おはようござます
ブログが過去最高記録、
更新していませんでした。。。。。。
その期間2週間。。。。。。。。
この期間、
私よく頑張った!!!!!
先に言っておっきますが
めっちゃバージョンアップしてます!!!
岡山より
「自分と自分の人生を愛する女性を増やす」
ビューティーライフサポーターの絵里佳クリスタルです
この2週間で、大きな集大成を迎えました。
「平櫛バレエ倉敷公演」
この舞台に立ったこと。
私は高校を卒業するまでの
12年間バレエを習っていました。
そのバレエを辞める時、すっごく寂しくて。。。
その時自分に誓ったことが、
「いつか必ずこの平櫛に戻ってきて、
舞台復帰する」
という夢をいだきました。
そして、そこにもう一つ加えたこと
それが「娘と舞台共演したい」という夢。
18歳の時、まだ結婚とか考えてない時でした。
その夢も実はず~~~~っと忘れてました
だったのですが、
約1年前、自分の生き方について
立ち止まって考え始めたころ
「私って何がしたかったんだ?」
「何のために生ているんだ?」
と延々と自問自答し、
結構苦しかった時期がありました。
その時には自分を満たすという
小さな行動を繰り返すことを
意識していたのですが、
その先に見えてきたものが
「忘れていた夢」でした。
それが先ほどの
「平櫛に舞台復帰する、しかも娘と!」
という夢でした。
それを思い出し、すぐに倉敷教室へ行きました。
その先生は私が現役時代に
指導をしてくれた先生ではないのですが、
その当時からいた先生で
私のことを知っていてくれた方。
「復帰したいんです!!!!」
と多分猛烈な熱量で押しかけて。。。笑
それを快く受け入れてくれました。
同時に4人姉妹の中でバレエをやりたい!と
言っていた三女もすぐに
レッスンに通い始めました。
もうそれは本当にキツくって。。
自分の身体も以前のようには動かないし、
眠ってしまって衰えた筋肉を
たたき起こすところからのスタート
週に3回~4回レッスンに
通った時期もありました。
その中で娘もレッスンに通わせる。
そして私は毎日24時間中、筋肉痛。。。
しかも、その期間の間に、
新しくエステの仕事も始め
NLPの資格の学校にも通い始めるという
ある意味無謀な挑戦をしていました。
(しかも初の幼稚園通いや、
小学校のPTAの部の代表をやるなどetc..)
とんでもなく私は無謀な
挑戦を始めてしまった~~~!
と最初はやり切れるかすごく不安でした。
それなのにまだ欲張った私!!!笑
当初バレエの公演は1曲のみの出演を
考えていたのだけれど、
先生のご提案で2曲出ることに
もはや無謀を通り越して、アホでした!
だって、振り付けが全ッ然覚えられない!!!
昔は1回ですぐ覚えていたのに、
全く覚えられない!!!!
自分のあまりのポンコツさに
ものすごくへこみました
だって一緒に踊ってる子たち、
まだ現役の10代とか20代前半よ?!
体力も記憶力も凄い!
全然ついていけなくて
挫折挫折でレッスンが憂鬱な日がありました。
だったのですが、
全部全部、全てやってきてよかった!
公演2か月ほど前に
公演のチケットを100枚を配るというミッション(ノルマではないよ?)
があったのですが、絶対無理だと思っていたら、
あっさり配りきれたのです!!!
沢山の方がもらってくれて、
その上他の方にも宣伝をして
「追加で〇枚ちょうだい?」
と言ってくれたり
あっという間になくなったんです!!
前日のリハーサルは
13時~21時までやって
翌日9時に楽屋入りして、
自分のことと娘の準備とで
てんやわんやでした
迎えた4月14日(日)の本番の日。
衣装を着て15年ぶりに舞台袖に立った感覚、
懐かしい緊張感。
そして風を切って舞台に走り出てくる感覚
広い観客席にいっぱいのお客様
身体に浴びるいくつものまぶしい照明
ひんやりした空気と静まり返った大ホール
その中に聴こえる音楽
そして身体から湧き上がるエネルギー
それをバレエという動きで表現し
思いっきり踊る感覚
その全てが懐かしくて愛おしくって
あ~ここに戻ってきたかったんだ
私はここが好きなんだ
私はなんて幸せなんだ
とそういう気持ちで踊っている
自分に気が付きました。
緊張とか全然してなくて、
ただただその場とその時間が愛おしくて、
それを踊るということで
身体いっぱいに感じていました。
娘の初舞台も素晴らしかった!
