無理しないでラクに生きる 頑張らない女の生態
画像Tverより
という番組を見ていて
該当インタビューの内容に対して
強烈な違和感を覚えたのでw
心理学的な見解と
わたしの主観的自論を・・・w
・頑張らない=サボる
・無理しない=怠惰に生きる
・ラクに生きる=自分に手を抜く
なんか
猛烈に違くない!?!?!爆笑
それはまるで
家事を手放して、汚部屋に住む
化粧を手放して、肌に手をかけない
料理を手放して、お菓子で済ます
子育てを手放す、育児放棄する
運動したくない、身体をほったらかす
って言ってるかのようで。
無理しない、ラクに生きる 頑張らない が、
自分を大切にすることを放棄する
大切なことを大切にしない生き方を選ぶ
ん、んなんか、
はき違えてない?
家事を手放して、家事代行にお金を払って
「大切な自分が過ごす空間を居心地のいいものにする」
化粧を手放して、
素肌を輝かせるケアを丁寧にする
料理を手放す、丁寧に作られた料理を
お店で美味しく感謝していただく
子育てを手放して、子育てのプロ、
シッターさんに、親に、友達に、
沢山の人に担ってもらって自分の負担を減らす
辛い運動を手放して、自分に合わない運動を手放して、
身体が気持ちいい心地いい、
体が喜ぶような身体の動かし方を
自分のために見つけてあげる
頑張らない、楽をするとは
大切なことを
蔑ろにすることではない
「大切なこと」ってもちろん
人によって違うし、違っていてOK
お風呂キャンセル界隈とか
むしろ面白いとさえ思うw
でも、「大切なこと」の定義が
「自分以外のこと」
「他者のこと」
「社会で評価されること」
にばかりスポットライトを当ててないだろうか?
もちろん、自分にとって
「仕事の〇〇をすることが自分にとって大切にしたいこと」っていう、
自分軸で選ぶ自分の人生においての大切なこと
もわたしたちは沢山あると思う!
でも、なんだか
外ではいい顔をして、ちゃんとして
頑張って・・・
自分のことは手を抜いて
その分、他のところで、外で
社会で、人のために
はしっかり頑張りましょうね。
そうしていれば?一応?
「社会人として、ちゃんとした人、常識的な人」
として
認められ、評価はしてもらえるから安心だしね?
なんか、なーーーんか、
違うだろ
むしろ、頑張らない・無理しない・
ラクを許すべきは
その「外側のこと」
の方だろ!!!w
この猛烈な違和感と、
その番組の趣旨というか
「この違和感の根本は私の中の
根本的な何を示しているのだろう?」
と客観的に捉えていってみたら
見つかりました!!!!
頑張らない無理しないラクな生き方
をしたいな~って思ってる人
そういう人は大抵、
「やりたくないこと」「自分以外の人のため」
「やりたくない仕事」「他人の期待のため」
「お金のため」「仕方なく」
にエネルギーを使っている。
自分を大切にすることに使う
エネルギーが残ってないから
自分に対して、頑張らない
エネルギーを使わない、
惰性と怠惰と怠慢で
自分におけることがおっくうになる
他人や社会のためには
エネルギーを使うのに。
これを
セルフネグレクト
と呼びます。
自分を蔑ろにする扱いのこと。
他人や社会のために使う
エネルギーを残すために
自分にかけるエネルギーを削る
無理をしない、頑張らない、無理をしない
の方向性が逆だと思う。
楽をするとは、
手っ取り早く物事を済ませて
快楽に流されるままに生きること
ではない
外に向けて頑張って頑張って
そしてたまに自分にご褒美をあげる
なんや、それ奴隷的扱いか、
頑張らない、楽をするとは
怠惰に惰性で生きることではない
頑張らない、楽をするとは
我慢をともなうようや苦しみを
自分に強いることに使っていたエネルギーを
自分を幸せにし、大切にして
愛情を注ぐことにエネルギーの
使い方を シフトすることである
花に水をやらない、
ほったらかす 手をかけない、
愛情を与えない
が、
頑張らない無理をしないラクな生き方
だということなら
それはきっと人生のどこかのタイミングで
自分自身から大きなしっぺ返しを食らう。w
誰かじゃないよ、
自分自身からしっぺ返しw
そして、運がいい人は
人生のどこかのタイミングで
「ええ加減にせーーーーよ!!!!」
とでもいうかのような
大事、大変なこと、
事故、病気、大困難
に見舞われることになる。
運がいい人はね。
「ええ加減に方向チェンジしろ!
ええ加減きづけ!」
と軌道修正がかかる
というのは、結構よく聞くシナリオ。
たまにクライアントさんからも
聞いたことのあるストーリー。
脅すわけではないけど・・・
自分の軌道修正は
早めにした方がいい
大事に見舞われて
強制修正させらるようなことに
なる前に・・・w