今朝、感じたこと。

 

 

 

わたしがいつでも

その時の最高・最善を選んで行動しているように、

 

相手もその時の最高・最善を選んで行動している。

 

 

 

 

欲しかったものではないかもしれないけれど、

そこには相手の「想い、考え」が必ず「ある」

それを「愛」と言うのかな?

 

 

 

 

そう思ったら、すべてに「ありがとう」だなぁ。

 

 

 

3月末の、このあたり

▶︎世界がひっくり返った感覚がした時

 

 

 

よりも、もっと全体に対して?

もーっとすべての事に対しての感謝、って感じ。

 

 

 

 

自分を責める必要なんてなにひとつなくて、

同じように、相手を責める必要も、なかったんだなぁ。

 

 

 

わたしは、私のすべてを許します。

そんな感じ。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「自分が死ぬか、相手が死ぬか」でしか、一生解決できないと思ってた

 

暴力に対しての捉え方も、少し変化している。

 

 

 

 

 

一生許せないって思ってたし、許す必要もない、って思ってた。


 

 

 

 

 

でも、そもそも、相手を「許す」って単語を使うこと自体に違和感。なんでだろう?

 

「許す」って、相手に何か不都合なことを「された」って前提を感じるからかなぁ。

 

 

 

 

なんか、今は、

許すとか許さないとか、そんなこと関係ない

って感じになってて。

 

 

 

 

 

そう考えたら、相手のことに関しては、

そもそも、全てが「許す」も「許さない」も、無いのかもね。

 

 

 

 

これ、あくまでもわたしの感覚の話ね!!

 

 

 

 

 

***

 

 

 

とにかく、いろんなことが一気に腑に落ちた。