数日前のこと
突然・・
義父の「愛」を感じ、
自宅のベッドで大号泣しました
義父が私に与えてくれた「愛」に
関しては、
だいぶ理解していた「つもり」だったけど。
そんな理解してた「つもり」ってのが
一瞬で吹っ飛んでしまった
「頭での理解」と、「体感として腑に落ちた瞬間」で
こんなにも違いを感じたのは、久しぶり。。。
あの日、ベッドの上で
ポーッとしてたら
(こうゆう時間が、最近とても好き♡)
厳しさも、愛。
って言葉が、突然ふってきて
「厳しさも、愛」って、
試しにつぶやいてみたら
水風船がパーンって弾けるような勢いで
涙が止まらなくなり、大号泣しました
走馬灯のように昔からの記憶が
ダダダダダーと脳内再生され、
義父の厳しかったアレコレについて
思い出した時の、私の体感が
今までとは全く違った、
100%感謝モードになっていました
そのあと、
出てきた言葉は
長い間、受け取れなくて、ごめんね。
やっと、受け取ることが、できそうです。
(号泣、のち嗚咽・・)
いつも、私に愛を注いでくれて、ありがとう。
次に、この言葉たちを
イメージで、義父に伝えました
・・号泣
今までは、
義父に、どんなことをされたか?
ってゆう、行為そのものが
ずっとずっと許せなかったし
ひっかかってたけど、
今回は、その行為はどうでもよくて
義父の気持ちに目が向いた感覚
小さい頃から
義父の
大声が怖かったし
叩かれて痛かったし
人前でビンタされて恥ずかしかったけど、
今回は、
そうゆうことじゃなくて
当時、義父は
どうゆう気持ちだったのかな?
わたしに怒鳴ったりしないといけない状況って
どんな気持ちだったんだろう?
とかとか。
そうゆうのが、
一気に私の体感として、
バーンと入ってきて
結果・・感情が溢れて大号泣になりました
自己受容はじめた最初の頃、
暴力にも愛はあるのか?とか、
「愛」を探しまくって
苦しくなった時期もあったけど
こうやって癒しが進んでいくと、
自然と、ゴッソリ
頭での理解ではなく、体感として
「愛」を感じてしまう時が来るんだね〜
ビックリだ
愛を持って、
厳しく育てるという決意をしてくれた
義父に
心から、ありがとう
これにて、ようやくマルッと
整った感じ
実は、今回
この大きな気づきがやってきたのは、
1つのキッカケがありました
YOGA仲間との、出逢い
今回の気づきの、前日のはなし。
RYT200の講義の中で
「受け取った愛」について
A4用紙1枚にまとめて発表する、って
課題があって
最初、わたしは無難に
旦那さんからもらった愛について
発表しようと思ったのだけど
なんとなーく、義父のことを
話したくなり。
私の生い立ちから、家族構成や
幼少期のあれこれについて、
みんなの前で、話をしました
「受け取った愛」ってゆうお題だけど、
小さい頃は全然受け取れなくて、
今、ようやく受け取ることができつつあるかなー
って感じです、って、
愛を受け取りきれていない現状も
正直に話しました
とっても勇気がいったけど、
みんな優しくて
大阪弁を喋る
かわいいヨギーニ(←ヨガする女性の意味)たちは、
「そんなんじゃ、小さい時に愛は受け取れへんよなー」とか
「兄弟おったん?1番上でそんな状況やったら、
そりゃ大変やわー」とか
「わー、もっと色々聞きたい!」とかとか。
めちゃめちゃ
寄り添って共感してくれて
今まで自分の生い立ちを話すことに
ものすごく抵抗があったから
ずっと隠して生きてきたけど
あ〜、みんな、そんな風に思ってくれるのか
私にどんな背景があろうと、
私の価値は変わらない
そう体感できた瞬間でもありました
そして、
またひとつ
何があっても大丈夫が積み重なって、
ドーンと癒しが進みました
そして、その翌日くらいに
大きな気づきがやってきた、という流れに・・
勇気を出して、話したご褒美かな?
わたし、よく頑張ったぞ〜
余談ですが、
今回の大きな癒しのお手伝いしてくれた
ヨギーニの1人が
「さやか」ちゃんだったんですね
あと、
みなさんご存知の通り、
わたしの自己受容の師匠は「さやか」さん
そして、
わたしの娘の園の、担任2人の名前も
なんと2人とも「さやか」先生
2019年は
「さやか」という名前に、
とってもご縁があった1年だなぁと
そんな感動も味わっていた、最近の私です
ではでは、また〜