コミュニケーションにおいて
先日三女と話をしていて
「察してほしい人の言動」
というテーマで感じたことを
記事にしてみました♡
日本では、『察する文化』というものがあり
『空気を読む』文化があることは
誰もが知っていて、日本に住んでいれば
自然と身につくもの。
海外の人からは、特に日本人女性の
空気を読んで察する能力は『超能力?』と
言われるほどらしい。
これは日本人特有の素晴らしい感性なのだけど、
これが「マイナスの作用を及ぼす」点
があることも否めない
と私はコミュニケーション心理学を学んで
沢山の方のコミュニケーションパターンを
見てきて思うのです。
以前に書いたアメリカ旅行中に気づいた
『言語に頼りすぎなコミュニケーション術』と
それから脱した時に起こること
について書いたことがあります。
(よければそちらもご参照ください♡)
察しあう文化でずっと暮らすと
察っしてもらうことに慣れすぎて
(サービス過剰文化も相まって)
相手に察してもらうことにかまけて
自分の『伝える力』を磨こうともせず
察してもらうことに慣れすぎているがゆえに
『言わなくても伝わる』
な~~んてふざけたことを言っちゃう。
最悪の場合、
『ちゃんと察することができない相手の責任』
とか
伝える工夫を怠っておきながら
『理解できない相手が悪い』
な~~んて言い出す人もいる。
(これうちの夫w)
『言わなくても伝わる』とたかをくくっているのは
「こちらが言わずとも、わかってくれようとする
相手の努力に乗っかって甘えて楽をしたい」
という態度でしかない。
自分を磨く努力を怠って
人の努力に乗っかって
「わかってくれない」と文句を言う。
え、控えめに言って最悪じゃない?w
要は、
自分を磨くことを怠った甘えであり、おごり。
他にも起こることがある。
察することに常に気を張り
それを当たり前としていると
オモシロいことが起こる。
『自分のこともきっと察してくれるはず』
という視点で他者を見る、無意識に期待する。
『わたしもいつも察して気を遣って配慮して
人の気持ちを汲んでいるから、人も私の気持ちを
察してわかるに違いない』と疑わない
ということが起こる。
そして、そうしてもらえなかったとき
なんかメチャクチャもやもやする、
イラ立つ、不満や怒りが湧いてくる。
そして、さらに
ミスコミュニケーションやすれ違いを
引き起こして、いざこざの原因となる。
しんどくない???
常に察して気を遣って気を配って
気を配るって、氣エネルギーを配るだから
一歩間違えたら、多分その字のごとく、
メチャクチャエネルギー漏れして
疲れるんじゃないかと思う。
日本では『はっきり言わない文化』
というのがあり、それは『相手への思いやりの心』
と、調和を重んじる背景があるからなんだけど
なんだけども!!!
本当の調和ってさ・・・・
自分の想いをちゃんと言葉にして
本意を周りに伝えられるだけの
自分自身とのコミュニケーション能力
を土台にした上での相互のやり取り
であって
決して、
言いにくいことを濁して避けて
本当の気持ちを抑圧して、
相手の反応にビクビクしたり
そわそわし合いながら関わりあう
ことではないはず。
てかそれって調和じゃなくて
不調和じゃない???
と思うわけです。
自分の本意を尊重し、ちゃんと自分の責任で伝え、
(相手に察してもらうことに甘えて相手の責任にしない)
そして他者の本意も尊重できる姿勢
日本で昔から言われている
聖徳太子 憲法17条の
和を以て貴しとなす
の本当の意味を聞いたことがありますか?
以前何かの本で読んだときに
こんなことが書いてありました♡
和を以て貴しとなす
とは、一般的には
「みんな仲良く」と言った文脈で誤解されいる。
「本当のことは言わないようにして
他者と意見が食い違わないよう細心の注意を払い
周りの空気を読んで決してぶつかり合わないように
そうやってみんな仲良くしなくてはいけません」
というようなニュアンスで伝わっているけど、
本来はそうではない。
無言の協調性を勧めるものではないのです。
(これが同調圧力)
今この言葉は、協調というよりは
ほかと調子を合わせる「同調」を推し進めるような
角度で使われているように感じます。
でも本当はそれとはむしろ真逆で
自分の本意を積極的に伝え合うことと
互いの想いを積極的に
妥協なく議論しあうことを勧めるもの
決して周りに合わせて自分を小さくし、
それに互いが同調しあい
更に互いを小さくしあい、
狭く息苦しく気を遣いあう
ことを勧めているのではないのです。
(今の日本ってこんな感じがするな
って海外に行って帰国するたびに思う)
本来は
体裁を取り繕うのではなく、
みんなが相手を尊重しあい、
不満も含め意見はお互いに伝え合い
認めあって協調することが
なによりも尊いものだ
という教えなのだそうです♡
いに尊重しつつ
調和していこうとする「協調」
が重要か
という考えであり、
いかに「調和」に至る努力が重要か、
そしてその「調和」ができれば世の中は何事も成就する、
という力強い条文 なのだそうです♡
ということはやはり
言わなくても分かる、分かってほしい
察してほしい、察するべき
という、無言の同調とは
そもそもコミュニケーションではなく
ただの抑圧
ということになるわけだw
自分も抑圧、他者も抑圧。
同調圧力の出来上がりだ。
いや、多分それって日本人の本質じゃない気がする。
世界をきっての柔軟性があり
しかし芯が強い民族と言われている日本人
きっと本当は・・・
わたしは私自身の気持ちを汲むことができ
汲むだけで終わらせずちゃんと言語化して
必要とあればそれを、自分の言葉で自分の声で
責任をもって伝えることができます
わたしには自分の本意を
大切にし尊重する力があり
その本意を伝える力もあります。
それを他者の察する力に依存して
他責にしたりはしません
わたしは私の声をもって、
自分も他者も尊重した態度で
それを真っすぐ伝えることで、
人と真正面から向き合いたい人です
そして、あなたの本意も尊重して
受け入れる用意があります。
もしこのようなスタンスで関わることができたら
日本人の本当の潜在的な能力
察する能力も空気を読む力も
相手の背景を察する能力も
マイナスな側面ではなく
プラスの側面に大きく動いて
日本中が変わるんじゃないかと思うくらい
大きなパワーを発する気がする・・のです♡
相手の背景を見通すことができる
柔軟さをもった、しなやかな強さと
自身の領域(boundry)をまずは
尊重したうえで(←ここ大事)
他者を受け入れる許容力と
言わんとすることを肌で感じ取る直感力
みなの想いを柔軟に協調させて
新たな調和を共創して築く力
そういった方向にもし
日本人が自分の力を使うことができたら
社会のゲームチェンジャーとなる
そんな気がする♡