ちょっと予定を変えて。

 

 わたくし nyun 、よく twitter とかで「お前は失礼だ!」とか「立場をわきまえろ!」と絡まれたり、なぜかブロックされたりするんですけど。

 

 そうしたら次郎三郎さんが、こういうことを教えてくださって。

 

 

 フーンと思って調べたら、こういうことのようで。

 

 中野剛志がアエラのこの記事でフリードリッヒ・リストの言葉を引用なさっていたんですね。

有名な、権威を得ている著者たちは、その誤謬によって、とるにたらぬ著者たちよりも比較にならないほど多くの害をあたえるのだから、それだけにまたいっそう力をつくして彼らに反論しなければならない。わたしが自分の批判を、もっとほどよい、温和な、つつましい、たくさん制限をつけた、右にも左にもお世辞をふりまいたいいまわしで行ったとすれば、それがわたしの人柄をずっとよく思わせるだろうということは、十分に心得ている。わたしはまた、裁く者はこんどは裁かれるということも心得ている。だが、それがどうしたというのだ。

 いいこと言うじゃんフリードリッヒ・リスト\(^o^)/

 

 フリードリッヒ・リスト(1789 - 1846)の略歴についてはこのサイトが良いと思います。

 

  埼玉大学の柳澤哲哉副学長による「歴史学派の経済学

 

 わたくし nyun のいちばんの専門分野は18世紀ドイツ文学なので、どんな時代に生きたひとなのかなーというある種のカンが働くのですが、ちなみにたとえばわたくしがいちばん深く愛し読んでいるノヴァーリスという詩人は 1772年-1801年を生きた人で、リストよりちょっと先。

 

 文学・哲学界の超々有名人だけを並べると、こう。

 

 カント 1724 - 1804

 ゲーテ 1749 - 1832

 ヘーゲル 1770 - 1831

 マルクス 1818 - 1883

 

 このマルクスが経済学の根本的批判者であったことはこのブログや note でも語りまくっていますし、知識として知っている人も多いと思います。

 

 で、マルクスより29年先に生まれたフリードリッヒ・リストと言う人は、マルクスより先に経済学の根本的批判をしていた人という位置づけになります。この人のことは知らなかったのですが。

 

 というわけで、調べてみると...というのが今回のお話です。

 

 まず、興味を惹いたのが「ライン新聞」という新聞をめぐるマルクスとの縁。

 

 この新聞は、1841年に急進派ブルジョワジーと社会主義者たちによる新聞だったのですが、マルクスも社会主義に開眼する前から記事を書いており、共産党結党の1848年には編集長に就任しています。

 

 興味深いのは、この新聞の創刊時にはリストを編集長にしようという動きがあったそうで。けれどもリストの健康上の理由で実現しなかったのだとか。

 

 つまりリストとマルクスは、自由貿易礼賛のブルジョア経済学批判の系譜の中に位置づけることができるのでして、リストこそはその最初の巨人ということになるのでしょう。

 

 中野(「経済と国民 フリードリヒ・リストに学ぶ」)における引用を引用します。

第一は土台のない世界主義Kosmopolitismusであって、これは国民国家の性質をみとめもせず、その利益をみたすことを考慮もしない。第二は死んだ物質主義Materialismusであって、これは物の交換価値に注目を集めてばかりいて、国民の精神的および政治的利益、現在および将来の利益、さらにその生産諸力を顧慮しない。第三は分裂的な分離主義Partikularismusおよび個人主義Individualismusであって、これは社会的労働の性質と高次の結果をもたらす諸力の結合の作用とを見誤って、結局のところは私的産業のことだけを述べ、それが社会との、すなわち特殊の国民的諸集団に分かれていないという場合での全人類との、自由な取引によってどのように発展するかを取り扱っている(リスト 1970 : pp47)

 

 これはまっとうな主流経済学、とくにリカードに対する批判として正当なものだと感じます、はい。

 

 (ちょっと引用者の中野に文句を言うと ”(リスト 1970 : pp47)” という引用の書き方はダメでして、これはおそらくリストの主著 ”Das nationale System der politischen Ökonomie” の1970年の和訳版のことだと思われます)

 

 

 この原著がドイツで出版されたのが1840年。上に書いたライン新聞の創刊はその翌年のことであり、健康を悪化させたリストは1846年に自殺によって生涯を終えたとのことでした。マルクスの資本論はもちろん、共産党結党より前のことということになります。

 

 中野の引用をあと二つ引用します。

 

