「強く、しなやかに、美しく」
自分を引き上げて成長し
自信と誇りをもった生き方を選びたい全ての女性に
NLP心理学と脳科学、コーチングで
NLP心理学と脳科学、コーチングで
自分らしく女性である人生を楽しみきるサポートする
NLPメンタルコーチの
エリカクリスタルです。
カフェで隣の席から聞こえてきた愚痴
ちょっとしたオマケ記事を。
明日は違う記事を書きたいので、
昨日インスタで告知した
「カフェで隣の席から聞こえてきた愚痴」
というものについて。
先日、外回りの雑務をしてた途中、
お腹がすいて寄った
結構人気の洋食のレストラン。
とても人気なので、
平日のお昼と言えど結構込み始めていて、
通してもらった席が
カウンター席だったんです。
テーブルに置かれた透明のついたて。
メニューに手を伸ばして
何を頼もうかと考え始めたところ、
すでにランチを食べ始めていた
カウンター席の隣の2人組の女性。
お話が盛り上がっていた様子で、
聞き耳を立てるつもりはなかったのですが、
カウンターの隣、
めちゃくちゃ聞こえてくる

全ての内容は把握していないものの、
どうやら不満がある様子でした。
職場の同僚、
職場の新人、上司、
そして夫のことを、
大変な勢いで愚痴っておられて。
「あ~~~私もそういえば
そんな時期があったな~~~!」
と思ったのです。
その頃は
愚痴を言う方法しか知らなかった。。。
だから彼女たちのやり場のない不満も
良く分かるのです。
だけど、同時に
「その愚痴は、言葉は、不満の感情は
あなたの脳は【自分に対して向けられたもの】
と捉えてしまうから、自尊心が下がってしまうんだよな~」
とも思う。
だから、私は心理学と脳科学を学び、
書物も沢山読み、
自分の人生において
誰かの被害者のように
ふるまうことを辞めたのです。
出来事は起こるし、
理不尽なことも起こる、
思い通りにいかないことも普通にある、
それを
「仕方ない、私はその出来事、人、状況、
環境の被害者であることしかできない」
「私の力で人生なんて
どうすることもできないのだから
だから愚痴でも言って
自分をなだめすかす方法で
なんとかやり過ごす」
「だって、どうしようもないじゃん、
仕方ないじゃん、
やり過ごすことしかできないじゃん」
という
無力を自ら味わうのが愚痴。
でもね、実は私も言います、愚痴。
ただし、それは相手が旦那さんです。w
しかも旦那さんと2人で
子供の愚痴を一緒に言い合ってます。w
子供が寝た後、
お酒を飲みながら
「うちの子たちって、
なんであ~~も片付けられないかね!!!」
と2人で愚痴をひとしきり言った後、
しぶしぶ2人で家を片付けます、夜に。w
で、
「でもあの子たちって、
こういうところが素晴らしいよね」
という話もします。
出来事は起こるし、
理不尽なことも起こる、
思い通りにいかないことも普通にある、
それをどのように捉え、
どのように自分にとって成長課題と
捉えられるか、
人生は、決して、無力な被害者として
やり過ごすものでなくてもいいのです。
ランチを食べながら、
日々起こる不満な出来事を並べ、
まるで、それが、自分が被害者かのように、
愚痴というのは、きっと
私たちが相手に
「こうしてくれればいいのに!
そしたら私は不満を抱かなくても済むのに!」
という押し付けから成り立つのではないでしょうか?
でも、
それって
・そもそも相手に対する妥当な要求なのか?
・自分が相手に求める当然の権利だと
勝手に思い込んではいないだろうか?
そう考え始めると、
自分の人生のハンドルを
握っている感じになってくると思う。
出来事に対して、
振り回され被害者として
人生の時間を愚痴でやり過ごすには
あまりに人生は短すぎる。
メンタルコーチとして、
どういうアプローチをしただろう、
それを延々と考えてみました。
まず私がしたであろうことは、
その出来事は、
「本当だったらどうであってほしかったのですか?」
と聞くところから始めたなと(^-^)
なので、もし愚痴を言いたくなったら
「本当はどうであることを望んでいるのだろう?」
「それは相手に対して、妥当な要求だろうか?」
「自分の目線で当たり前の権利だと、押し付けてしまってないか?」
と聞いてみる、
それだけで、
考え方が変わって
ハンドルを自分で握るきっかけになる。
愚痴は、愚痴として終わらせず、
自分に問いかけてみると
現状の考え方から抜け出す、
ブレイクスルーポイントになる!!!!
・愚痴は、自ら無力感を味わいに行くこと