ずっと書けなかなった日記があります。
長野の母方の祖父が亡くなったときのこと。
ツラくて思い出すと涙が止まらなくなります。
だからか書けませんでした。
3年が経ちました…少し書いてみようと思います。
2023年2月7日に亡くなりました。
その頃は、
1、2週間関東から長野まで何往復もしました🚗
尿が出なくなったと病院から連絡があり、母が祖父の入院している病院へ。
尿が出なくなると24時間以内…。
私は覚悟を決め、連絡待ちの待機。
亡くなる1週間前に母が病院の先生に掛け合ってくれて、PCR検査を受ければ、病室で会ってもいいと配慮をしていただきました。
PCR検査待ちの車内から撮った写真
車でPCR検査を行い、OKが出たので病室へ。
看護師さんが話しかけてくれて、じいちゃんに会うことが出来ました。
私は目を涙でいっぱいにしながら、言葉をかけました。
だけど天井のみを瞬きもせず見つめているじいちゃんに、悲しさが更に込み上げてきました。
大好きなじいちゃん。
私の幼少期の育ての親です。
クソジジイ❗️と言った反抗期の頃もあります。
病室でじいちゃんは何を考えていたのかな。
入院した途端に、認知症になりました。
もう会話が通じなくなりました。
その1年前には、私は結婚しました。
約1年前に、家族顔合わせの場をもうけてくれて、家で顔合わせをして、じいちゃんに仕切って貰いました。
感謝でした。
旦那のことをじいちゃんは大絶賛で気に入ってくれていました。ありがとう。
また、私が体調悪くて帰省し1ヶ月半滞在したときは、何も言わず見守ってくれました。
優しさに感謝でした。
その頃からじいちゃんも具合が悪かった。
肝硬変でお腹に水がたまっていました。
本当に酒好きでした。
子供の頃は二人でよくスキーしに行きました。
楽しかった思い出があります。
じいちゃんとばあちゃんと白馬で壊れそうなゴンドラに乗って軽い山登りしたこともあります。
とてもいい思い出です。
私が2人のことを忘れてしまったら、思い出す人がいなくなってしまったら、…とても悲しいから。
沢山思い出そうと思います。
じいちゃんを乗せた霊柩車が家から出棺した際、村の人達がそれぞれの家の前で頭を下げてお見送りをしてくださいました。
沢山の方がそこにはいました。
霊柩車のクラクションの音とともにバスも動き出し、
そのなんとも言えない光景に涙が止まりませんでした。
告別式には本当に多くの人がお越しくださり、
じいちゃんの人柄がそこに感じられました。
沢山の思い出があります。
そのことにも感謝したいです。
気持ちの整理ってとても大切。








