「“薬”が効く」というのはどういうことかについて考えてみます。最後にアビガンにも触れます。

 

はじめに

 

時代は健康ブームで、世の中には医薬品や機能性表示食品、健康食品など、「体によい」とされている製品があふれています。テレビをつけると、CMの半数くらいはそういう「体によい」製品の宣伝ではないかと思われるほどです。では、それらの製品は本当に「体によい」のでしょうか。「雨乞い」を例に、それらの製品の「体に良い」とされる根拠について考えるのが本稿の目的です。

 

「雨乞い」とは

 

日本をはじめ農耕を主な生業としてきた地域では、天候は農耕における収量を左右するとても重要な要素です。日照りが続いたり、長雨が続いたり、冷夏になったりという天候不順が続くと、農作物は枯れてしまい収量が大きく下がります。農作物の収量が下がることで食糧不足に陥り、何度も飢饉に見舞われてきたことが記録に残されています。

 

このように、日照り、長雨、冷夏などの天候不順が続くことは生活に大きく影響するのです。その中で、日照り、すなわち晴れが続きすぎると、雨が降るようにと神仏にお願いする儀式が古来おこなわれてきました。その儀式が「雨乞い」です。

 

効果はあるの?~雨乞い3た論法

 

結論から書くと、「迷信」ですよね。天候は周期的に変動し、周期の長さにばらつきがあるとはいえ、往々にして晴れと雨が交互に訪れるものです。晴れが続いて「まずいなあ・・・」と思っているということは、そろそろ晴れが終わって雨が降る確率が高いのです。結果として、晴れが続いて「まずいなあ・・・」と思って雨乞いをしたタイミングと雨のタイミングが重なれば、雨乞いに効果があったような「気分」になるのです。つまり、実際には雨乞いと雨には「因果関係」はないのですが、たまたま「相関関係」があるように見えるので、「雨乞いをしたから雨が降った」と勘違いしてしまうのです。

 

「晴れが続い“た”」「雨乞いをし“た”」「雨が降っ“た”」と、「た」が3回続くことから、この「雨乞い」の論法を「3た論法」あるいは「雨乞い3た論法」といいます。

 

「効果がある」とはどういうこと?~雨乞い3た論法の克服

 

では、実際に「雨乞い」に効果があるのか効果がないのかは、どうすればわかるのでしょうか。結論を書くと、効果を確かめるには「比べるもの」が必要なのです。この「比べるもの」を科学の世界では「対照データ」あるいは「対照群」とよびます。すなわち、「雨乞い」の場合を例にとると、「比べるもの」は「雨乞いをしなかった場合」になります。晴れが続いて「まずいなあ・・・」と思った後に「雨乞いをした場合」と「雨乞いをしなかった場合」で雨の降る頻度を比べれば、雨乞いの効果を確かめることができるのです。

 

もっとも、賢明なみなさんなら、この場合、雨の降る頻度に「雨乞い」の有無で意味のある差はないだろうということは予想がつくと思います。

 

「雨乞い3た論法」は身近なもの

 

テレビの健康食品のCMには、「雨乞い3た論法」を用いて効果を謳うものが多々あります。健康食品のCMで「体調が悪かったけど、●●を飲んで元気いっぱい!」みたいなセリフをみなさんもよく聞くことと思います。ここで注意していただきたいことがあります。CMでは「●●を飲んで元気いっぱい!」と言っているのであって「●●を飲んだ『から』元気いっぱい!」と言っているわけではないのです。テレビのCMにかぎらず、科学的に根拠のない「医療行為」などの宣伝でも「●●療法を受けて元気になった!」という「雨乞い3た論法」がよく用いられています。しかしながら、ここまでで見てきたとおり、「●●を飲んで元気いっぱい!」「●●療法を受けて元気になった!」という「雨乞い3た論法」は因果関係を示すものではありません。もしかしたら、●●を飲まなくても、●●療法を受けなくても元気になったかもしれないのです。

 

