ずーっと放置しているブログ、

アメリカ旅の記事さえアップしないまま

半年が過ぎ、一人旅に行ってきたことを書こうとしています。

 

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4姉妹のママだけど、

2週間の一人旅に旅立った6月末。

 

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書きたいことは山ほどあるし、

ハチャメチャな珍道中になって

それはもう発見と、

体験とチャレンジの連続だったのだけど

 

 

今日は、2週間の旅を終えた帰国の飛行機内で

 

「この旅で気づかされたこと」

を書き綴ろうと思います。

(いきなり締めくくりw)

 

 

 

この旅でわたしはハッとし

ドーーーーンとふってきた

少し受け止めがたい気づきを得た。

 

それは

 

 

わたしは

あきらめ癖がついていた

 

ということ。

 

 

日本に住んでいると


「ちょっと我慢すれば済むはなし」
「これくらいのことは、諦めればいい話」

ということが、息を吸って吐くように
気づかぬうちにできるようになってしまう。

それに気づきもせず。

でも、この旅でわたしは
自分がちょっとしたことですぐに
「まーいいか」

「これくらいのことを気にするようでは大人げない」とか

「これくらいのことは諦めて然るべき」とか

「やってみてダメなら仕方ない」

 

たかだか1回やってみたくらいで

諦めのハードルをあまりにも低く設定していたこと

それらに気付かされた。

日本にいると、

とっても器用に生きるようになる。

 

自分の小さな小さな想いを脇において、

大人らしく振る舞うことも上手になる。

 

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だけど、海外に出てみて
「諦めちゃうとゲームオーバー」

な出来事に沢山出くわす。
「諦める」という

選択肢がそもそも用意されてない

 

そんな器用な

これまでのやり方は通じない。

「どうにかする」まで「諦めれない」
「どうにか出来るまで粘る、続ける」
しか選択肢がないのだ

諦めちゃうと、寝床まで帰れない

とか
食事にありつけない

とか、

そういうレベルで。笑


1人旅を10日間ほど続けた後

わたしは20年来の大親友と

バリ島で待ち合わせをしたのだけど

 

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あらゆる修羅場w

をくぐった後だったからだろうか

親友に言われてハッとしたことがある。

それは
「エリカは欲求をすぐに満たしたがるね」
と。

 

それを最初に聞いた時
『ネガティブな印象』

としてわたしは受け取った。

 

これは何も友人の

発した言葉がネガティブだったのではなく

自分の小さな欲求も見過ごさず

心のまま素直に応えようとすることは

ダメなこと

 

という

”概念の残骸”

わたしの中にまだ残っていたことを教えてくれた。

それと同時に、この旅の過程でわたしが
『小さな我慢をすることや、

自分の欲求をないがしろすること』

手放しつつあり

 

心に素直に従うことが

自然とできるようになっていること

 

に気づかせてもらう言葉でもあった。

自分の小さな想いに、心のままに
従って良いのだ

 

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そこに「あーでもないこーでもない」と

大人げに振る舞う仮面を大事にするための

思考を挟む必要性に

何もしがみつく必要などないのだと。




小さな我慢や、小さな諦めを

小脇に抱えながら器用に生きることは

ある意味とても楽なことだ

 

だって。

諦めれば済む話なのだから。
いちいち対峙して向き合い

取り組む過程をやらなくてすむのだから。

でもその小さな諦め癖を無理やり

引きはがされるような体験の連続は



実はそれらのその小脇に抱えた

小さな我慢という荷物は、

結構な重たさになっていたこと、

おろしてみてはじめてその重たさたるや、

そして降ろした後の

 

身軽さを実感に落とすことができた

とても自由だった

心のままに、自分の願いに素直になることは
同時に怖いことでもある。

何が怖いのか、きっとそれは


本物の自分を

全面に出した際に拒絶されること

への恐怖だろう。

 

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人は、本当の自分を周りから

拒絶されることは

耐え難い。

 

だから代わりに
「偽の自分」を生け贄にして、

この自分なら拒絶されても、

まだダメージは浅くて済む

という、妙な取引、

駆け引きをしているのだろう。

 

偽の自分ならば、

拒絶されてもまだなんとかしのげる、

深い傷を負わなくてすむと。

でも。ことさら本物の自分を

内からグルンとひっくり返して表に出すことは
それを拒絶されることの恐怖と対峙する

勇気という光を自分の中から

見出すことでもある

裏が表になり、表が裏になる瞬間

これまで諦めや我慢で裏に回っていた

本物の自分を、表にして光の元に晒す時

これまでにない美しい世界がみえ
また自分の中にしまい込んであった

たくさんの光も見つけ出すことになる。


諦めない って

あちこちで聞いたことのあるフレーズ

 

わたしは何も

「目標をもったら諦めることなく何が何でも!」

みたいな根性論や精神論を

崇拝しているわけではないし

 

むしろ、そういうのは

 

なんか、ヤダ

 

とさえ思っているタイプ

 

わたしが言いたいのは

諦めない根性論ではなくて

 

 

自分の願いや素直な想いに

蓋をして、諦めた顔をして

小さな我慢を抱え、本当の自分を

自分で遠ざけることを

 

辞めること=諦めない

という意味で言っている

 

この旅で

 

諦め癖を自分が持っている ということに

ドーーンと認めざるを得ない状況に追いやられ

無理やりにでも手放すきっきかとなった1人旅は

 

諦め癖で自分を不自由にしていた

自分の鎖をぶった切って

 

器用な小賢しさや

大人ぶった仮面をひっぺがし



身軽に 素直に

 

 

鮮やかに自由に

 

 

魂の素のまんまの純粋さを

 

 

表にして生きる清々しさを

 

 

体験させてくれる旅となった