 分業による収穫逓増の法則について。

生産諸力の増大が、作業の分割と個人的諸力の結合との結果、個々の工場にはじまって国民的結合にまで高まってゆくしだいを注目されたい。工場は、作業の分割されることが多ければ多いほど、労働者の結合されることが緊密であればあるほど、さらに全体への各個人の協力が確保されていればいるほど、ますます繁栄する。一つ一つの工場の生産力は、その国の全工業力があらゆる部門にわたって発達していればいるほど、またこの工場が他のあらゆる工業部門と密接に結合していればいるほど、いよいよ大きい(リスト 1975 : pp216-7)

 

 自由貿易と政治について

自由貿易の教義の奥深さに対してどれだけ熱狂的なリップサービスをしようとも、どの政府も、自由貿易の確立を決定すると宣言する方が、あらゆる問題点を克服し、政府の念頭にある目標を達成するような政策を採用することよりもはるかに楽だと分かっているのである。どの政府も、自由貿易の教義を詳細に検証する時間もなければ欲求もないし、様々な圧力集団の要求やら、その国が置かれている実際の状況やらによって継続的に煩わされている。そんな厄介で混乱した状況に直面すれば、政府が困難を克服するのに選びうる最も安易な道を進みたくなるのは、ごく自然なことである。政府の言行の大きな不一致は、これによって説明がつく(Friedrich List, "The Natiural System of Political Economy", Routledge, 1983, pp23)

 なるほどね。

 

 

 さて。

 

 上記のリストの主著について、中野はこう書いています。

 1841年に出版された『政治経済学の国民的体系』は大きな反響を呼び、世論だけでなく学会もこれを無視できなくなった。すると今度は、リストに対する批判や誹謗中傷の大合唱がが巻き起こり、リストもまた、反論に忙殺されることになった。
 その後、政治的にも、経済的にも、精神的にも、肉体的にも追い詰められたリストは、1846年、ついに自殺を余儀なくされることになる。「何も死を選ばなくてもよいだろうに」と思うものは、知らないのだ。愛国者にとって、自国民からの中傷や無視ほど、精神的な苦痛を与えるものはないということを。

 

 経済学を徹底的に研究したマルクスが「大きな反響を呼び、世論だけでなく学会もこれを無視できなくなった」ほどの著作について研究していないはずはない。

 

 でも、資本論にリストは出てこないし、経済学批判にも出てこなかった...と思う。

 

 というわけで調べてみると、次のようなことがわかりました。

 

 マルクスが経済学の研究を始めたのは、1844年に盟友エンゲルスが『独仏年誌』に寄稿した『国民経済学批判大綱(Umrisse zu einer Kritik der Nationalökonomie)』に感銘を受けて以降のこと。

 

 マルクスはその研究のごく初期の1945年に、まさにリストのこの本に関する草稿を残しているのです。

 

 

 しかし、まあ。。。

 

 ひどい言いよう\(^o^)/

 

 わたくし nyun なんかが「失礼」だったらマルクスはいったい何なの?(笑)

 

 簡単に言うと、マルクスに言わせればリストは「ドイツのブルジョアはこのままでは英仏のブルジョアに負けてしまうから、関税で対抗!」くらいの話にしか見えないわけで、経済学としてなんにも新しいところはないじゃん!ということを徹底的にメモしている。

 

 これはTPPに反対する「ナショナリスト中野」にぴったりの理論っていうことになるんです。

 

 それと、中野も次のように書いていて

晩年のリストは、『関税同盟新聞』を発刊したが経営は芳しくなく、自らの主張をプロイセン王国に訴えたが受け入れられず、一八四六年にはイギリスに渡って英独同盟を提案したが拒否されるといったように、その精力的な活動はことごとく挫折した。また、自由貿易論者など論敵からの執拗な言論攻撃にさらされ、新聞紙上で誹謗中傷を受けたり、主著『政治経済学の国民的体系』が剽窃の嫌疑をかけられたりした。

 

 この「剽窃」なんですけど、マルクスもこのことを言っていて、リストのこの本って、ナポレオン帝国政府の税関局長で大陸封鎖政策の論陣を張ったフェリエ(François-Louis-Auguste Ferrier)による、「商業との関係における政府について(Du gouvemement considéré dans ses rapports avec le commerce)」(1805)という本の丸写し、いや、劣化コピーじゃん!とか。。。

 

 ええと。。。どういうこと?

 

 

 そのへん、当時のヨーロッパの状況がどのようなものだったを絡めてのご説明をしてもみたいわけですが、それはまたエントリを改めていつかやりましょう。。。

 

  今読んでいるこの本↓を読み終わらないことには。