そういうCMや宣伝では、画面や紙面をよく見ると、隅に「※個人の感想です」と書かれていることがほとんどです。そう!「雨乞い3た論法」で「効果がある」という気がするのは、あくまで「個人の感想」なのです。

 

医薬品や健康食品の効果を調べる

 

医薬品や健康食品の場合はどうしたら効果がわかるでしょうか。「調子が悪くなった」「●●を飲んだ」「元気になった」というのは「雨乞い3た論法」です。「雨乞い3た論法」は今まで見てきたとおり、因果関係を示すものではありません。このような「雨乞い3た論法」では効果があるのか、さらには害がないのかさえわからないのです。実は、むしろ●●を飲まなかったほうが早く元気になったかもしれません。

 

「雨乞い3た論法」を克服して効果の有無を知るためには。前述の「雨乞い」と同じように、「比べるもの」を設定すればいいのです。「比べるもの」は「調子が悪くなった」「●●を飲まなかった」「×××」です。「×××」がどうなるかはわかりません。●●を飲んだ場合と比べて、調子が悪いままかもしれないし、同程度に元気になるかもしれないし、もっと元気になるかもしれないし、わからないのです。

 

「×××」を知るためにどんなことを調べればいいかをもう少し考えてみましょう。ひとりの人について、複数回の調子の悪いときに「●●を飲んだ」「●●を飲まなかった」の結果を比べればいいでしょうか。いいえ、それでは十分ではありません。この結果を比べても、生活環境だったり、年齢だったり、ほかの条件が違っていて、それらの条件が結果に影響しているのかもしれません。こういう「ほかの条件」を科学の世界では「交絡因子」と呼びます。ひとりだけの結果では交絡因子はほぼ異なっています。特に年齢を合わせるのは不可能ですよね。


では、ふたりの調子の悪い人にお願いして、ひとりは●●を飲んでもらって、もうひとりは●●を飲まないで結果を比べればいいでしょうか。ふたりでは、生活環境は合わせられそうですが、他の交絡因子は合わせるのが難しそうですね。また、ふたりでは「たまたま」結果がそうなっただけかもしれません。
 

2人ずつの計4人では?・・・まだ「たまたま」その結果が出そうな感じがしますよね。・・・10人の計20人では?・・・ものすごく効果がある製品で、飲んだほうは全員の調子がよくなって、飲まなかったほうは全員の調子が悪いままだったら、10人ずつ比べただけで違いが見えそうです。一方で、例えば、10人ずつ比べて、飲んだほうは6人の調子がよくなって、飲まないほうは4人の調子がよくなったとしたら・・・?たまたまかもしれないし、差があるかもしれないし、よくわかりません。さらに人数を増やして、100人ずつ調べて、飲んだほうは60人の調子がよくなって、飲まなかったほうは40人の調子がよくなったとしたら・・・なんだか効果がありそうですよね。

 

つまり、大人数を募って、2群に分けて比べると、効果の有無がわかりそうです。実際に、医薬品の効果の有無を調べるときには「臨床試験」という研究の段階で、大人数を募って服用の有無でその後の経過の違いを調べる試験をおこないます。

 

一方で、そのような臨床試験をおこなわないで、「経験」や「体験談」だけで効果があるかのように謳っている製品の「効果」は「雨乞い3た論法」でしかなく、その効果は怪しいといわざるをえないのです。

 

ランダム化比較試験(Randomized Controlled Trial: RCT)

 

実際の臨床研究の進め方について見ていきましょう。新薬の臨床試験で、多くの人数を募って、無作為(ランダム)に新薬の服用群と非服用群の2群に分けて、新薬の効果の有無を検証する方法を「ランダム化比較試験」といいます。新薬の効果があると思われる同じような症状の患者を集めて、くじ引きで二つのグループに振り分けて、片方は新薬を服用してもらい、もう片方は「気のせい」を排除するために見た目が同じ錠剤(偽薬という)を服用してもらい、その経過を比べるのです。くじ引きで振り分けるので、新薬の服用の有無以外の要因すなわち交絡因子は大方均等になると考えられます。振り分けた2群で経過に意味のある違いが見られたら、新薬になんらかの効果があると判断するのです。服用したグループの経過が服用しないグループの経過よりよかったらその新薬に「効果がある」と判断します。一方で、もしかしたら、意味のある違いが見られず、その新薬は「効果がない」と判断されるかもしれませんし、服用したグループのほうの経過が悪くて、新薬には「害」があることがわかるかもしれません。

