久しぶりに、こちらアメブロで。
実は最近、there is no such thing as reserves (準備預金という「モノ」はない)。。。というフレーズが頭を過るのです。ドイツ語だともっと短く es gibt keine Reserven と表すことができ(る気がし)ます。
となるとこれは「貨幣のオントロジー」で書くのがぴったり!「オントロジー」という言葉、最近では機械学習や仮想通貨関係でちらほら見かけますが、今も昔も「ある」とは何だろう?を考える学ということだからです。
つまり「準備預金を借りる/貸す」と言うことはできないのでは?ということなんです。
このシリーズの前回(貨幣のオントロジー10 Gegenstand 「対象」とは)で似た図を出しましたが、次のようなことです。
準備預金は左のような「それ」ではなく、「ほかの全取引の(residual)として残るものである」ということを言おうと思います。
そしてこういうものは「持っている」ことはできるけれど、「貸し」たり「借り」たりすることはできない存在なのです。
そのために左のような「存在のしかた」を、仮に「an-und-für-sich 的存在」と呼ぶことにします。ドイツ語で「自己自身によって成立する存在」という感じの言葉です。
対して右のような「存在の仕方」は「an-und-für-sich 的存在」ではなくて、「自分自身によってではなく、他のすべてによって、世界の残余(residual)として存在することになるような存在」というか。
ちょっとやってみましょう。
現金で自動車を買う事例
X氏が現金でディーラーから車を買います。
この交換の前後で、X氏とディーラーの総資産は変わりません。
つまり上の図は「X氏とディーラーの間で等価交換が為された」という意味ですね。
この時、自動車およびお金というモノ(英語なら thing、ドイツ語なら Ding)はそこに存在しています。
The car and the money are there.
預金の振込で自動車を買う事例
次は、X氏はA銀行に預けてある預金を、B銀行にあるディーラーの口座に振り込む事例をやってみましょう。
では交換します。
交換すると、下の図のように「ならなければならない」。
X氏とディーラーの状態が図のようになっていなければならないということは誰でもわかると思います。この意味で、X氏の預金は存在していたし、ディーラーの預金も確かに存在するものになる。それは「an-und-für-sich 的存在」なのです。
しかし。中央銀行の x とか y とか x-200 とか y+200 という数字は、同じ意味では「存在」していない。
その数字は自分自身では意味を持つことができず、X氏とディーラーが交換をすることによって初めて、受動的に変化するしかない数字だからです。
なんかわたくし変なことを言っているでしょうか?
実は上記のことは、先日 Mosler のこれを翻訳しつつ読んだときに思いついたことでした。
この中でモズラーは次のような表現をしています。
reserve requirements, if any, being merely a 'residual overdraft' at the central bank and not a control variable.
「必要準備とは、せいぜい、中央銀行上の 'residual overdraft' なのであり、コントロール変数ではない」
ええ、モズラー自身がハッキリ "there is no such thing as reserves" と言ってくれているわけではありません。
でも、検索すると英語圏ではぼちぼちいらっしゃるようで。
次回、後編でもう少し深くご説明することにします。