音のする方向からすると、おそらく右斜め上の部屋だろうか。
月に一度、聞こえてくる不思議なインド系ミュージック。
いや、ミュージックなんて洒落たものじゃないあの音は、合唱系とでも言うべきだろう。
ジャージャーヒロポン。ジャージャーヒロポン。ジャージャーヒロポン。ジャージャーヒロポン。
私の耳にはジャージャーヒロポンとしか聞こえてこない。
このジャージャーヒロポンかなりしつこく、しかも徐々にテンポを上げて
最初はジャージャーヒロポン、ジャージャーヒロポン、ジャージャーヒロポン
次第に拍子が上がり
ジャージャーヒロポン
ジャージャーヒロポン
ジャージャーヒロポン
ジャージャーヒロポン
ジャージャーヒロポン
ジャージャーヒロポン
何なんだぁー、ジャージャーヒロポンって!ジャージャーヒロポン様とかいう神がヒンズーの世界にはいるのか!?
そして最後は力尽きたように、
ジャーージャーーヒロ・・・・・・ポン。
ジャーーージャーーーヒロ・・・・・・・・ポン。
ジャーーーーージャーーーーーヒロ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ポン。
と夏の蝉のように不思議な合唱音は消えていくのでした。
しかし私の頭の中ではジャージャーヒロポン様がループしている・・・・・・
誰かー助けてーーーー。
初めに言っておくが、じぃーさんにときめいた
って話じゃないよ。
毎週金曜日は絵画部の日で、教室へ行ったら5ヶ月ぶりに部員の一人である推定63歳くらいの男性が見えていらして、今日はその男性と部員の会話。
前にも書いたように部員の95%は定年退職した方ばかりなので、私と友人のMさんは出欠係なんだけれど、出欠っていうより安否(生存)確認係。
「〇〇さんここ3ヶ月程お見えになっていませんが、誰かご存知の方いらっしゃいませんか?」
って部員に聞くと、
「あーーー〇〇さんね。今、頭の手術で日本へ帰ってるのよーーー。私も先々週、入院してたのよ~~」
と、推定67歳くらいの病気なんてなさそうな元気な女性が答える。
で、私が
「あら~、ではご無事であることをお祈りしましょう。それで入院って、骨折でもされましたか?」
といった具合で安否(生存)確認がとられる、まさに地域社会活動。
それで今日の日記のタイトル「トキメキ系じぃーさん」というのは黒くゴルフ焼けした、白髪ポニーテール、カラーハーフパンツにビーサンのばーや達のアイドル、チャラ男じゃなくチャラジィーのこと。
本当にチャライ訳ではなくて、昔は仕事でイタリアに駐在してたっていう、陽気で楽しい方。
そのチャラジィーと部員の会話とういうのが
ばーや1 「あら~、☆☆さん、久しぶりじゃなーーい。もぅ日本からいつ帰ってくるのかしらって、ずーっと待ってたのよーん
」
チャラジィー 「いや~嬉しいこと言ってくれるじゃないですか
」
ばーや2 「☆☆さんは絵画部の他には何をされていらっしゃるの?」
チャラジィー 「ゴルフとマージャンと、あとはワインテイスティングかなぁ
」
ばーや3 「☆☆さんは不純な動機でマレーシアに来ましたからね
」
チャラジィー 「そんなぁー不純な性行為みたいなこと言わないでくださいよー。 まー、僕の人生のテーマはトキメキなので
」
一同爆笑
ばーや1 「えっ??突撃ですか?突撃の人生なんですか??」
チャラジィー 「ちがいますよ~、トキメキですよ~。突撃って僕、そこまで元気ないですよ~
」
心穏やかに絵を描くつもりが・・・・・最近のじぃーさま、ばーさまって・・・凄いよなぁ。
現役にも、そのパワーがあれば出生率も上がるだろうに。
毎週金曜日は絵画部の日で、教室へ行ったら5ヶ月ぶりに部員の一人である推定63歳くらいの男性が見えていらして、今日はその男性と部員の会話。