 

世の中にはいろんな疾病があって、多くの研究者や企業がその疾病を克服したいと願って多岐にわたる研究を遂行して新薬を開発しています。一般的には新薬は、理論上の効果、試験管内での効果、動物実験での効果を調べるという段階を踏んで、動物実験で安全性に問題がなくて効果が望めそうな場合に、はじめてヒトで効果を試すことになります。まずは健康な人に投与して害が出ないかを確かめた後に、実際にその疾病の患者を募ってランダム化比較試験で薬の効果を確かめるのです。実際の新薬の開発では、ランダム化比較試験をおこなったら意味のある差が見えなかったり、むしろ害が見えたりして、やっとランダム化比較試験にまでたどり着いたのに承認されない新薬が多々あります。新薬に効果があるとされて承認されるまでの道のりは「いばらの道」なのです。

 

アビガンについて

 

2020年に入って新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が世界的に蔓延し、パンデミックが宣言されました。新型コロナウイルス感染症は新しい感染症であり、この感染症の有効な治療法が待たれています。その中で有効な治療薬のひとつとして期待されているのが、新型インフルエンザの治療薬として開発された「アビガン」です。アビガンの成分は、RNAのもとになるリボヌクレオチド前駆体の誘導体で、RNA依存RNA重合酵素を阻害することで、RNAウイルスの増殖をおさえることが期待されています。

 

アビガンについては、現在、ランダム化比較試験が進行中なのですが、ランダム化比較試験による有効性を示す公式のデータは発表されていません(2020年5月30日現在)。観察研究で、「アビガンを投与した感染者が回復した」というデータは散見されるのですが、新型コロナウイルス感染症は重症になって回復の思わしくない感染者がいる一方で、多くの感染者は回復することから、その回復がアビガンのおかげなのかはわからないのです。すなわち、観察研究でのアビガンの「効果」は「雨乞い3た論法」の域を出ていないのです。

 

また、有効性を示す1報のコホート研究が存在しますが、コホート研究は二つの別個のグループを服用群、非服用群として経過を調べる研究で、交絡因子が制御されていないという限界があります。

 

何人かの有名人の感染者がアビガンを服用して治ったという報道がなされたことから、アビガンの早期承認を期待する声が高まっています。しかしながら、ここまで本論で見てきたとおり、「体験談」はあくまで「雨乞い3た論法」でしかなく、医薬品の有効性を示すものではないのです。

 

一方で、アビガンには、動物実験で胎児に奇形を惹起するリスクが指摘されています。また、アビガンに限らず医薬品には必ず副作用があります。現時点でアビガンに新型コロナウイルス感染症を改善する明確なデータが存在しない以上、副作用というデメリットを受け入れてアビガンを新型コロナウイルス感染症の治療薬として承認する理由は存在しないのです。

 

アビガンに、本当に新型コロナウイルス感染症に対する治療効果があって、アビガンを服用すると「より多くの」感染者が助かるなら、それは嬉しいかぎりです。しかしながら、現時点では服用すると「より多くの」感染者が助かるという証拠はないので、ランダム化比較試験の結果を待つというのが、現時点での正しい姿勢ではないでしょうか。

 

まとめ

 

いろいろなところで「雨乞い3た論法」が散見されること、「雨乞い3た論法」が因果関係を示すと誤解されやすいこと、実際には、「雨乞い3た論法」では因果関係は示せないこと、因果関係を示すには「比べるもの」が必要なこと、を見てきました。根本にある大事なことは「比べるもの」すなわち「対照データ」「対照群」を設定することです。対照データ、対照群はとても重要で、自然科学の研究では、何を対照データ、対照群に据えるかに研究者のセンスが問われるともいわれるくらいなのです。

