わたくし昨日、この本を読みまして。
序章から引用します。
たとえば日本人留学生がアメリカの大学で小論文を書いたり、同じ西洋圏でもアメリカ人学生がフランスに留学して小論文を書いたりする時、非常に低い評価を受けたり、時には「理解不能」として突き返されたりすることが起こる。これは...各国の「書く型」の違いが「論理の型」の違いを生むために起こる文化的な衝突を示している。しかし「論理的であること」を単に証拠を示すこと、あるいは帰納や演繹、因果律を使って説明することだと受け止めると、この衝突は原因が全く見えないまま、能力の高低の問題にすり替えられてしまう。
MMTや「資本論」の論理を日本人がサッパリ理解できないカギはコレか!と。
どう考えてもわたくしは日本人学者よりもはるかに「資本論」を読めるとしか思えないのですが、それは、わたくしの頭が19世紀ドイツ仕様に組織化されているからなんだよなと。
だからわたくしに特に能力があるとか、広い教養がある、とかじゃあないわけ。
学者はそれじゃダメだろうと思いますけどシロウトとしては。
さて、上の本の著者も引用している、"Cultural thought patterns in inter-cultural education"(「異文化教育における文化的思考パターン」)という1966年の論文がありまして(なんとスキャン画像が読める)、30数か国出身の700人以上の留学生の論文の論理パターンを分析したものです。
この研究の背景には著者カプランの「論理はレトリック(修辞法)の上に成り立っているんじゃね?」という考え方があります。
カプランによればレトリックのパターンは言語によって下の図の五種類くらいに分類できるということで。
英語は一番左、フランス語はロマンス系統なので右から二番目。日本語はオリエンタルで、真ん中の渦巻きになります。
そして英語の論理的文章(エッセイ)のスタイルと、フランス語のそれ(ディセルタシオン)のスタイルはまるで違っていて、この本で渡邉は日本の小論文と並べて比較しています。
が、それを貼り付けるのは面倒なので、ネットで閲覧できる渡邉の別論文から引用して貼り付けます(どうやら本の元になった論文の一つですね)。
渡邉によれば、英語のエッセイの論理パターンはこう。
最初に筆者の主張を述べ、次にその主張 を根拠付ける証拠を挙げ(通常 3 つ)、最後に主張を繰り返す。
これってエッセイだけでなく TED とかの動画で見られるアメリカ人のプレゼンテーションの典型的パターンでもあります。
MMTの主導者ケルトンのTEDプレゼンがこちら。
そして彼女はこのスクリプトをここにも置いています。
これ、最初と最後に同じ話を繰り返していることに気づくでしょうか。
アタシはこう思うよ!とぶち上げて、その根拠を並べて、ほらそうでしょ!と締める。
さて、ある大学院生さんがこれを翻訳なさっています。
カプランが分類したように、日本語の論理パターンは、外から中心に向かう渦巻き型をしている。
これを意味論的に言い換えれば、日本人は、外側から遠巻きに論じることによって言いたいことが浮き彫りになるよねという認識パターンを持っている。
アメリカ人はそういう「粋」なんて知りませんから、何の衒いもなく言いたいことを最初にドカンと主張する。むしろ、それをやらないと「意味不明な無能」と言われてしまう文化なわけ。
それだけに、プレゼンの最初の「掴み」と最後の「まとめ」は格調高く力いっぱい言葉を選んである。
だからそれを日本語に移植するときは、そこを強調するくらいでちょうどいいんです。
わたくしも上手ではありませんが、ちょっとそれっぽく。
何かが壊れたときにはチャンスがあります。バラバラになった破片を組み立てて、すっかり元通りにすることもできますが、まったく別の良い形を目指してもいいわけです。新型コロナウイルスは全てを壊しました。このことによって雇用や教育や医療や住まいなど、私たちの経済に足りていなかったものにスポットライトが当たり、それは不平等のせいだったということが明らかになりました。
そして、ケルトンは最後にももう一度、同じことを繰り返しているじゃないですか?
We’re a long way from full employment. We have the resources we need to begin repairing our broken systems. But we have to believe it’s possible. We shouldn’t let words like “debt” and “deficits” hold us back. With a better understanding of public money—where it comes from and how it works—we can take aim at the many real deficits that are bearing down on us. In every crisis lies an opportunity. We can pick up the pieces and try to reassemble the fragile systems that were in place before the pandemic. Or we can build anew, shaping our bountiful resources into the kind of world we want to inhabit. One that cares for our people and our planet. I truly hope we choose to be bold.
私たちは今、完全雇用には程遠いところにいます。つまり壊れたシステムを修復するためのリソースが私たちにはあるのです。
あとはできると信じるだけ。「負債」や「赤字」などの言葉に惑わされるのはやめましょう。公的マネーはどこから来て、どんな風に機能しているか。それを理解すれば、現実に目の前で足りていないあれこれにしっかり狙いを定めることができるのです。ばらばらになったかけらを拾い集めてパンデミック以前の脆弱なシステムに戻すこともできるでしょう。でも、私たち自身が住みたいと思う世界に向けてぜんぜん新しいものに作り替えることだってできますよ。私たち人類と地球とを共に大切にする世界に、です。勇気を持って大胆な道を行きましょう。心からそう願っています。
と思ったら今朝、渡邉さんのインタビューがネットに公開されていて、なんというシンクロニシティ...