前にも書いたように部員の95%は定年退職した方ばかりなので、私と友人のMさんは出欠係なんだけれど、出欠っていうより安否(生存)確認係。
「〇〇さんここ3ヶ月程お見えになっていませんが、誰かご存知の方いらっしゃいませんか?」
って部員に聞くと、
「あーーー〇〇さんね。今、頭の手術で日本へ帰ってるのよーーー。私も先々週、入院してたのよ~~」
と、推定67歳くらいの病気なんてなさそうな元気な女性が答える。
で、私が
「あら~、ではご無事であることをお祈りしましょう。それで入院って、骨折でもされましたか?」
といった具合で安否(生存)確認がとられる、まさに地域社会活動。
それで今日の日記のタイトル「トキメキ系じぃーさん」というのは黒くゴルフ焼けした、白髪ポニーテール、カラーハーフパンツにビーサンのばーや達のアイドル、チャラ男じゃなくチャラジィーのこと。
本当にチャライ訳ではなくて、昔は仕事でイタリアに駐在してたっていう、陽気で楽しい方。
そのチャラジィーと部員の会話とういうのが
ばーや1 「あら~、☆☆さん、久しぶりじゃなーーい。もぅ日本からいつ帰ってくるのかしらって、ずーっと待ってたのよーん
チャラジィー 「いや~嬉しいこと言ってくれるじゃないですか
ばーや2 「☆☆さんは絵画部の他には何をされていらっしゃるの?」
チャラジィー 「ゴルフとマージャンと、あとはワインテイスティングかなぁ
ばーや3 「☆☆さんは不純な動機でマレーシアに来ましたからね
チャラジィー 「そんなぁー不純な性行為みたいなこと言わないでくださいよー。 まー、僕の人生のテーマはトキメキなので
一同爆笑
ばーや1 「えっ??突撃ですか?突撃の人生なんですか??」
チャラジィー 「ちがいますよ~、トキメキですよ~。突撃って僕、そこまで元気ないですよ~
心穏やかに絵を描くつもりが・・・・・最近のじぃーさま、ばーさまって・・・凄いよなぁ。
現役にも、そのパワーがあれば出生率も上がるだろうに。
前回からまだ続いていますが、これで最後です。
工学を勉強していた彼がなぜ政治へとシフトしたかというと、大地震が起きて建物の構造が原因で犠牲者を多く出したトルコ、パキスタン、中国、など現場へ 行って分かったことは、建物よりもその地域に住む人々の地震に対する知識や社会の仕組みに問題があると気付いたからだと言う。結局、どんなに地震の専門家 がアドバイスをしようとも、大きな地震がやってくるのは100年に1度だからと言って低予算で組み立てられる建物をまた作ってしまう。
それでHarvardで政治学を勉強して、またその途中(もうこれ以上書きたくないので書かないが)あることがきっかけで、イスラム社会とその他の社会の衝突について考えていこうと思い、今に至るという。
私がこんな話をまともに2日半聞いていられたのも、彼が無心で話すからだろう。
これが所謂、自慢話だったら1日としてもたない。
「今日のところはお引取りください」と言って家から出て行ってもらっただろう。
「今度生まれ変わったら哲学者になろうかな~。で、僕考えすぎて自殺しちゃったりするんだ、ケケケケ」
スイス人なので、あの近辺の言語は話せる上、中国語とアラビア語も理由はなく学んだという。
私が彼に“岩塩キャンディー”をあげたら岩塩の文字を見て、何かぼそぼそ言っている。
「これ(塩)saltって意味だよね、中国語ではこうやって発音するんだよ。(シャーだかシューだか言っている) これは(岩)?上がmountainで下がstoneだよね?」
と質問してくるので
「そうだよ、だから山にある大きな石をrock、岩と書くんだよ」
と教えてあげえると
「へぇーー面白いね~」
(いやーあなたの方が面白いよ、オジさん・・・)
なんて会話をしてたかと思うと、ちょっと恥ずかしそうに
「Eri. よくわかんなくなっちゃうんだけれどさ、結婚している女性ってどっちだっけ?ミス? ミセス? スペルなんだっけ?」
