親との関係について考えること3ヶ月

 

掘り下げれば掘り下げるほど、忘れていた記憶が蘇ってきました

 

そして記憶の多くが「自分に都合よく書き換えられていた」ことにも気づきました

 

 

私がなぜ親に期待をしてしまうのか?

理想の親像を心に抱き、比べては失望するのか?

 

等身大の親をそろそろ受け入れてあげたら?

そう問いかけて理解はしているけれど

時々、悲しくなる

 

その感情を掘り下げていったら、1つの答えが導かれました

 

 

「もっと自分の人生を楽しんでほしい」

 

 

これが私が子供の頃から親に抱いていた感情でした

 

「愛がもっと欲しい」なんて思っていたなかった

もう十分に愛を与えてもらっていた

充分すぎて、それが嫌だったくらい

 

 

私の母親はよく「たんぽぽの綿になりたい」と言っています

それは、やりたいことなどの趣味が全くない

何もやりたくない

たんぽぽの綿のように風まかせで無になってふわふわ飛んでいたい

だから家事や育児全てに対して、常に不満が口癖

 

そんな母を「人生を楽しんでいる」ようには見えなかった

 

そして父

自己肯定感が極端に低く、人と関わることが嫌い

そんな父も楽しそうには見えなかった

 

だから子供の頃の私は

家族の笑顔が欲しくて、クリスマスパーティーを開催したり

家族で車に乗っている時に、大声で歌ってみたり

色々と投げかけていたけれど

クリスマスパーティーは、家族の苦笑いで、途中終了

車の中で場を盛り上げるために大声で歌った時も、苦笑いで終了

 

親は悪気はないし、答えているつもりだったのでしょう

でも、私はいつもそうやって跳ね返されていた記憶が残りました

 

そういう全ての記憶が「愛の不足」という記憶に塗り替えられていた

 

でも本当は「私が彼らに愛を与えたかった」

「子供の為の人生・親としての人生」だけではなく

「個としての人生」を、もっと楽しんでほしかった

 

それに気づいた今

私は何をしたら一歩前に進めるのか?

 

とりあえずは母にこの気づきを伝えました

母は「不満は口癖みたいなもんで、楽しかったわよ」と言っていました

 

そして今思うことは

 

「その理想を自分に向ければ良いのでは?」

 

自分が理想の人生を楽しく歩んでいれば

親に対しての期待も自然と消えていくのではないか?

 

今はそう感じています