この旅の大きな目的
それは戦争について、
深く知り、見て、聞いて、体感すること。
先日のブログでも伝えたように
わたしが学んできたNLP心理学
そもそもはベトナム戦争によって
PTSDを抱えた多くの人たちの
治癒にあたっていたセラピストたちの
手法をまとめあげたことによって
出来上がった潜在意識を変化させる心理学。
ベトナム戦争がいったいどんな戦争で
なぜ引き起こされ、何が背後で動き
どんな思惑が隠され、
その渦中でどんな人々の想いがあり
社会にどんな影響を与えたのか
それを知りたくて、ベトナムへ向かいました。
そして、今回kkdayという
ツアーを紹介するプラットフォームから
「クチトンネルツアー」へ申し込みました。
クチトンネルとは、ベトナム戦争時
とんでもない量の焼夷弾、爆弾から逃れるため
そして、劇薬であった枯葉剤から身を守るため
カンボジア国境まで全長250キロ
250キロ!!!
にもわたって掘られたトンネル。
ベトナム戦争の最前戦となった地へ
半日のツアーへ、2日目の早朝より参加。
当時使われていたヘリ、そして戦車
アメリカによって落とされた
おびただしい量の爆弾。
その量は200万トン。
この量は、第二次世界大戦中に
アメリカが日本とドイツの両国に落とされた量を
上回るもの、とされています。
圧倒的な軍事力と最新の兵器、装備のアメリカに対し
装備も兵器もわずかのベトナムが対抗する手段
それが戦車と、地下からの奇襲攻撃。
トンネルの内部を見学するこのツアー。
現在はツアー客が見学しやすいように
レプリカとして、内壁がコンクリートで
固められ階段がつけられたものになっているのですが
実際のトンネルは、人が1人這って通るのが
やっとの通路、掘ったままの土のトンネル
その入り口がこれ
これが当時のまま保存されている
本物のトンネルの入り口の1つ
しかも、その250キロに及ぶ
トンネルは全て、手掘り。。。
国力が貧しく重機も装備も
軍機もない、全て、手元にあるもの
竹、カマ、竹籠を使って手堀りで
毎日毎日ずっと掘り続けていたとのこと
20年間もの間。
中に電気などは当然なく、
暗闇で掘り進めていき
その地下にひとつの町を
作り上げていったのです。
トンネル内で水を地下から組み上げる仕組みや
空気を外から取り入れ循環させる仕組み
調理場が設けられ、その煙が外に漏れて
敵に見つからないようにするための工夫が
ほどこされていました。
地上から空気を中に取り入れつつ
それが敵国に悟られない工夫のひとつがこれ
この岩のように見せかけたものが
地下に空気を取り入れる穴のカモフラージュ
になっているのです。
このような工夫が随所にされていました。
それから沢山の罠、しかけ。
装備も軍機もわずかな中
手元にあるもの、竹を削り
敵国の落としていった爆弾や戦車を
全てリサイクルする形でつくりかえて
工夫を凝らし、知恵を使っていたことが
随所に見られたこのツアー。
この環境下で20年、、、
20年もの間、泥にまみれ
血反吐を吐く思いで
戦い続けた人たち。。。。
想像を絶するものがありました。
わたしは広島で育ち、
平和教育を熱心に行う教育の元で過ごしました。
毎年学校のみんなで折り鶴を折り
千羽鶴をもって、毎年みんなで原爆ドームへいく
平和の歌を学校全体みんなで合唱し
戦争についての学習が授業で多く
取り入れられ、
戦争や平和について、
自ら考える
という時間を沢山持たせてもらえた環境で
育つことが出来た、
当時わたしにとって平和学習は
苦痛そのものでした。
なぜなら、アメリカと日本のハーフである
わたしにとって
自分のアイデンティティである
日本 の側面と
もう半分の
アメリカの側面との間で
大きな葛藤を抱える時間だったから。
アメリカ対日本
という構図に
心をいつも引き裂かれる思いで
どこか、『アメリカ人の血をもつ自分』
に、大きな大きな罪悪感を抱かざるを得ない
そういう時間だったから。
それでも目を背けず、
子どもながらに真摯に向き合ってきた
だから今があり、そしてここベトナムに来ている
次回へ続く・・・・・・