我が家の子供達、
私をクレーム処理係とでも
思ってるのだろうか。


と思うことがあります😓



お菓子がない!
なんでお菓子がないのー!
冷たいお茶が飲みたいのにぬるいよー!
服がない!どこにあるのママー!
毎日頑張って綺麗にしてる家で
床にゴミをぽい。(言ってもなおらなーい)
一度に皆んなで喋って、全員で自分の話だけ
聞いてもらえないとクレームの嵐
〇〇が何何したー!
〇〇のせいで何何〜!
ママどうにかしてー!

とまー上げるとキリがないほど
日々クレームクレームです。

いやいや、
私はあなたらの願いを叶える
魔法のランプの精じゃないわっ


とつくづく思います。


「子育てってそんなものだから仕方ない」



なんて思うのイヤ!
なので考えてみました。

仕方ない=思考停止

新しいアイディアや
違う視点は見つかりません。

だから、まず何でだろう?
と考えてみること。



そうして気づいたのは、

子供にそうさせていた自分


自ら子供の
便利屋になっていたのでは?

ということ。


自分から望んでそうなるわけないじゃん!
と思うかもしれませんが、
そう思うのは自分でも気がつかない
無意識の価値観やクセで
その行動を取っているからだったりします。

私の場合

・子供のためにやれることは何でもするべき
・何でもしてあげるくらいじゃないと
    母親として愛してもらえないのでは?
    母親失格になるのでは?
・子供の問題を自分の問題として
    捉えてそれを解決してあげなくては!
    と思っていたこと。

というべき思考や、恐れからくる考え方。

でもその先には
・子供に毎日快適な生活を送ってもらうために
   自分にできることを精一杯してあげたい

というポジティブな気持ちがあります。

子供のこととなると、
多くの母親はつい頑張りすぎてしまう。

子供の領域に入り
快適な状況になるまで
何でもやってあげてしまう

この傾向が自分にはあるのかな
と思っています。

なので
子供と自分の境界線を
はっきり意識しておく

ことはとても大事だと感じています。


快適な状況は
ママに作ってもらうものではなく
自分で作り出すものだ

ということを子供に
理解してもらう必要があります。

赤ちゃんは泣いて怒って不快を知らせ、
快適にしてもらうという目的を果たします。

ある程度の年齢になれば、
不快はママに取り除いてもらうものではなく、
快適は自分で作り出すものだ

と親が教えていく必要があり、
そのためにはまず、
ママの私が自分にとっての
快適を維持すること


子供の要求に

それはできない
その要求は叶えられない
その行動はママはいやだ

と理由をそっと添えて伝える。
(否定や拒否や叱責ではなく
 あくまでも伝える)

何でも叶えてくれる完璧スーパーママ
になろうとしなくてもOK!

きっとどこのママもやれることを
精一杯やっています。

でもママだってイヤなものはイヤ
出来ないことは出来ない
それでいいのではないでしょうか?


お菓子が無くてもお茶がぬるくても
服がなくても、

ママここまでは頑張ったんだよね〜
期待に添えなくてごめんっ!
くらいで私は丁度いいと思うようにしてます😆

子供が順番に話してくれなくても
一度に全員で喋っても
〇〇ちゃんの話のここ聞き取れたー!
〇〇ちゃんはこの部分ー!
話が繋がらないわー笑
1人ずつ教えて?とか
話を想像でつなげるとゲームにするとか

子供同士のケンカも話だけは聞いて
相手にどうして欲しかったのか
自分はどうすれば良かったのか
それだけ引き出して後は任せる。


自分と子供との境界線を大事にして
理不尽ー!と思うことを
自分で選ばなくて済む状況、
ご機嫌な状態を自分で作る

そうしてお互いに
自分で自分をご機嫌にたもつ
好循環がうまれればいいなと思います♥️