数日前に『ダークナイト・ライジング』を観てきました。
インドア派なので普段あまり映画館なんて行きませんが、例の銃撃事件の事もあって気になってたので。
なぜか普段嫌いなコーラとポップコーンまで買い込んじゃいました。
感想としては面白かったですよ。
尺の長い映画ですが、活劇が面白いので全然気になりません。
超機動するメカ描写もCGのレベルが高く、ワクワク感ありました。
アメフトのシーンとか、歩きざまに一回転して手首をヘシ折るセリーナとかも、個人的にナイスでした。
もちろん所々おかしな部分もあり、色んなブログや掲示板を見るとだいたい皆さん同じ部分で引っかかるようです。
爆弾の件、どうやって帰ったのかの件、看守がいない件、整体の件、などなどですね。
ただ上記の難点は一応「細かいこと」の範疇に収まる気もしますし、今回一番残念なのはむしろテーマに関わる部分じゃないかと思います。
すなわち前作の敵役「ジョーカー」と、今回の敵役「ベイン」の違いですね。
例の銃撃事件の犯人は「俺はジョーカーだ」と言っているそうですが。
僕が思うには、彼が「俺はべインだ」と言う事は無いでしょうね。
ジョーカーという人物について、注目すべき二つの評論があります。
宮台真司:『ダークナイト』でのジョーカーの輝きはヒース・レジャーの熱演が理由ではない
http://www.miyadai.com/rsd.php?itemid=673
斉藤環:「正義」とはトラウマのようなものだ
http://voiceplus-php.jp/web_serialization/kyokou/001/index.html
僕が正しく理解出来てるとも限りませんし、詳しくは直接読んでみられるのが良いと思いますが。
斉藤氏は「正義」と「悪」は同根でありどちらも究極的には根拠を欠く、と言います。
正義と悪の合わせ鏡こそが今のリアルなのだと。
また宮台氏は、そのような「正義」の相対性を嘲笑うジョーカーを、それによって幻想の「正義」に傷付く人々を救済する、ある意味で倫理的存在なのだと言います。
小林よしのり氏が見たら怒り出しそうな見方ですが(^o^;)
宮台氏は最後に「嘘をついてでも隠してでも、幻想の正義を守る」という考え方を示してます。
これはもちろん究極的な話であって、正義なら何でも良いという事では無いですけど。
で。今回のべインですが。
べインは倫理ではなく、暴力に根拠を置いたキャラクターだと思います。
倫理もへったくれも無い「圧倒的な暴力」。
だからべインは悩まないんです。悩む暇があったら身体を鍛えます。
バットマンはべインに対峙して無力感に打ちのめされますが、前作でジョーカーに感じたのとは別物。
無力感の性質が違います。
どちらかと言えば、世紀末世界におけるケンシロウの苦悩に近いかと。
ジョーカーと対峙するのはバットマン以外有り得ませんが、べインと対峙するのがバットマンでなく
ケンシロウ(笑)であったとしても、この話は成立すると僕は思いました。
問題は『ダークナイト』の続編としてそれで良かったのかな、という事です。
確かに「倫理」から「身も蓋もない暴力」へと、一歩進んだとも言えますが。
僕はちょっと、それはどうかと思ったので。
だって、かの銃撃事件の後も「銃は必要」という意見が多数なのがアメリカですよ。
原発が事故っても「原発は必要」と言う、どっかの国とよく似てます。
だからこそ僕なんかは、ジョーカーが提起した問題をもっと突き詰めて欲しかったと思うんです。
銃撃犯だって、その辺りで悩んで「俺はジョーカーだ」って言った筈ですよ。
なのに「時はまさに世紀末だから」と言ってしまえば、悩む意味無くなるじゃないですか。
いったい何の為に被害者は殺されたんですか。
ノーラン監督にはぜひ続編作って欲しいですね。前作と今作をアウフヘーベンするような続編を。
別にオリジナルのヴィラン出したって全然OKです。
そう思ったので、『ダークナイト・ライジング』は100点満点で99点。
ただしその1点が勝敗を分ける、という変な感想になりました。
個人的にはべインは好きなんですけどね。
僕は関西人なんで、ああいう人情話は好きです。
お父ちゃん、男やったで。


