あるドグマを壊そうと思ったら、それと対立するドグマを植え込むのが効果的です。

「自立しなければいけない。いつまでもブラブラしていないで、働かなくてはいけない」と思い込んで苦しくなっている場合は

 

「働かなくても食ってよい」

 

「親のすねは骨までしゃぶれ」

 

という反対のドグマを植え込むことです。

 

 

 

 

 

 

この一文を見たとき、衝撃を受けた。

 

罪悪感にまみれて毎日溺れそうで、罪を贖いたい、赦されたいと誰に向かってなのか分からない罪の意識に苛まれ、生まれ変わりたいと毎日願っていた。

 

親は、というより母は「罪悪感」で私を縛り、身動きをとれないようにさせていた。

 

けど、その罪悪感が原因で動けなくなったりチャレンジ出来なかったり、人間関係が上手く行かなくても私は自分の性格のせいだと思い込んでいた(と言うより、思い込まさせられていた)

 

この「罪悪感」の正体は何かと言うと、「親本人の劣等感の成れの果て」である。

 

子供が親よりも優れている素質や輝きを垣間見せたその瞬間、親の中で嫉妬の発作が起きる。

その瞬間、例え口で直接的に否定などされなくとも子には「母を悲しませた、母に嫌われてしまうかもしれない」と言う罪悪感と恐怖が生まれる。

 

仮に嫉妬をしても、時折ならばそこまでのダメージは食らわないし、その攻撃による衝撃をリカバリーするような普段からの信頼関係、要は「母は私を愛してくれている、守ってくれる」と言う揺るぎない根幹のようなものが子の中に存在していれば恐怖や罪悪感はそこまで酷くならない。

 

けれど、もし四六時中、呼吸をするに等しいほどに子に対して嫉妬をして、かつ親子関係に揺るぎない根幹が形成されていない場合、子供の心は見えない牢獄に入れられてしまうことになる。

 

何一つ罪など犯してはいない、ただ人間としての美しい行いをして、子が自らの性質を花開こうとすればする程、親の顔は能面のようになっていき、「自分の性質や才能を開花させる事は母を悲しませる酷い行いなんだ」と子供は学習していく。

 

そうして見事、大人になってから「自分は一体、何をしたいのか分からない」と言う五里霧中人間が出来上がっていく。

 

〝分からない〟ではなく〝分からなくさせられてしまった〟

 

だって、もし自分のやりたい事を追求したら、自分本来の性質に沿った独自の美しい輝きを垣間見せてしまったなら‥

 

 

〝私が幸せになってしまったら、母を悲しませてしまう〟

 

 

そんな悲しい信念を形成してしまうようになる。そして、この信念に沿った子供が辿る運命は想像にたやすい。

 

我が家の場合は母が父の事を好きで好きでしょうがなくて、その結果、娘である私に対して〝母〟でなく一人の〝女〟としての嫉妬や敵意をむき出しにするようになった。

 

つまり、子供らしく素直に振る舞えば母から嫉妬の一睨みや嫌味を飛ばされる。

 

この嫌味がまた凄くて、ニヤニヤしながら「何を調子に乗ってんの〜?恥ずかしい〜」とからかわれるのである。頻発した単語にもう一つ「いやらしい〜」もある。

 

小さな子供にとっての羞恥は、死に直結しやすいそうだ。

 

私は小さな頃から、家で素直な子供らしさを発揮すれば「調子にのってる」と辱められるか、果たして何がどういやらしいかはよく分からないが、度々いやらしいと裁かれていた。

 

子供に対して性的なニュアンスでからかったり嫌味を言うのは毒親の特徴らしいが、母はまさしくその見本市のような人であった。