貨幣のオントロジーシリーズの第五回。

 

このシリーズは「貨幣(マネー)とはどのようなものであるか」を徹底的に考察してみようという主旨ですが、今朝はたまたま↓の話が流れてきまして、マネーのうち「国債とは何か」ということに思考を巡らせたくなったので”コラム”的なものとして少し書いてみます。

 

 

これを考えるわたくしの思考はここから二つの方向に広がっていき、その二つは大いに関連していくことに気付きます。

 

そこで二回に分けて書いてみようと思うのですが、今回は、まず「国債」と「通貨」を対比することの”奇妙さ”について。

通貨こそ、政府への支払手段(納税手段)として償還されるもの


このどこが奇妙なのか?

 

まず「国債」とは政府発行のIOUであり、金利が約束されているものですね。

 

ところで政府のIOUはもう一種類、「硬貨」という金利がつかないものがある。

 

つまり、政府IOUのうち金利が付くものが「国債」であり、金利がつかないものが「硬貨」です。

 

さて、上で国債と通貨を対比させたとき「通貨」から思い浮かべるのは果たして「硬貨」でしょうか?

 

多くの人は通貨に「普通預金」も含めてイメージするのではないでしょうか。

また、納税のプロセスで政府が受け取るのは政府預金(中央銀行の政府へのIOU)であって「普通預金」でも「紙幣」(中央銀行のIOU)でも準備預金(中央銀行の銀行へのIOU)でもない。

 

どうでしょう。

わたくしが「通貨こそ、政府への支払手段(納税手段)として償還されるもの」という文に感じる「奇妙さ」をわかっていただけたでしょうか。

 

納税で「償還」されるのは、通貨よりもっと広義の貨幣(マネー)というべきだと思うんですよね。

 

この場合の貨幣(マネー)は、政府以外のエンティティが全体として”所有”している、政府への「貸し」の総体のことである、とでも言えばよいでしょうか。

(ご参考→ 貨幣のオントロジー3.貨幣とは何か?を考える(直球)

 

だから「国債は、利子付き〇〇である」、つまり「国債は、利子付き通貨である」とか「国債は、利子付き貨幣である」。

とまあ、本家MMTの人はそんな風に言うわけです。

 

さて、そうすると、これは?

国債は通貨(将来のより多くの通貨)との交換を約束したものに過ぎない

 

ここはこう言ってほしい。
国債は、その金額に対して定まった比率の金利を将来支払うという政府の約束の表現である、みたいに。

 

「過ぎない」、とは言いたくないよな、というわけ。

 

それでは、次回、もう一つの話を。