

 

というのは、練習が必要。

 

 

また一方で

『自由』をはき違えて

 

それに伴う

『結果を引き受けない』

『結果からは逃げる』

『責任は引き受けない』

というスタンスもちらほらみかける。

 

 

 

本当は・・・

 

本当はさ

 

 

自分の自由意志のもの

自分で選択して

その結果がどうなるかを観察し

引き受けて、

その結果から学び成長し

自分の価値観を引き上げていき

視座を上げていき、信念を磨き

 

更に大きくなった自由を選べるようになる

だって、引き受けられる結果の量が増える

器が大きくなるから

 

 

それって

メチャクチャ自由で楽しいことなのに!!!

 

てか

 

それをやるために

地球に来たんじゃないんかな?地球

え。違うんかな?

 

今は、その可能性を広げて視座を上げて

価値観を磨いて成長して楽しみ方の幅を

拡大して、喜びに生きる

 

ことよりも

 

いかに、飼いならされるか。

いかに、従うか

いかに、用意された枠組にはまるか

いかに、凹凸のない平均的な人になるか

いかに、地ならしされるか

 

に重きを置かれて

制限を教え込まれ

 

 

まぁ、一言でいえば

 

楽しくない、オモシロくない。w

窮屈だし、せせこましい

 

 

決定権は自分に在る

常に自分に在る

ということを思い出せれば

 

超楽しくなる。

 

ある動画を、翻訳しています。



いかに

 

幸せとは「自分の選択」であり

自由とは「生まれし与えられた資格」か

ということを伝えてくれてます。

 

見てみてください♡