前回の6月のアメリカ行き、

渡米直前に子どもたちのパスポートを手配し

日本を発ちました。

 

image

 

パスポートの発行には10日間ほどかかる。

 

それが手元にきて、

まだ父の命がもっている状態なら

子どもたちも夫も一斉にアメリカに来る予定

 

だったのですが、それは叶わず、

わたしがアメリカについて2日後

父は息を引き取りました。

 

 

今からもう半年前、6月のはなしですが

 

この時の経験は、

わたしの死生観を大きく変え、

 

不思議な話かもしれませんが

 

「ここにいる理由」

「生まれてきた意味」

みたいなものを、

”頭の理解”超えた

 

”実感”とか

”確信”

 

のようなものとして、

ふところの奥に『ズドーン』と座する

位置する、備わるような感じがした体験でした。

 

 

この時、家族みんなで来ていなくてよかった

1人で来るべきだったんだろうな

とも感じました。

 

なぜなら、もしこのタイミングに

家族みんなで来ていたら

 

わたしは、

 

 

「妻」という役割

「ママ」という役割

 

ましてや、「みんなの通訳」という役割までも

担うこととなり

 

 

わたしと父の間にある、言葉を持たない契り 

 

を読み取り、感じ取り、受け取って

この先の人生に生かすことが

 

できなかっただろうから。

 

あの時、妻やママや通訳という

そのタイミングにはふさわしくない

役割に気を取られていたら

 

 

ただの、として

1人の人として

 

父の人生と

自分の人生と向き合うことは

出来なかっただろうと思う。

 

 

子どもや夫はそのまま日本にいてもらい

わたしは1か月間を、

アメリカで過ごすことにしたのです。

 

 

この間の話は、とっても

大切なわたしの経験体験で、

わたし1人の胸にしまい、

独り占めにしたく、

今は誰とも共有しないと決めています。

 

 

 

ただ一つ、深く深く感じたことは

 

 

人はつい、

(一見)ネガティブ(と思うような)な出来事

に出くわすと、それについての

『ネガティブな事象にばかり焦点を当て』

「本質を見通す眼を曇らせてしまう」もので

 

 

例えるならば・・・

 

目の前にプレゼントを渡されて

その中身がいかにも『意に沿わないもの』が

入っていそうな雰囲気の

包み紙で覆われているとして

 

 

その包み紙だけを見て、

「中身を見たくない!」と言って

その包み紙を開けることもなく

中身をあけることなく、素通りしてしまいがち。

 

 

だけど、人生における本当に

本当に価値のあるプレゼントというのは

 

実はそういった

『ネガティブな包み紙で覆われてやってきて』

 

そしてその中身こそが、実は、

人生における偉大な、壮大な、

価値あるプレゼントであったりする。

 

 

人はついネガティブな事象を前にすると

それによって、悲しみや怒り、困惑や否定

逃避や無力感、罪悪感や後悔

 

を感じることもあるけれど、

 

それの先にこそ

 

本当は、

 

『本当のギフト』が置かれている。

 

 

つまりネガティブな包み紙をほどく過程を通して

今まで握りしめていた

硬くなった角質をそぎ落として

 

鎧が1膜、また1膜

1層、また1層とはがれていき

 

その奥にある、

 

 

本来の自分の、本当の姿

つるつるで柔らかくてピカピカで

光ってて美しくてキラキラの

 

本質があらわになる。

 

その過程とは、人生で最大級の

ギフトであり、プレゼントであり

喜びである。

 

 

父の死を通して、それを実感させてもらった

 

そういう意味で、父は

 

偉大なる大きな大きなギフトを

最期に残していってくれたと。

 

そしてそれを目を背けることなく

 

ちゃんと受け取れたわたしを

誇りに思ってくれているだろう

 

 

image

 

と確信した期間でした。

 

わたしが聞いたことのある言葉で

「これは本質だな」と身をもって

体験した言葉があります。

 

・人生における幸福は

不幸の顔をしてやってくる

 

・傷つくような体験はすなわち

癒されることである

     (ホ・オポノポノ)

 

 

これは本当だな・・・真実だな・・

と体感しました。

 

 

そのようなことにも気づきを得られるほど

自分に集中できた期間

 

image

 

この間、夫や子どもから離れ、

日本からも離れ、

アメリカの地で、日本語を話すこともなく

自分のアイデンティティのもう半分である

アメリカの自分が引き出される生活

 

アメリカの人たちと触れ

自然の中に身を置き、

穏やかにゆっくりと流れる時の中で

密度の濃い時間を過ごすことができました。

 

その代わりに、次は夫も子どもたちも一緒に

アメリカに来ようと決めていた

 

それが実現したのが11~12月の

1か月アメリカ滞在記♪