母との最後の1日は、壮絶だった。
この数日、胸のかゆみを訴えていた。痒くて苦痛に顔を歪めるほど、真冬にもかかわらず寝巻きの胸をはだけて、かきむしっていた。
乾燥が原因だと思って、最初はアロマオイルでさすった。
けれど効果はなく、どうやら原因は乾燥ではなく、神経的なもののようだった。
そして、最後の日、そのかゆみは、激痛に変わった。
朝、いつものように体を拭こうとしたら、痛い、と顔を歪めた。
痛みが取れるよう、少し眠ろうか、と痛み止め用に処方されていた医療用麻薬の座薬を使った。昨日までなら、それで少しうとうとできていたのに、どうやら、それも効いてこない。
そのうち、その痛みは強さを増し、息を吸うたびに、母は小さな悲鳴を上げるようになった。
1分間に2〜3回と、呼吸回数が減っていた母は、3秒くらいかけて肩で大きく息を吸い、20秒くらいかけて大きく吐き、20秒は無呼吸、そしてその後、また息を吸う、という状態だった。
息を吸うたびに激痛で両手を天に伸ばし、胸をかきむしって苦しんだ。
そして、その後20秒で意識を失い、無呼吸の20秒の間、安らかな表情になった。
そして、その後、息を吸うタイミングで、また激痛に意識を呼び戻され、ほとんど残っていなかった力で両手を上にあげ、空気を掴むような仕草をする。
当直の医師に電話をすると、
「今日は日曜だから、診療はできない。また、薬局も休みで、新しい薬の処方はもできない。今ある医療用麻薬で十分に効果が出るはず。だから、痛みが取れて眠りに着くまで、30分間隔で座薬を入れてあげてください。」とのこと。
何度入れても、効果が出ない。
「もう2時間経ちましたが、効きません。」と電話して医師に泣きつくと、
「続けてください。必ず、薬は効いて眠る時がきます。ただし、この医療用麻薬はとても強いものであり、もしかすると、お母様は、もう目覚めない可能性があります。
ご家族には、非常に辛いですが・・・」とのこと。
もう、目覚めないほうがいい。母がこんなに辛いのならば。
座薬を入れた後、指を離すと、溶けた薬液がおむつに流れ出てしまっていることに気づいた。もう、肛門の筋肉が機能していないようだった。
そこで、薬が出てこないよう、座薬を入れるたび、次の座薬の時間になるまで、指で肛門を抑え続けた。
それでも、効いてこない。
「もう3時間も苦しんでいます。」
「続けるしかないです。」
そんなやりとりを医師と何回しただろうか。
7時間後、ようやく麻薬が聞いてきた。
母は、深く水に潜ったあと水面に顔を出して、久しぶりに息をするような、そんな呼吸を繰り返しながら眠った。
「母がやっと眠りました。これ以上の苦痛はもう与えたくありません。目覚めたら、また激痛が襲うなんて・・・。母が、もう目覚めないようにするには、どうしたらいいですか?」
医師にそう尋ねた。
「お気持ちはとてもわかります。本当に辛いと思います。でも、それは、医療行為としては、できません。」
そう言われた。
もしも、病院で最後を迎えていたら、きっと即座に眠らせる薬剤を投与してくれていただろうに。
在宅介護だからこそ、耐えなければいけないのか・・・
自分たちのの選択は誤っていたのだろうか?
激しく葛藤した。
どうか、母が目覚めませんように。
このまま旅立ちますように。
もしも目覚めてしまったら・・・枕で顔を抑えてあげようか?
どうか目覚めませんように。
そう願いながら、いつも通り、子供たちの夕飯を用意し、一緒に食べる。
いつも通り、子供たちをお風呂に入れ、勉強する子、ゲームをする子、それぞれの時間を過ごしていた。
時々、ばあば寝てるかな?
と子供たちも、それぞれに確認をしながら、いつも通り、過ごした。
21時になったので、布団を敷いて寝る準備をしよう。
埃がたつから、ばあばのいる和室のドアを閉めておこう。
そして、みんなで布団を敷き終わって、ドアを開けた。
ふと、母をみると、息をしていなかった。
ああ、神様、ありがとう。母を起こさずにいてくれて・・・
そう思った。
そして、頑張った母を、最期の戦う姿、その勇気ある姿を、私たち娘や孫たちに見せてくれたこと、誇らしく思った。