なにもデンマークで気づかなくてもいいんじゃないか、と思うんだけど、

 

デンマークHSP協会のアティーナさんとの面談の途中、

 

それはそれは唐突に、

でもはっきりと

私はHSPなんだと、認識した。

そのことが、私にとって重要であることも。

 

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面談の冒頭、

 

「わたしは67才のときに、アーロン博士の本を読んでHSPであることに気づいた、

でも、それまでの67年間、それほど大変じゃなかった」

 

とおっしゃったとき、あ、私と同じだ、と思った。

 

 

 
 

 

 

私はHSPかもしれないとは思っていたけど、44年間それほど大きな問題はなかったし、

HSPであるかどうかを、それほど気にする必要がなかった。

 

 

でもそれと同時に、

あ、この人、これから私にとって大事なことを言うんだ、ってなんとなく感じた。

 

その後の話を聞きながら、自分の小学生の頃の記憶がフラッシュバックした。

 

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私がこんなに大人の話を理解していることを、大人は知らない、といつも思っていた。

子どもだからわからないだろうと、大人の事情の話を延々話している大人たち。

私は自分を透明人間のように感じていたし、期待された通り、見ざる聞かざる言わざる、を貫いた。

知らないふりをしたし、理解していないふりをした。

期待されている子どものふるまいを貫いた。

 

なんだか、言ってはいけないような気がして。

それは、罪のような気がして。

 

 

一方で、わたしはずっとひとりぼっちだった。

わたしが皆を理解しているようには、誰もわたしを理解しているようには感じられなかった。

それはそれは、孤独だった。

でもどうしようもなかったし、ほかの子もみんなそうなんだと思っていた。

 

 

今思えば、話を理解していたのではなくて、そのときに大人がどう感じているかがわかってしまったのだろうと思う。

周りの人が抱える、つらさ、かなしさ、くやしさ、悲しみ。

逆ももちろんある。うれしさ、たのしさ、はしゃぎたい気持ち、、、。

 

だから、周りの大人たちの私への愛情もしっかりと感じていて、だからこそ、言ってはいけないと思っていた。

私がそれをわかっていることを。

 

 

表現を抑える癖は、そこから始まり、

わたしは直接的な表現を避けるようになった。

本当のことは、言ってはいけないことだった。

 

 

そうすると、自分のことをありのまま表現することはできなくなる。当然、そのままの自分で理解はされない。

 

 

 

そんなからくりはわからないまま、人との距離を感じていた。圧倒的な分離感だった。

 

 

「自分が人にわかってもらえない」ことが、いつもいつも寂しくて、悲しかった。でもいつも、どうしたらいいのか途方に暮れた。

 

 

それが、今も常に抱え続けている、孤独感のねっこだ。

 

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「孤独について、自分が悪いわけではないと、認める必要がある」

そう、アティーナさんは言った。

 

「認める必要がある」というのは

自然には認めることができないからだ。

その言葉に、小さい私への深い深い理解を感じて、涙があふれた。

 

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面談後、アティーナさんに、お礼を伝えたら

「泣きながら笑うことが大事です」

「光がみえましたね」

と、言葉をかけてくださった。

 

 

 

 

 

 

そのあとの旅は、思いがけず、トラウマを癒す旅になった。

ありとあらゆるところで、思い出がフラッシュバックし、

その度に瞑想してはそれをみつめ、溶かし、泣いた。