コンプレックスをバネにし成長したことはありますか?

 

私は10代の頃「コンプレックスをバネにしての成長しかない!」

と言っても過言ではない位に努力の人間でした

 

努力の感情は「自分への不足感」からでしたが

そのネガティブな感情のお陰で出会えたことがあります

 

 

私が10代の頃のJ-POPは

「小室ファミリー」がランキングを総なめにするような時代でした

 

「全部が高い声でしか歌えない曲ばかり」

 

私は高い声が出なかった

力んで歌う感じも好きではない

いつもモヤモヤしていました

 

当時、アクターズスクールに入って

歌って踊ることを毎日のようにしていました

スクール内でオーディションや発表会など催し物も沢山あり

人前で披露する機会が沢山あったのですが

「流行りの曲が歌えない」

「グループでの披露の時は、サビ以外の低めのキーのABメロを担当」

「キーが低いJ-POPを見つけても、妥協した選曲」

 

でも、歌やダンスで自分を表現することの情熱は止まらなかった

その時出会ったのが「洋楽」でした

 

アメリカの音楽は

高音で攻める音楽ではなく

全体のバランスや心地良さを重視した曲が多く

私の声に合う曲が沢山ありました

 

そこから「アメリカ音楽」への扉が開き

自分の音楽の幅が広がったり

「自分の良さを見せること」を学ぶことができました

 

学校教育だけでなく

好きでやっている音楽やダンスにおいても

自然と入ってくる情報だけを元にお互い背比べをするような環境

そこから抜け出し

「私の声だから活かせる音楽」を見つけて表現することができました

 

それが

その時、周りから評価されるかに直結したかは分かりません

 

でも長い人生を見て

この行動がその後の感性やチャンスを作っていきました

 

音楽活動をしていない今でも

「好きな曲」は当時から変わっていません

 

「ありのままの自分で好きになるのもって、何年経とうが変わらないんだな」

 

当たり前だけど

理にかなっているけれど

忘れがちなことに気付かされます

 

 

自己実現のために何か学んだりするときに

「過去のことをわざわざ掘り下げることって意味あるの?」

「そんなことをせずに今と未来を見てれば良くない?」

 

そんな風に考える方もいると思います

そして、その考え方で今が幸せであるならそれは素敵だと思います

 

ただ「前向きと回避」を混同したり

「自分への甘えと優しさ」を混同したり

それによる「過去を見ない」は成長の妨げになるのかなと思っています

 

何か「いつも同じ感情を感じる」「心地よい感情ではない」

そんなことがある人は

過去の記憶を思い出して丁寧に見返していくと

今の自分を心から愛していると感じられるキッカケを見つけられるのかなと思っています