自分の価値や評価に納得できなかった理由 | my source blog

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「一人一人が自分の人生の主人公を生きる時代」
源泉から湧き出る自分の感覚に従って生きることが、本質的な調和につながることに気づく。
温泉に入ってるようにリラックスしながら自分の内側を開放する過程をリアルなことばで綴るブログ

いつでもどこにいても
今ここにいる自分に
意識を向けると
色々インスピレーションが
湧いてくる
ソムエリですウインク

一昨日書いていた
自分の自分に対する評価の
話の続きふたご座

例えば社会にでてから
一度や二度はあるかなと
思う出来事

今もらってるお給料は
自分の日頃の仕事での
成果に対しての評価で
決まっている
やってることに対して
ちょいと少ないのでは?
(もっと評価されたい!)

とか

接客業とかクチコミやコメントの
投稿をされるお仕事をしていて
自分のことを投稿される機会が
ある人は
すごく少ない母数だったとしても
思わぬ隙をつくクレームとか
クチコミでわざわざこんな
こと言う?みたいな
コメントが入ったり
するとき
(なんと理不尽なんだ!)

あぁなんか
モヤっと
するわぁと
いうときこそ
チャンス!!
そこには自分の思い込みとか
何か燻ってる概念が
隠れてるからニヒヒ
(あ、これは久しぶりの
モヤ美かしら?笑)

例えば、自分のしている
仕事に対して
なんとなく過小評価を
されてる気がしたり
納得いくような
理解をされてないと
感じるとき

その思い込みがどこから
きているか
過去の過去まで
遡ってみたほうがいい

ソムエリに関しては
どちらの時期もあって

わー!すごく
私のことを信頼して
くれていて本当に
有難い評価してもらえて
るなぁと感謝と喜びで
ウルウルできる時と

はっ?
こんなにやってて
これですか?
ちゃんと実績も最大限
出してるはずなのに!!
イラモヤ!

という2種類の感情
(基本的にはどちらも
味わうために生まれて
きていて表裏一体なのだから
その存在自体はどっちも
おっけー!
どちらをより多く感じながら
生きていきたいかを
選ぶだけ)

前者の時って
とくに結果に執着は
してなくて
やりたくて
やりたくて
思いっきりやって
手放してるとき
(だから結果が
どうであっても
なんでもいい)

後者のときも
やりたくて
やりたくて
やってるつもり
なんだけど
思ったような
結果にならなかったり
どこかで認めきれていない
感情があるんだけど
自覚できてないとき
しかも結果もやっぱり
期待しちゃってるから
そこに対して
期待通りじゃない
自分を受け入れたく
ないのに
強制的に受け入れない
といけない
(自分の世界の中心を
他の何かにしちゃってる
状態)

この概念に関して
自分の思い込みとか
出来事を今だからこそ
意識を中心に向けて
過去まで深掘りして
みたチュー

すると
遡ること
中学1年の頃の
ソムエリに
辿り着きましたおとめ座

当時の義務教育は
中学校から
英語の授業が
はじまるのですが
自分は3歳から
英会話スクールに
行っていたのも
あって
英語が大好きでしたメモ

中学1年の時の
英語の授業は
基礎中の基礎だったし
自分にとっては
すごく簡単な内容で
何度か定期試験として
中間テストとか
期末テストとか
行われていたけど
英語のテストは
100点満点100点
普通にとれた!
確かに当時の自分から
したら好きだったから
難なく解いたら
100点満点だったんだけど
クラスでも100点は1人だけで
学年でも満点の人はいなかった

にも関わらず!

通知表の評価は
なぜか4!!だったゲッソリ
(当時は5段階評価の相対評価)

えっ?!
クラスでも学年でも
満点は1人だけだったのに
4…?

そして隣で点数を見せ合ったいて
87点だった学級委員タイプの女子は
何故か通知表の英語は5!!キョロキョロ

ん?
なんで?
2回行った試験で
私の方が点数
高かったけど
なんで?ポーン


なんで???ポーンポーン


授業中の態度とか
宿題とか
色々な指標をみての
相対評価とか
言ってるけど
完全に
先生からみた
フィルターで
ジャッジされてんじゃ
ないのー???

当時の私は
先生に好かれるような
素直な優等生タイプ
ではなくて
目上の人に対して
いい子アピールが
できないタイプ
(典型的な不器用
長女気質だったんで
影で頑張っても
上手なアピールは
できないタイプ)

これ好き嫌いで
決められてるやろー笑い泣き

とまぁまぁショックだった🤯
(当時の英語の先生の顔
今思い出したら
モヤ美の顔に似てるわちゅー)

今思えばそれが
思い込みや概念を
作った
はじまりだったかもびっくり

結果を出してても
正当な評価を
されないこともある

自分は不器用だから
先生とか上司とかに
自分をうまくアピールしたり
円滑でいい印象を与える
コミュニケーションが
とれないタイプなのでは
とか…

→ここに関しては
一時的にいい子ちゃんで
いることを覚えた時期が
あったので完全に理解
できてないままに
従順で聞き分けの
いい人になろうとして、
なれた時も
あったんだけど
相手にとっての
いい子ちゃんなだけで
本当のところまで
わかってもらってる
感じがしなかったえーん

そりゃそうだ
その時本当は
「どうしてほしかったの?」
「どんな気持ちになってたの?」
までわかってあげられてない
エセ優等生になろうと
してたんだからニヤニヤ


自分の心の声は
本当は認めてほしかった!

でも仕方ないと諦めるしか
なかったから
認めてほしい気持ちも
仕方ないから
もういいやと
自分の悔しさに
共感せずに
理不尽さを
そのままにした

わたしには欠けてる何かが
あるから評価は低いんだと

はい、固定概念ちゃんの
出来上がり

わたしは何か人より劣っている
からもっと努力しなきゃいけない

努力しても結果だしても
他の人と比較して
評価してもらえないこともある

ひょえー!!!
これ社会人になってからも
感じたこと何度かあるわー

その時の自分に言ってあげたい

人と比べる必要はなくて
100点とったのは
本当にすごいこと!!
いくら簡単なテスト
だったとしても
他に満点だった子は
クラスにいなかったんだよね!

それすごいやん!!!

一人一人がその時発揮できる
強みや特性は違っていいから
人より上も下もないんだよ

でもその時の自分の能力や
直感力は絶対に他人から
(それが先生だろうが親だろうが
上司だろうが校長だろうが
大統領だろうが同じ)
低く評価されるものでは
ないから
自分の価値と
ただの数字を
混同しなくていい!
自分の価値を信じてほしいと

34歳のソムエリが
13歳のソムエリに

伝えることが
今できた
気がして
なんだか
ホッとしています

これも源泉にかえる
ということ♨️

思ってるよりも
ふかーいところに
源泉はあって
深く深く掘り下げると
本当に上等な
温泉が湧き出てくるよ♨️

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自分だけの心あたたまる
ホッとする温泉を
掘り続けてあげておねがい
いつも自分の最大の
温泉管理者であり
自分の最愛の味方で
いてあげようおねがい


今日も極楽極楽♨️