友人の出産報告でほわーんと幸せな気持ちになっています


この世に生まれてきてくれること、自分の子じゃないのに、こんなに幸せな気持ちにさせてくれるなんてキラキラ


本当に生命の誕生って素敵だなー


我が子もそうやってみんなに祝福されて生まれてきたし、十月十日守り抜いたお母さんも素敵


そして自分自身もこんな温かい中生まれてきたんだなぁって。








私には妹が2人います。


2歳下と4歳下。


4歳下の妹が生まれたときは、幼稚園の年少組だったのですが、妹が生まれて母が入院中のときのこと、すごく覚えているんです。



入院中の母のお見舞いに行く時、

「ごちそうを作って持って行く!」

と言って、同居していたおばあちゃんと一緒に作ったんですよ。

そのごちそうというのは、


庭に落ちている砂利と、卵、ヤクルトを混ぜて、フライパンで炒めたもの



正気ですよ?


本物のフライパンに上記のものを入れて、コンロの上に置いて、菜箸でぐるぐるかき混ぜたんです。


あの時の光景は鮮明に覚えてます。


「お母さん、喜んでくれるかなぁ

なんてワクワクしながら、

「お母さん、喜んでくれるわぁ」

って、ニコニコしながらおばあちゃんも言ってくれて。


で、出来上がったやつを、これまた汚ったないピンク色のバケツ(色まで覚えてる)に入れて、車でお父さんと産婦人科に持って行ったこと。


そのバケツを病院内に持って入ったかってところは記憶にないけど、看護師さんが


「お母さん、おいしいおいしいって言ってたよ!」


と言ってくれたこたや、



「おいしかったわぁ。ありがとう」


とお母さんが笑顔で言ってくれたことは鮮明に覚えています。


産婦人科の廊下の景色とかも。



これ、私が3歳9ヶ月の時の話。

これだけ鮮明に覚えている記憶でおそらく1番古いもの。


よっぽど嬉しかったのかな。


これ、関わった全ての人が私の気持ちを大切にしてくれて、誰も止めずに付き合ってくれたからやろうなぁ。


砂利に卵とヤクルトを入れることを許可してくれたり、ましてや本物のフライパンに入れて、コンロの上に置いて…(たぶん火はつけてない。ドロドロだったのは覚えてるから)
それをニコニコしながら付き合ってくれたおばあちゃん。


出来上がったものを持って行ったらあかんと言わずに、ちゃんと産婦人科まで連れていってくれたお父さん。


汚いものやのに、そのへんをうまいことしてくれた看護師さん(持ち込みの記憶だけなぜかないから笑)


おいしかったよ!と喜んでくれたお母さん。


あの時、心がすんごい満たされたのは今でも覚えてるくらい。


それくらいあの行動を止めずにやらせてくれたのは私の人生の中で大きい出来事やったって言っても過言じゃないくらい。


私の気持ちを大切にしてくれたんやなぁと思うと、本当に感謝です。


それとともに、これを許せるってすごい。


今の私やったら止めちゃってるなぁ。


でも、ここを受け入れてくれたっていううれしさはこんなに長い月日が経っても忘れないってことは、それだけ大切なんだなって。


私は今、子どもの気持ちに耳を傾けられているかな。


純粋な子どもの気持ちを大切にできてるかな。


目先のことだけにとらわれてないかな。


あの時、「汚い」「汚れる」ということよりも、私の「お母さんを喜ばせたい」という思いを大切にしてくれたことで、今の私があるんだなぁと思いました。


改めて感謝です。


私も目先のことより、子どもの気持ちを大切にしないとなぁ。