3月に入り私はホームセンターでのアルバイトが丸3年になるのと、4月からは新生活のタイミングと思い、本格的に家を出るための行動に出ます。


実家から近いところは『私が組織から離れることと母と妹を楽にしたい』という目的に対し意味が無いと思っていたので、

なるべく県外と思い、ホームセンターの正社員の面接も社長面談OK段階まで行きましたが、世間知らずの私はそこまで踏み出すことに恐怖を覚えてしまい、派遣社員の面接を受けました。


市内のコメダ喫茶店で面接してもらい、派遣社員として即決採用できると言われ、3か所勤務地の候補を紹介してもらいました。


1か所目は実家の近所で、アルバイトをしているホームセンターと近い場所なので候補から外れ、


2か所目は三交代勤務のところだったので、夜勤をしたことがない私は自信がなくてここも候補から外れ、


3か所目のところに決めようと思いました。


とある大きな工場で県内でしたが実家からは車で高速を使って片道1時間の距離があるところでした。


3月中に工場の下見見学と寮の内見を済ませ、3月末にとうとう家を出て一人暮らしを始めることになりました。


母も子離れしないといけないこと、どうしても私がエホバの証人として残ることはないことは覚悟せざるを得なかったと思います。


K会衆の誰にも、私がどこで一人暮らしを始めるのかは言いませんでしたし、

母にも妹にも言わないでほしいとしつこいくらいお願いしました。


完全に私はK会衆から、組織から姿を消したかったのです。


私はこれでエホバの証人から離れられると嬉しい気持ちもありましたが、

家族を、特に母を残して出て行ってしまうことだけが辛かったです。


厳しくとても気分屋な母でありましたが、私にとっては産んでここまで育ててくれた母なのです。


家を出る前日母とふたりでランチに行きましたが、母の目に浮かんだ涙しか記憶になく、ランチの味は覚えていません。


母は寂しそうな、悲しそうな、胸が潰れるような気持ちを抑えて、祖父と一緒に私の引っ越しの準備を手伝ってくれました。


3月31日私は新居の1Kの狭い4階建ての最上階の部屋のベランダで、夜シャワーを浴びてからベランダで人生初めての缶チューハイを1本飲みました。