稽留流産になったあとの手術は痛くて辛かった。全身麻酔で理性を失っている私は麻酔が切れてくると同時に大泣きしていた。朝から禁飲食で涙は出なかったが子供のように声をだし、大泣きしていた。看護師さんはその間、私の手を握り私の木本が落ち着くまで慰めてくれた。その時でさえ、私は「こんな風に寄り添ってもらえると安心するなぁ。看護師って本当に素晴らしい職業だ。自分もこんな風に思われる看護師さんでいたいな。」なんて仕事のことも考えていた。
看護師さんに言われたことで気付いたことがあり、「もっと辛いって言っていいんだよ。いつもクールに表情変えないから、泣いてくれて嬉しいよ。」と言われたとき、私ってそんなに辛い状況にいるのだということだった。それまでは、妊娠しないことが辛くてもそれを言っても前に進まない。ただ前進あるのみ。ということだけを考えていた。自分の辛いとか悲しいとかいう気持ちに十分向き合うことができなかった。辛すぎて考えたら前が見えなくなりそうになるからずっと気持ちにふたをして日々を過ごしてしまっていた。稽留流産し、おなかの子はお空に帰ってしまったが、そんな私に見かねて「辛いときは辛いと言わなきゃだめだ。誰かに言わなきゃお母さんが辛くなるだけだ。」と教えてもらえたような気がした。
また、妊娠したと同時に私はとても不思議な気持ちにも陥っていた。「あれ?私、本当はもう少し後で子供できてもよかったかも。旦那さんと2人でも楽しい生活だったじゃん。」ということだった。なんというか、その時に私は自分のためではなく周囲の期待に応えるために不妊治療にまい進していたことに気付いた。今までの人生で私は自分に正直に生きてきたつもりだったが、母親や父親、兄弟ことを考えながら自分の道を決定してきたことが大半だった。結婚する時でさえ、どこかで母親や父親に好かれる人と考えていたようなところがあったと思うし、結婚するということ自体、どこか世間体や母親や父親の望む自分を考えていたようなところがあった。その頃は自分のための不妊治療ではなくなっていた。義理の両親や両親、世間体のために行っていた不妊治療だったのだ。
そのあとの私は、もちろん治療を継続するかどうしようか迷った。だって、その時の自分にとっては看護師の仕事があればそれで十分だと思っていたから。しかし、旦那とたくさん話し合い、ゆっくり自分の気持ちを見つめ、年齢的なことや今子供を持たないという選択でいいのかということをよく考え、もう一度不妊治療を続ける決断をした。
稽留流産したことはすごく悲しかったが、これから私が生きていく過程において私にとってはいろんなことに気付くきっかけとなった。