 

みなさんが何かのデータを読むときは、「対照データ」「対照群」は何かを考えることで、データを読む楽しさが増すとともに、おかしな言説に惑わされることがなくなることと思います。

 

ポイントは「比べること」すなわち「対照」です。心に留めておいてください。

 

個々の機能性表示食品、健康食品の実際のデータについては、こちらが参考になります。

医薬基盤・健康・栄養研究所「健康食品」安全性・有効性情報

 

福島県立医大の緑川先生と大津留先生が、福島で進められている甲状腺検査についてNatureに寄稿文を寄せられました(doi: 10.1038/d41586-020-00695-0)。

 

本稿の目的は、わたしの私情を一切挟まずに、緑川先生と大津留先生の考えを「翻訳」という形でお伝えすることです。

 

※部分は理解につながるようにブログ投稿者が加筆しました

 

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Disaster-zone research: make participation voluntary
被災地域研究:(※研究への)参加を自主的(※参加)にしよう

In our view, a code of conduct for research done in disaster zones should include a guarantee that people in the area can choose whether or not to participate (see J. C. Gaillard and L. Peek Nature 575, 440–442; 2019). Fair and voluntary participation is a fundamental human right.
わたしたちの知見では、被災地域でなされる研究の行動規範には、(※研究へ)参加するかしないかはその地域の人々が選ぶことを保障することが含まれなければならない(参照: J. C. Gaillard and L. Peek Nature 575, 440–442; 2019)。公正で自主的な参加は根本的な人権である。

Residents in a disaster area fear for their lives in the acute phase, and face health risks in the recovery phase. They naturally seek help and support from their government and from professionals. Under such circumstances, residents might agree to take part in research without giving the matter enough thought. It is therefore important for researchers to make clear to them that studies could have harmful effects as well as benefits.
被災地域の住民は緊急時には彼ら(※彼女ら)の人生を悲観し、復興時には健康リスクに直面する。彼ら(※彼女ら)は、行政と専門家に援助と支援を求めるのが自然なことである。そういう状況下では、存在する問題を十分に考えることなく研究に参加してしまう。しかるに、研究者は彼ら(※彼女ら)に対して、それらの研究は利益と同様に害があることを明示しなければならない。

As an example, after the 2011 accident at the Fukushima Daiichi nuclear-power station, we undertook screening of local children for thyroid cancer, which can be induced by radioactive iodine (A. Ohtsuru et al. JAMA Otolaryngol. Head Neck Surg. 145, 4–11; 2019). Although participants and their parents gave written consent, they were unaware of the risks of overdiagnosis, which include having unnecessary surgery to remove small, slow-growing tumours (see go.nature.com/2vfd9z7). Also, screening conducted during school time could have given the impression that participation was mandatory.
例えば、2011年の福島第一原子力発電所の事故後に、わたしたちは地域の子供たちの甲状腺がんのスクリーニング検査を行った(A. Ohtsuru et al. JAMA Otolaryngol. Head Neck Surg. 145, 4–11; 2019)。ちなみに、甲状腺がんは放射性ヨウ素によって誘発される。(※検査実施側は)参加者と彼ら(※彼女ら)の両親から書面による同意書を得たが、彼ら(※彼女ら)は小さな、成長の遅い腫瘍を摘出するという不要な手術を含む過剰診断のリスクを知らなかった。また、スクリーニング検査は授業時間におこなわれて、参加が強制的であるかのような印象を与えた。

Such ambiguity underlines the importance of a code of conduct that makes participation in disaster-zone research voluntary.
このようなあいまいさが、被災地域の研究へは自主的に参加すべきという行動規範の重要性を包埋している。
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ぜひ、多くの方に読んでいただき、福島で行われている甲状腺検査について考えていただきたいものです。

 

 

 

 