彼にとって、それは覚える必要のないことなんだろう。
「どっちにでも使えるMs.これだけ覚えておきな」と教えておいた。
それともう一つ、私が教えた、というより彼の言葉をそのまま引用してあげたことがあった。
それは、痩せた彼にまともな食事をと思い連れて行った日本の洋食屋さん。
品数豊富で味もいい。
私はメニューを見てささっと、“牡蠣フライ付き和風ハンバーグ”と決めたのだが、オジさんいつまでたっても決まらない。
「うわー久しぶりだな~こんな食事。どれにしよう、どれにしよう♪♪何がお勧め?」
と聞いてくるので
「ここのオムライス美味しいよ」
と言うと
「オムライスにもこんなに種類があるよ!ソースも選ばなきゃいけないんだ!えーーーデザートも8つの中から選ぶの!!決められないよ~」
大興奮の小学生、じゃなかった48歳。
「パトリック、頭で考えちゃいけないよ。ハート、ハートで感じるんだよ。いや、これこそ腹で決めるんだね」
これから3年間、彼はイスラム研究を続け何らかの形でその隔たりにヒョコっと顔を出すのかもしれないし、全く別の研究を始めているのかもしれない。
もし彼の言う
「僕の将来ね~、King of Homelessかもよ、ヒヒヒヒッ」だったら、彼の人生を描いた映画の台本を作って、アメリカで一緒にパトリックと遊んだ、当時の私のルームメイトに翻訳してもらい、それをアメリカの映画制作会社に売り込んで一儲けしてやるぞ!!!
私利私欲、いい言葉だね、ぐふふふ。
最後にパトリックが家にやって来た初日の朝、出勤前の主人が彼に「何故あなたはそこまでできるのか?」と聞いた。
返ってきた答えは
「Everyone has a piece of gold. It is a matter of whether you can find it or not.」
工学を勉強していた彼がなぜ政治へとシフトしたかというと、大地震が起きて建物の構造が原因で犠牲者を多く出したトルコ、パキスタン、中国、など現場へ 行って分かったことは、建物よりもその地域に住む人々の地震に対する知識や社会の仕組みに問題があると気付いたからだと言う。結局、どんなに地震の専門家 がアドバイスをしようとも、大きな地震がやってくるのは100年に1度だからと言って低予算で組み立てられる建物をまた作ってしまう。
それでHarvardで政治学を勉強して、またその途中(もうこれ以上書きたくないので書かないが)あることがきっかけで、イスラム社会とその他の社会の衝突について考えていこうと思い、今に至るという。
私がこんな話をまともに2日半聞いていられたのも、彼が無心で話すからだろう。
これが所謂、自慢話だったら1日としてもたない。
「今日のところはお引取りください」と言って家から出て行ってもらっただろう。
「今度生まれ変わったら哲学者になろうかな~。で、僕考えすぎて自殺しちゃったりするんだ、ケケケケ」
スイス人なので、あの近辺の言語は話せる上、中国語とアラビア語も理由はなく学んだという。
私が彼に“岩塩キャンディー”をあげたら岩塩の文字を見て、何かぼそぼそ言っている。
「これ(塩)saltって意味だよね、中国語ではこうやって発音するんだよ。(シャーだかシューだか言っている) これは(岩)?上がmountainで下がstoneだよね?」
と質問してくるので
「そうだよ、だから山にある大きな石をrock、岩と書くんだよ」
と教えてあげえると
「へぇーー面白いね~」
(いやーあなたの方が面白いよ、オジさん・・・)
なんて会話をしてたかと思うと、ちょっと恥ずかしそうに
「Eri. よくわかんなくなっちゃうんだけれどさ、結婚している女性ってどっちだっけ?ミス? ミセス? スペルなんだっけ?」
彼にとって、それは覚える必要のないことなんだろう。
