2023年12月30日 YOUTUBEライブ配信の時のシナリオを公開します。
YOUTUBEライブ配信の時と、その後の、続編の動画でも、
全部は語っていない所がありますので、
文章としても残しておきたいです。


シナリオ  _ 2023/12/30

いつも、私のチャンネルを視聴していただきありがとうこざいます。
Youtubeでのライブ配信は、2回目になります。

この機会に、今年一年を振り返り、また、人生の一区切り、今まで生きていた中で、人生を振り返ってみたくなり、総まとめを兼ねて
ライブ配信という形で、まとめてみる事にしました。
今年一年で、ほぼ、既に、様々な事を語ってしまっている為、
今回は、ダイジェスト版という事で、総集編的な形で、
語ってみたいと思います。

今回は、コメントを優先いたしますので、必ずしも、すべて語れるかどうか
わかりませんが、出来るだけ、コメントに答える事を優先しながら、
まだ、語っていない事を、改めて、語ってみたいと思います。

想定では、約1時間を想定に、ライブ配信を致しますが、たぶん、1時間では収まらない可能性があります。
2時間ぐらいやっても良いですが、私の集中力が持続しないため、1時間ぐらいとさせていただきます。

私は、去年までは、当チャンネルの中で、声出していませんでしたが、
今年から、声出しする事にいたしました。

その結果、チャンネル登録者が倍以上に増えて、
チャンネル登録者の皆さんに感謝致しております。
ありがとうこざいます。

色々と聞きたいことがあれば、チャット欄にコメントしてください。
コメントを優先してお答えいたしますが、
コメントによっては、答えられない事もあります。
難しい話(時事的な話等)や、個別の個人名称や、プライベートな話題が出てくるような話題は、避ける事にいたします。
その場合は、ノーコメントとしていただきます。
よろしくお願いいたします。
 

————————————————————————————————————

私は、現在、59歳。
あと、1ヶ月で、60歳となります。


もう、数多くの動画の中で、私のロリィタ服を着るきっかけになった事や、
私のトランスジェンダーという事の話は、
数多くの動画で語ってしまっているので、省きます。

今日は、お洋服の話題よりも、スピリチュアル的な観点から、おいたちを語ってみたいと思います。

私の幼少時から、語ってみます。
スピリチュアル的な観点から、おいたちを考える時、やはり、
幼少時にきっかけが多数あり、最終的に、スピリチュアルに興味を持ち、
この世界に入ってきたという事があります。

幼稚園の頃。
私は、家に大型のステレオがあり、レコードをかけて、クラッシック音楽を
聴いていました。主に聴いていたのは、ハイドン、バッハ、ショパン、・・など。
幼稚園や学校から帰ってくると、ステレオを立ち上げて、子供の頃から音楽鑑賞を
していて、あまり元気に外で遊ばず、子供らしくない子供でした。
友達は少しいましたが、男の子とはほとんど仲良くなれず、
男の子の友達は、ほとんどいませんでした。
女の子の友達は、結構、いました。学校でも、仲良くなるのは女の子でした。
近所にも女の子の友達が何人かいて、いつも遊んでました。
その女の子の家に行くと、ピアノが置いてあり、
ピアノが欲しくなり、ピアノを習いたくなり、
親にピアノを買ってもらう事になりましたが、しかし、残念ながら、
親がピアノが買えないので、代わりに、オルガンを買ってもらいました。
そして、毎週1回、オルガンの先生が家庭教師で来て、オルガンを習ってました。
バイエル。ピアノを習ってる人ならわかると思います。
黄色のバイエルまで行きましたが、途中で挫折して、結局、1年ぐらいで
やめてしまいました。私は、楽器の素質はなかったようです。
小学校もある程度上がっていくると、女の子から拒否されるようになってきて、
結局、女の子の友達もいなくなり、いつも、一人、孤独の学校生活でした。
男の子の好むようなものは好きではなく、女の子が好むものが好きでした。
お洋服もそうで、考えてみると、小学校から、女の子が着ているドレスが
着てみたいと思ったりしていました。
でも、女の子が着ているお洋服やドレスを着たいとかを親に言う事は、出来ないので、悩みました。
一度、小学校5年の頃、ある男の子が演劇で女装して出てくる劇があり、
感激しました。
あのようなドレスが自分も着たくなりました。
でも、どうやったら手に入るかはわからなくて、憧れていました。

スピリチュアル的きっかけのため、話を、幼少時に戻します。
クラッシック音楽を聴いていた時、いつしか、瞑想に入っていきました。
自然に瞑想的な気持ちになり、意識がヨーロッパへ飛んでいました。
そこで、いつも、森が見えてきました。
小さな家があり、そこに和やかに過ごす家族が見えてきました。
そこは、ヨーロッパ。ドイツである事が、なぜかわかりました。

