今朝、感じたこと。
わたしがいつでも
その時の最高・最善を選んで行動しているように、
相手もその時の最高・最善を選んで行動している。
欲しかったものではないかもしれないけれど、
そこには相手の「想い、考え」が必ず「ある」
それを「愛」と言うのかな?
そう思ったら、すべてに「ありがとう」だなぁ。
3月末の、このあたり
よりも、もっと全体に対して?
もーっとすべての事に対しての感謝、って感じ。
自分を責める必要なんてなにひとつなくて、
同じように、相手を責める必要も、なかったんだなぁ。
わたしは、私のすべてを許します。
そんな感じ。
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「自分が死ぬか、相手が死ぬか」でしか、一生解決できないと思ってた
暴力に対しての捉え方も、少し変化している。
一生許せないって思ってたし、許す必要もない、って思ってた。
でも、そもそも、相手を「許す」って単語を使うこと自体に違和感。なんでだろう?
「許す」って、相手に何か不都合なことを「された」って前提を感じるからかなぁ。
なんか、今は、
許すとか許さないとか、そんなこと関係ない
って感じになってて。
そう考えたら、相手のことに関しては、
そもそも、全てが「許す」も「許さない」も、無いのかもね。
これ、あくまでもわたしの感覚の話ね!!
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とにかく、いろんなことが一気に腑に落ちた。