「どっちにでも使えるMs.これだけ覚えておきな」と教えておいた。
それともう一つ、私が教えた、というより彼の言葉をそのまま引用してあげたことがあった。
それは、痩せた彼にまともな食事をと思い連れて行った日本の洋食屋さん。
品数豊富で味もいい。
私はメニューを見てささっと、“牡蠣フライ付き和風ハンバーグ”と決めたのだが、オジさんいつまでたっても決まらない。
「うわー久しぶりだな~こんな食事。どれにしよう、どれにしよう♪♪何がお勧め?」
と聞いてくるので
「ここのオムライス美味しいよ」
と言うと
「オムライスにもこんなに種類があるよ!ソースも選ばなきゃいけないんだ!えーーーデザートも8つの中から選ぶの!!決められないよ~」
大興奮の小学生、じゃなかった48歳。
「パトリック、頭で考えちゃいけないよ。ハート、ハートで感じるんだよ。いや、これこそ腹で決めるんだね」
これから3年間、彼はイスラム研究を続け何らかの形でその隔たりにヒョコっと顔を出すのかもしれないし、全く別の研究を始めているのかもしれない。
もし彼の言う
「僕の将来ね~、King of Homelessかもよ、ヒヒヒヒッ」だったら、彼の人生を描いた映画の台本を作って、アメリカで一緒にパトリックと遊んだ、当時の私のルームメイトに翻訳してもらい、それをアメリカの映画制作会社に売り込んで一儲けしてやるぞ!!!
私利私欲、いい言葉だね、ぐふふふ。
最後にパトリックが家にやって来た初日の朝、出勤前の主人が彼に「何故あなたはそこまでできるのか?」と聞いた。
返ってきた答えは
「Everyone has a piece of gold. It is a matter of whether you can find it or not.」
前回からの続きです。
驚く話の前に、パトリックは自然大好きオジさん。あらゆる山を登り、どこへでも自転車をこぐ、ヨーロッパでよく見かけるタイプの人。このオジさ ん、元はスイス人。というよりも、今もスイス人だし、アメリカ人でもある二重国籍保持者。アメリカに行った理由は、ドイツ人の友人がグリーンカードの抽選 に彼の分も応募してくれて、それが当たったから。ただそれだけ。
相当体力のある人なんだろうと思うかもしれないが、実は彼の心臓も肺も一度死にかけている。
13歳の時に、化学品(漂白剤よりももっと強烈なもの)をバイクの修理中誤って飲み込んでしまい半年間は病院で管につながれて生きていたという。 その半年で180くらいある身長が30キロ台までやせ細り、ちょっと体を動かせば、ゼーゼーハーハー苦しんだとか。だから、彼にとって「私あまり体力なく てー、運動できないんですぅ」というのは信じられないことだと言う。
さて、ここからが驚く話なのだが、前回の日記を読むだけなら「へぇー、凄く頭のいい人なんだね~」で終われる。私は今まで、彼は昔スイスかどこかの大学を出て働いて、それでグリーンカードが当たったからアメリカへ渡り、もう一度勉強し直したんだと思っていた。
ところが今回話をよく聞いてみると、彼は小学校もろくに卒業していなかったのだ。
「うちは8人兄弟で、僕は真ん中なんだけどさ、父親がちょっとおかしな人で僕が10歳の時に『学校で勉強なんてしなくていい!!』って言って、それからはモトクロスをやってたんだよね。ま、それでバイクいじって死にかけたんだけどさ」
なるほど、それじゃー独学で相当勉強してきたんだろうな、と私は思ったわけだが、次の彼のセリフで私がゼーゼーハーハー呼吸困難。
「だからSanta Monica Collegeに入る前まで、分数の足し算とか、Xの求め方なんてさっぱり分からなかったんだよ」
少なくても3回は聞きなおしたね。「分数って言った?分数ってどういう分数?」
私もなんだか質問がおかしくなっている。
