誰か大切な人の為に
誰か大切な人の役に立ちたい
誰か大切な人が笑顔になれるように助けたい
そうやって私たちは「与えたい」と行動します
そして
期待通りに
その誰か大切な人の問題や状況が改善することは、もちろんあると思います
でも逆のケースもありませんか?
その「与えたい」に
「自己犠牲」
「相手を変えたい」
「コントロールしたい」
という感情がなかったとしても
相手に伝わっていないこともありますよね
聞いたことありせんか?
「自分が自分でいるだけで周りに幸せを与えている」
現代社会に順応して生きていると
受け入れ難い言葉だったり
とても幼稚に聞こえてしまいますよね
でもこれはとても事実だと思っています
「誰かに与えようとして行動するよりも、自分の中にある思いや才能をシェアすることの方が何倍も人に与えている」
「自分が楽しんでいるだけで周りの人達を幸せにできる」
音楽や芸術などは特に分かりやすいですよね
まずは自分が好きでやっているからこそ周りに大きな影響を与えることができる
そして「母親」
母親が楽しそうに生きている姿を見るのが、子供は幸せ
笑顔のない母親に過保護にされる方が、子供も何かモヤモヤしますよね
または「本やラジオ」
著者やパーソナリティーも自分の考えや小話をすることで
読者やリスナーを楽しませていますよね
「自分が自分であり、それをただ世の中にシェアしている」
それに集まってくる人たちを見て
「私は与えているんだ」と気づく
要するに「与えている」は結果論
「与えよう」として行動しなくてもよい
「ありのままの自分でいること」
「そしてただそれを世の中にシェアするだけ」
これに気づけたら
とっても軽やかに生きていけるのかなって思います