なぜ、自分は、今、ここにいるのだろうか。
不思議に感じた事が何度かありました。
なぜか、違う世界へ来てしまった。なぜ、自分はここにいるのだろうか?
そう感じた事が何度もありました。
この世界に現実感がないのです。
本当は、私は、ヨーロッパ、ドイツにいたはず。
そう、私は感じました。
私は、そこで、ふりふりのドレスを着ていました。
和やかな家の中で、家族に囲まれてふりふりのドレスを着てる子供、女の子でした。

小学校低学年の時は、周りからは、よく女の子に間違わられました。
親戚に行っても、「可愛い、女の子みたいですね」とよく言われました。
そして、母親からも、「なんで、貴方は、女の子に生まれてこなかったの?
生まれてきていたら、可愛いお洋服を着せてみたかった」と言われました。

その頃から、自分でも、なんで、自分は男性なのか?
と疑問を持つ事もありました。

女の子のように可愛いかった為、よく、学校では虐めの被害にあいました。
だから、周りに仲の良い友達はほとんどいなかった事もあります。
逆に、女の子の友達から守ってもらっていました。

そういう事もあり、ある時点から、自分を意図的に強く鍛えた事もありました。
その為、その後は、虐めの被害に遭わなくなりました。

その頃、小学校5年ぐらいになった時に、
空飛ぶ円盤、UFOに興味を持ちはじめました。
その後、円盤を本当に目撃した事も数度、ありました。

中学になった頃から宇宙や科学に興味を持ちはじめました。
やがて、宇宙や科学系、神秘系へ傾向していきました。
そのあと、コンピューターに興味を持ちはじめました。
この辺りから、女の子の面とは、また、別な面が積極的に出てくるようになり
ました。
思春期を越える前までは、女の子には、まったく性的に興味を持つ事は
無かったのですが、
思春期あたりから、女の子にも恋をするようになってきました。
また、男の子にも恋をした事もありました。
だから、この頃は、バイセクシャルでした。

高校時代は、主に、アマチュア無線、パソコン、が趣味でした。
ほぼ、これが一番の興味の対象でした。

そんな中、私は、ある時、いきなり大病に罹りました。
原因はよくわからないです。
ただ、学校の義務で富士登山で登山をしたあと、調子が悪くなり、
じゅうかくしょう というよくわからない呼吸器系の病気になりました。
そして、息もまともにできなくなり、急遽、入院することになりました。
しかし、数日後、すぐに治ってしまいました。
何も治療せず、自然に完治してしまいました。

その2週間後、ある霊能者を私の母が家に連れてきました。
私はその頃、不思議な大病から完治したばかりで、
また、ぶり返すのではないかと、日々、恐れながら生きていました。
そんな中、母から聞いた話では、
「あの病気は、不治の病で現代医学では治療が不可能で、治す事は不可能だ」
とお医者さんから言われたとのことでした。
しかし、なぜか治ってしまった為、お医者さんがよくわからず首を傾げていた
という事でした。

その霊能者とは、その頃、直接、会話する事はほとんどなく、
私は、そういった霊の世界には興味無かったので、
パソコンや無線の世界へ行っていました。

しかし、その頃から、私は、「ノストラダムスの予言」に興味を持ちはじめ、
本を読んでいました。
本当に、このようになるのだろうかという不安がありました。
その為、スピリチュアルの世界に興味を持ちはじめてきました。
また、大病した事もあり、死んだらどうなるのかという不安もありました。

その為、ある時点からスピリチュアルの世界に興味を持ちはじめました。
霊能者の話も聞くようになってきました。

高校を卒業し18歳になり、霊能者の集いの街頭活動があり、
その中で、辻説法をしていたある私よりも年上の男性がいました。
それを見て、私も、街頭で辻説法をやってみようと思うようになりました。
よって、私は、その霊能者から指示をされて、街頭で辻説法をはじめたわけでは
ないです。
自主的に、辻説法をはじめました。
18歳です。新宿、渋谷、池袋、色々な所で、演説をしました。
その後、修行のために、実家を出た方が良いという事になり、
私は、アパートを借りて、一人暮らしをしていました。
約3年間。一人暮らし。結構、大変な目に遭いました。
一週間で、残金、1000円切って、毎日、納豆だけで過ごしたりしました。
この頃、人生で一番、最低の生活を経験しました。
そうした中、街頭で演説だけはやっているに日常でした。
どういうわけか、私が街頭で話をしていると、自動的に言葉が出てくるように
なってきました。
自分で話をしてるはずなのだけど、勝手に言葉が浮かんできて、または、勝手に
口から言葉が出てくるようになってきました。
それは、何なのかは、だいぶ先になってから、はっきりとわかりました。
霊媒です。
聖書を読んでいた時に、「異言」というものが出てきて、
「異言」とは何なのか。それはわかりました。私もやっている霊媒のことだとわかりました。

※   このあたりは、アルバイトでシステム開発の仕事等で一時的に仕事をして
  収入を稼ぎ、メインのスピリチュアルな活動をしていました。

その後、19歳になりました。
その頃、-----

省略・・・