ネットの海を見て回ってますと、時々面白い物に出会います。
なぜ科学は放射能パニックを説得できないのか ?
被害者・加害者になった同胞を救うために社会学的調査が必要
(加藤 晃生氏)
http://www.gepr.org/ja/contents/20120409-03/
穢れ思想とつくられた母親像から見えた放射能問題?
「現代化」問われる日本社会
(石川 公彌子氏)
http://www.gepr.org/ja/contents/20120326-01/
どちらも、池田信夫氏率いるGEPRに寄せられた論考。
人文系の学者さんを池田フィルターに通せば、
もしかしてこういう論考が出来上がるのかしら。
とりあえず、両者とも前提になってるのが
●現在の放射能汚染の状況は、政府・東電発表通りである
●被曝リスクは、政府・東電発表通りである
以上2点の前提において、僕らは
●無知による、放射能パニックに陥っている(加藤氏)
●無知により、放射能を「ケガレ」と捉えている(石川氏)
そういう由々しき状態にあるそうです。
はっはっは。
池田さんも本当ケガレが好きですね。
加藤氏がおっしゃる、
「放射能パニックを起こしている人がどれだけいるか、社会学的調査が必要」
これすみません、吹きました。
真面目な顔して面白いこと言わないで下さい。
石川氏の方も面白かったのですが、一つ看過出来ない所があります。
「子の被曝を恐れて産地を選んで割高な食品を購入し避難も厭わない
母親の姿は、それだけの時間的・経済的余裕がある『勝ち組』家庭であることを意味する。」
ここは、その通りかも知れませんね。
避難の可否や食品を選べるかどうかは、その人が持つリソース(資源)に左右されてしまいます。
避難したくても出来ない人や、危ない食品を選ばざるを得ない人。
苦しい立場の人への想像力は、僕ら必要です。
「『勝ち組』としてのみずからのあり方を侵害されたくないという心性が、
秩序を乱しかねない『穢れ』の忌避に向かっているともいえるかもしれない。」
でも結論がおかしい。
何の根拠も無くレッテル貼りに走ってます。
そもそも「勝ち組」と呼べる程の余裕が無い人でも、
避難したり食品に気を付けてる人はたくさんいますから。
ケガレではありません。リスクです。
限られた手段の中で、リスクを考えた結果です。
汚染や被曝リスクについての前提がおかしいから、
色々おかしくなるんです。
社会学や民俗学って、そういう所を一番疑うべき学問の筈ですが。
僕は両方とも、今すごく重要な学問だと思います。
三陸の民俗を貴重と思うからこそ、海を汚した事が許せないし、
混乱し迷っているからこそ、社会学からの視点が必要なんです。
たとえば宮台真司氏・中沢新一氏・大塚英志氏は、
見事な論考でこれに応えてくれてますので。
切実にお願いしたくなった次第でした。