中野剛志の『奇跡の経済教室:大論争編』、そのp104あたりから

 

MMTは、次のように説明しています。

まず、政府は、通貨(円、ドル、ポンドなど)を法律によって決める。

次に、国民に対して、その通貨の単位で計算された納税義務を課す。

そして、政府は、通貨を発行し、租税の支払い手段として定める。

これにより、通貨には、納税義務の解消手段としての「価値」が生じる。

その結果、人々は、通貨に額面通りの価値を認めるようになり、その通貨を民間取引の支払いや貯蓄などの手段としても利用するようになる。こうして通貨が流通するようになる。

要するに、人々がお札という単なる紙切れに通貨としての価値を見出すのは、その紙切れで税金が払えるからだと言うのです。

言い換えれば、たんなる紙切れに過ぎない紙幣に価値があると信頼されているのは、政府が、紙幣と「納税義務」との交換を保障しているからだということです。

通貨の価値は、政府の徴税権力が担保していると言ってもいいでしょう。

 

中野の似たような論はネットでも見ることができます。

 

 

 

こうした中野のMMT理解には重大な誤認があるとわたくしは考えています。

 

だってこんな説明を、MMTの人は誰もしていない。

 

徴税能力が「通貨の価値を担保する」のではなく、徴税義務によって通貨の受領性が保証されるだけであって「通貨の価値」はまだ定まらない。

 

その次に、政府が何かを買う(=政府が支出をする)ことによって、初めて政府がそのモノの価値を決めたということになるんです。

 

ここがものすごく大事です。

 

通貨の受領性が確定すれば、政府は人を雇うことができます。
ある人を雇って50万円の月給を支払うことで折り合ったとしましょう。

 

それは「その人のひと月分の労働の価値を50万円とする」ということを政府が決めたということであり、このとき初めて50万円という通貨の価値は、その人のひと月の労働分に相当するということが決まる

 

「税が通貨の価値を担保する」という理解は、財政支出が通貨価値を決めているという事実を完全にすっ飛ばすから良くないんですよ。

 

上のネット記事で、中野はうそぶいています。

さて、ここまで、ずいぶん遠回りをしたようですが、MMTの「貨幣論」の骨子をご理解いただけましたか?

 

この話は「貨幣論」ではないのです。

 

もっと言えば、MMTは貨幣論ではありません。

 

「貨幣」の話だと思ってMMTを理解しようとするからおかしな理解になって、財政支出の役割の話を受け取れなくなってしまう。

 

そういうことだから「政府支出(財政赤字)を増やしてインフレにせよ!」みたいな、もとのMMTからは否定される論を導くキメラが生まれるんですよね。

 

 

本当は、こうですYo\(^o^)/

 

 

「価値」とはいったい何ですか?っていうことなんですよね。