 

福島県内の白血病で亡くなった方の推移を検証します。

 

結論から書くと、福島県で白血病で亡くなった方の推移には、原発事故後もおかしな傾向はないことがわかりました。本当に良かったです。

 

白血病年齢調整死亡率

 

国立がんセンター・がん情報サービスでは、がんに関する様々な統計データを収集して公開しています。このサイトを、都道府県別75歳未満年齢調整死亡率、都道府県別がん死亡データ、人口動態統計による都道府県別がん死亡データ 全がん死亡数・粗死亡率・年齢調整死亡率、と辿っていくと、「部位別75歳未満年齢調整死亡率」というエクセル・ファイルを取得できます。数日前に2018年の「部位別75歳未満年齢調整死亡率」データが公開されました(2020年2月13日現在)。そこで、取得したエクセル・ファイルから「全国」と「福島県」の「白血病」の2018年までの年齢調整死亡率を抽出してグラフにしてみました。

 

福島県のほうが全国より人口規模が小さいので、ばらつきは大きいものの、福島県において2011年の原発事故後に白血病年齢調整死亡率が増加しているような傾向は見えていません。

 

白血病は液性のがんで、放射線影響が早期に敏感に表れやすいとされています(原爆被爆者における白血病リスク)。そこで、白血病は放射線影響を評価する上での指標となりえます。したがって、福島県で白血病年齢調整死亡率におかしな傾向がないことは喜ばしいことであり、福島県で原発事故による直接の健康影響は見えていないのではないかと結論付けることができます。

※亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。

 

全国と福島県で白血病年齢調整死亡率に有意差はあるのか

 

「福島県のほうが全国より人口規模が小さいので、ばらつきは大きい」というのは厳密な表現ではありません。その「ばらつき」に意味があるのかないのかを客観的に検証する必要があります。そこで、「ばらつき」の意味を知るために、全国と福島県の間の白血病年齢調整死亡率における有意差の有無を検証してみます。

 

現在の福島県の人口は約185万です(2020年2月13日現在)。この人口をモデル人口として、「人口×死亡率/100,000」で、白血病死亡の実数を算出します。

 

算出した実数を分子、人口約185万を分母として、母比率の95%信頼区間を算出します。算出にはカシオの計算サイトを用いました。母比率の95%信頼区間をエラーバーで表したのが次のグラフです。

 

エラーバーが全年を通して全国の白血病死亡率を跨いでいることがわかります。このことから、全年にわたって全国と福島県の白血病年齢調整死亡率の間に有意差は存在しないことがわかります。

 

「さくらんぼを摘む」ということ

 

一方で、こういうグラフを見ると、その一部分だけに注目しておかしなことを言う方がいます。たとえば、2016年から2018年だけを切り出して「福島県では白血病死亡率が増えてる~!」とかです。

確かにこの期間だけを見たら福島県で白血病の死亡率が増えているように見えます。しかしながら、ここまで全体を俯瞰してきたみなさんなら、この「増加」は「ばらつき」の範囲であり、その解釈はおかしいと判断できますよね。

 

この解釈が成立するなら、2013年と2014年だけをピックアップして「福島県では白血病死亡率が減っている。ホルミシス効果だ~!」ということもできます。前者と同様にみなさんはこの主張に合理性がないことは理解できるはずです。

 

 

このカテゴリの話に限らず、このように一部分だけを切り取って、おかしな解釈をする方が散見されます。そういう行為を「さくらんぼを摘む」とか「チェリー・ピッキング」などといいます。すなわち、自分の主張に都合のいい一部分だけを切り取ってデータを解釈することです。このように「さくらんぼを摘む」行為は、自然科学においては本来、忌み嫌われる行為なのです。くれぐれも慎みましょう。

 

まとめ

 

ここまで見てきたとおり、福島県で白血病による死亡率におかしな傾向はないようです。このことは、初期被曝推計値(PDF)や事故後の個人線量測定(pdf 4頁)が低いことと合致します。本当に良かったです。