私は子供の頃から「物事の良い側面を見る」ことが得意です

 

虐められた経験も後になって「虐めてくれてありがとう」と思えた

思い通りにいかなかった経験も「それがあったから今がある」と思えた

 

「悲劇のヒロイン」を完全に演じ切っていた暗黒の時代もありましたが

基本的に「物事の良い側面を見ること」は得意です

 

でも、私の母親は逆です

物事の悪い面を見て不安や怒りから攻撃的になったり

家族以外は全て敵とみなし他人を常に警戒している

 

そんな真逆な母に育てられた私

「私と母は違う」と頭では分かっていても

 

「母の言葉」だから、心が無視できない

 

母のことが大好きで仲の良い関係であっても、その逆であっても

「母」の存在は子供には大きすぎる

 

私は母とは仲が良いし、何でも話します

価値観が違うことは、お互い分かっています

合わない意見も気にせずに言い合っています

 

だから

そのままスルーすれば良いのに、気にしてしまうことがある

 

例えば

夢などの野望を「人に話すのはやめなさい」と母は言います

 

理由は

「邪魔してくるかもしれないから」

 

 

日本人は

「他人の成長を喜べない」

「他人を引きずり下ろして自分が上がる精神」

海外からはこう見えると聞いたことがあります

私もそういう場面に遭遇して悲しい気持ちになったことはあります

 

母に「やめなさい」と言われたら

「理解できない母がまた顔を出したわ〜」と受け流せば良いのですが

何故だか気になってしまって、周りの人に話したことへの不安が湧いてくる

 

本当は

「発信した方が助けてくれる人が現れる」

「皆も嬉しい気持ちになってポジティブな気分を共有できる」

「裏切られても人を信じるという気持ちが大切」

私はこういう価値観でいたい

 

でも常に母親の価値観が邪魔をしていました

 

今は、内観できるようになったから

私まで母のように不安の感情で一杯になる必要はないと理解しているけれど

改めて「母の存在」が子供にとって大きすぎるのだなと感じました

 

「感情は自分で選ぶことができる」

 

母の呪文が出てきても、自分の言葉を選んでいこう