アラフィフりかこの
【ときめきメイク】
にようこそ!
ときめきメイクで自分をごきげんにする魔法かけていくよ!
清く品よく面白く!
自分を愛するワタシになる!
ときめきメイク推進委員会のりかこです。
私は現在、特に30代~50代の自分を変えたい女性のためのメイクサポートをする仕事をしています。
今でこそ、3000人の女性に対してメイクアドバイスをしてきましたが、ここまで決して順風満帆な人生というわけではありませんでした。
ここでわたしの半生を紹介させてください!
ストーリー➀:誕生~就職まで
興味ない人は飛ばしてください!笑
もう聞いた人も飛ばしてください!!笑
超絶地味な幼少期
とにかくおとなしくて、人見知りらしかった子供時代。
だからか友達が少なかった幼・小・中学時代。
両親が厳しかったこともあり、無意識の中で常に「怒られたらあかん!」と思い込んでいるのか、自分の思っていることを素直に口に出せない子供でした。
運動も苦手で、お友達とも積極的に遊べない。
幼稚園や小学校の頃のアルバム見たら、どこか控え目でさみしそうな地味な女の子がポツンと一人……あまり友だちのいない子。
大阪の端っこの田舎の方で育った私は、地元の中学校は荒れてたので、不良に絡まれない程度に目立たず騒がず、お勉強だけこっそり一生懸命やっていたみたい。
唯一、勉強して成績が上がったときだけ両親から褒められたから、きっと嬉しかったんやろねぇ。
一人で本を読むのは好きな少女時代。
少し楽しくなってきた高校時代
地元で一番偏差値の高い公立高校にめでたく合格。
中学までと違って、品行方正明朗活発!という学校で、校風もとっても自由。
今までより少しでもキラキラな高校生活を送りたかったので、部活もダンス部に入り、友達と呼べる仲間もでき、それまでの人生と比べて充実してたし、楽しかった。
でもやっぱり、本当に自分のやりたいこと、好きなことはわからなかった。
自分の想いはあまり人に言えない人。
何もしなかった大学時代
わたしのいた高校は国公立を目指す子が多かったけど、わたしは英語と国語以外全くついていけず、何とか私立の大学に合格。
それでも(関西では)名門私立。
初めてのマンモス大学、そこはいきなり大人の社会!
ワクワクしたね~。
何より私にとっては人生初のアルバイトデビュー!!
うちはお金にも厳しく、子供にはお金を持たせない、欲しいものもなかなか買ってくれない教育方針。
なのめ大学生になったらバイトしまくる!自由に使えるお金を稼ぐ~!!それで好きなもの買って、好きなとこ行く~!!
というのが一番嬉しかった。
そんなわけで大学の授業もそこそこに扶養ギリギリまで稼いでた。
大学といえばサークルだけど入らなかった理由は2つ。
1つはやっぱり家のこと。門限厳しく飲み会などもってのほかだから、もし入っても付き合い断らなければいけないことが心理的負担だったこと。
2つめはやっぱり子供時代から大勢での人付き合いが苦手だったのがあるのかも。
根本で自分に自信がないから、大学という大きな社会が怖かった。
マンモス大学なのに仲間はごく少数の友人と彼氏だけという、やっぱりどこか自分とごく狭い世界の殻に閉じこもり、せっかくの大学生ライフに蓋をしていた日々…
超就職氷河期に一流企業に就職
地元でのバイト三昧の大学生活もあっという間に就活突入。
受験では良いところに行けば人生幸せになれると教えられてきた私は、良い会社を目指して会社研究・SPI対策・面接対策に余念なし。
そう、目標さえ見えればそこに向けて必死に突っ走れるのが私の良いところだったよう。
ただその目標の立て方が、自分軸じゃなかったけどね。
その甲斐あって女子大生人気ナンバー1と言われた業界1位の損保会社の内定をゲット。
これは大きな自信につながった。
だけどすぐ、入社してすぐ自信を無くす。
同期も先輩も上司も有名大学卒、学生時代は何かスポーツで花咲かせて、サークル活動を謳歌して、人気の街に住んで、みんなすごい人、バリバリキラキラした人ばかりで圧倒されっぱなし。
希望の部署には配属されず、自分ってやっぱり一流企業からみたら、田舎育ちだし、顔も普通だし、頭も普通だし、何の取り柄もないんだとへこむ。
裏を返せば希望の部署に配属された同期が羨ましかっただけ。
同期に負けたくないから強がって、人手不足で仕事が忙しくて、新人だから何やってもわからなくて当たり前なのに、あまり周囲に相談できなくて、聞くことできず、精いっぱい仕事に追われ、代理店対応に追われ…。
頑張って頑張って3年。
その頃心が壊れかけ
体が悲鳴を上げ
誰にも相談することなく
人生初めての診療内科行き
とにかく一番つらかったのは両親、
特に母親の言動だった。
もう無理、辞める
ってなったとき、
何で辞めるん
の一刀両断。
心療内科通ってることも親には相談できず、会社を辞めると上司に報告してから親に報告。
精一杯の人生の決断を正面から反対された。
「なんでそんな一流企業辞めるん」
「もったいない・・・・・・」
誰もわかってくれない絶望とはこのことか。
孤独で人生どん底感味わう25歳…。