子は来年18才。
成人を迎えたら、母業が終わる。
子どもが生まれたばかりの頃、
「良妻賢母」
「内助の功」
そんな言葉に憧れて、
妻や母という「役割」にどっぷりはまってみたら、
苦しくなった。
それでも、子どもが10歳ぐらいになるまでは
妻と母の役割を一生懸命やっていたけど、
中学生をすぎたころ、
そろそろ手放してもよさそうだなと
徐々に個人の私に戻り始めた。
今は、あ、そういえば母っていう役割もあったなあ
っていうぐらいの感覚になっている。
個人としての私が完全に戻ってきた。
母でいることは苦しかったのに、
なんで「役割」を続けたのかと言えば、
そこに正解があるように感じたからなのだと思う。
だって子育てって、答えがないから。
子どもが大人になるまで、自分が選んだ道が正解かどうか、わからない。
だから、普通「母」ならこうするだろうっていうことをして、
見よう見まねで、よくわからないまま、わからないなりに進んだ。
トライアンドエラーで少しづつオリジナルに変えた。
今になって思うことは、
もっと自分を信じても大丈夫だったな、ということ。
世間の一般的な常識は、もっと早く手放しても大丈夫だった。
まだ道を選べない我が子の代わりに、
親である私が選ばなければいけない場面。
親なら数えきれないほど、たくさんある。
自分が選んだことが、
子に与える影響の大きさを考えると
道を選択する場面にくるたびに、
いちいち考えて、いろいろと悩んだけど、
たぶんどれを選んでも大丈夫だったんだろうなあ。
今だから言えることだけどね。