バレエをはじめたばかりとは思えないほど
上手になって、しっかりした踊りを
披露していました。
沢山の観客に動じず、
どっしりと構え、踊ることを楽しんで
やり切った彼女を私は
とてつもなく尊敬し誇りにおもいました。
娘と舞台をやり切った。
実はこの舞台は最後の舞台になるのです。
平櫛バレエという教室はこの夏で
閉校してしまうのです。
77年続いた歴史に終止符がうたれるこの公演。
このことを、私は舞台復帰したいと思い立って、
倉敷教室の先生ところへ行ったその日に
聞かされたのです。
「えりかちゃん、平櫛の閉校が3日前に発表されたんよ、次の公演がラストの公演になるんよ」
と。
あのタイミングはなんだったのだろう。
これを逃していたら、
私あの「娘と一緒に平櫛の舞台に立つ」
という夢は叶えられなかったんだ。。。
と思うと何かに引き寄せられたとか、
何か大きなものを感じました。
その公演の最後を飾る
出演者全員が舞台に出るフィナーレ。
みんなこらえきれず舞台上で
涙を流していました。
私もとてもじゃないけど
涙を我慢することはできませんでした。
でも、寂しさはもちろんあったものの、
それよりも感謝の気持ちが溢れてきて
この平櫛のバレエ教室に通っていてよかった、
通うきっかけをくれた母や、
復帰するために
レッスンに通うことを理解してくれた夫、
一緒に舞台に出たいと言ってくれた娘、
応援してくれた他の娘たち、
舞台を成功させようと
一生懸命の舞台スタッフさん
一緒に練習した仲間たち、
舞台進行に努めてくれた役員のお母さん達、
私が楽屋に居ない間も娘の世話や準備に
協力してくれたクラスのお母さん達、
100枚ものチケットをもらってくれた友達や
そのご家族、そして私の家族、
それからここまで来るために
熱心に指導してくれたクラスの先生。
そしてこの平櫛をひっぱり
毎年新たな芸術的な舞台を生み出した
全教室の代表の先生。
感謝が溢れて溢れて。
沢山の方のおかげで立てた舞台。
一人ではなく、
沢山の方のおかげで叶えられた夢。
舞台終了後、余韻に浸りながら
みんなで写真を撮っていたところ、
なんと、この平櫛の代表の先生が
話しかけてくれたのです
私たち生徒にとっては、もう超~偉大な方!!
旧姓で「○○さんよね?」と
実は私は高校3年生の夏の進路を決める時期、
この代表の先生に直々に
「うちの実業団に入ってほしい」
というオファーを受けたことがありました。
その時は初めて人生の分岐点に立たされ、
10代の小さな頭でとんでもなく
途方にくれるほど悩んだことを覚えています。
その時に出した答えは
実業団入りではなく進学でした。
先生はその時のことを
なんと覚えてくださっていて、
「あの時は残念だったけど
戻ってきてくれたのね」と
声をかけてくれたのです
もうそれでまた涙が止まらなくなり。
こんなにも偉大な先生の記憶の片隅に
いさせてもらえたこと!!!!!
これまた感謝が溢れて
私は今でも時々
「あの時のあの分岐点で
違う選択をしていたら・・・」
と想像することがあります。
その時の気持ちがあるから、
私はここに戻ってくることができたのかな
とも思ったりします。
私が15年前に抱いた夢を叶えられたのは
沢山の人の力があって
その夢をかなえた今、
私は大きな力を得たと感じています。
とてつもなく大きな力。
アホなんじゃないかと思うほど
無謀と思える挑戦も、
乗り越えられた。
だけど1人ではなく、沢山の方の力のおかげで。
この力を得た今、
もうここにいてはいけない
次のステージへ進まなければ
という自分で自分を後押ししている感覚。
もういるべきステージはここではない。
大きな感謝と
次なるステージへの覚悟を得た今
バージョンアップして私を
またここから作っていくことを
自分に約束しています。