日本の不幸を論ずる | Fashion + Kids + Nature

日本の不幸を論ずる

昨日昼、久しぶりにテレビ番組を見る。
何やら我が国の防衛大臣が勉強不足との事ですが、国内の出来事についてはいち早くこういう議論を展開する日本のDNAって良くも悪くも独特。他人の心情を汲んだ会話が求められる文化。

一方、思春期の子供が孤独を感じる「不幸せ度」が世界一である事や長年の意味不明な出資による「大赤字」を抱える不幸&借金大国の我国。これは明らかに、コミュニケーション能力が欠落している結果。人の心情を汲む事愚か、自己中心的人間の集団に成り下がった日本の姿である。

話しは変わるが、勉強不足による無神経批判と云えば、日本人が信仰や文化と関係なしにクリスマスをやる事については毎年諸外国からの冷たい目が。「日本はキリスト教の国ですかあぁぁ⁇」

キリスト教をベースに日頃から生活している人以外がツリーだのなんだのと、ここ数十年完全に日本人は市場の風潮に流されている。全国のローソンやら何やらに流通している緑と赤に彩られたマーチャンダイズがキリストと無関係である事が外国人には不思議に見える一方、日本人にとってはお手軽な商売でありお手軽なイベントだという事は明らか。日本人は本質を無視して「がわ」だけビジネスに利用する事に罪悪感を感じないのである。こういう無邪気でナイーブな行為は確実に批判の対象ではないか。

アメリカに住んで居た頃、ユダヤ人に笑顔で「メリークリスマス!」と言ってぶっ飛ばされる日本人駐在員を何度か見たが、まさしくそうで、世界の多くの人にとって宗教は信仰であると同時に確固たるアイデンティティである。

カリスマおばあちゃんターシャテューダは確かにと、見れば何やらクリスマスはマジカルで温かい幻想的なお祭りに思えるが、無論彼女が生涯神社を参詣したり他宗の真似事をする事はなかったであろう。

ウチは仏教でその信仰を生活の基本としている。もちろん我が家はツリーなども飾らないし、サンタの歌も歌わない。それが、我が家のアイデンティティだ。

無知な子供をノリで何となく真似事に参加させる前に、宗教的背景が存在するイベントについて日本人の親はもっと真剣に考えるべきじゃあないか⁇ 何でも珍しかった戦後じゃあるまいし。
と、いうか、他人に流されないで深く思考するのも親の仕事。

もとい、日本人が幸せだと感じられなくなったのも、私利私欲から安易に薄っぺらい真似事ばかりをし、本来の自分のアイデンティティを曲げてしまったからではないか?クリスマスは単なる例だ。家庭に始まり、企業、社会において今の日本は薄っぺらいエゴイズムに溢れている。

揺るぎないアイデンティティがあれば、人は強く幸せに生きていける。「確固たる自分」がある親の子供は親に習い周りに翻弄される事なく強く且つ謙虚に生きていける。安易に人を傷つけたり、孤独感から曲がった欲を持つ事もないだろう。親達が深く思考する時、やっと日本は再生するだろう。