「だから、1/2+1/3ができなかったんだよ。あとは2X+1=3のXの求め方とか」
小学校を出てなければ、そんなものだということは理解できるが、それでも貧困地域に暮らしていたわけでもなく、アメリカで大学へ行こうと思ったくらいなら100歩譲ってXの求め方が分からなくても、分数の足し算くらいはできるだろう。
それから色々質問してみたら何だか私の頭がおかしくなってきた。
どう説明してよいか分からないが、一般の人が何年も何十年も勉強して理解するものを、数ヶ月で組み合わせてしまう。だから、分数の足し算ができな かった人が2年後にはBerkeleyなんていう有名大学の工学部に入学して首席で卒業できちゃう。そしてMITなんていう理系では世界のトップクラスの 大学で奨学金を受け取って研究してしまう。
「クラスにいる皆は凄く頭いいから、僕も死ぬ気で勉強したよ」
(私だったらとっくに死んでるわ)
私も一応だが高校3年までやる気あったり、なかったりで数学勉強していたから彼の話す微分・積分の話には笑っちゃう。
微分・積分まで到達するのに、どれだけの年月かかったことか。そして、悲しいくらい何一つ覚えていない。両親には心からお詫びするしかないが、私 の覚えていることなんて言ったら、代ゼミの山本俊郎先生という数学の先生がとても分かり易く親切な方で、大手予備校なのに教材とは別に「鉄則・微分積分」 という一般参考書を薦めてくれて、個人塾のように毎週解いた問題を丁寧に見てくれた。ホント親身になって教えてくれる先生だったのに覚えていることと言っ たら、先生の当時4歳になる娘さんが「月にかわっておしおきよ♪」のセーラームーンが大好きだったってことぐらい・・・・本当に、これだけ・・・・・
笑っちゃう微分・積分の話というのは、彼がBerkeleyで積分のテストを受けている時に、他の生徒が2ページ使って答えを導きだしているけれど彼の頭の中では3-4行で説明できるとしか思えなかったそうだ。
私は日本の大学を受験したわけでもなく、ふつーーーレベルの高校に通い、真面目に勉強したのは高校3年の2学期からという私の数学レベルでもだよ、積分の問題を解くのには1ページ以上使ったりしたのを覚えてる。(ただ単に字が大きかったのかもしれないけどね)
微分・積分って何だったのかよく分からないが、とにかく出てくるのは数字だけじゃなく文字や記号が多くて、回答までの過程が長くなればなるほど解いた達成感があったんだよね。
話を元に戻すが、彼は3-4行書いてテストを終わらせたところ、答えは正解だが教授からは正解だと認められなかった。で、間違いならともかく、何 故この方法が正解と認められないのかという疑問を教授に問いかけたところ、その事が大きくなり学長までも引きずり込む問題へと発展したらしい。結果、再テ ストということになり、従来の解き方でもパトリック式でも、どちらも正解になったというんだから・・・・。
彼曰く、すべての問題が相互に関係し組み合わさって具体的に視覚化されるという。
「頭で考えるんじゃなくて、ハートだよ。ハートで感じるんだよ。いや、僕の場合はお腹で感じているんだけどね、へへへ」
見えちゃうんだろうね(お化けじゃないよ)本質が。
だからMITで工学とはまったく別の、何のクラスだかはっきりとは分からなかったけれど、政治とか経済とかが入り混じったようなクラスでも本質が 見えるからA評価をもらえたんだろう。事例を検証・検討するクラスで、彼は他の生徒が何いっているかチンプンカンプンだったそうだ。
「クラスにいた生徒は人の名前とか、歴史とか事柄をよく知っていて、でもテストになると苦手みたいなんだよね。僕も教授からもうちょっと専門用語覚えるように言われたんだけどさ、ハハハ」
彼が中国の大学で講師を務めていた時の経験から愚痴っていたのだが
「生徒の大多数が知識は豊富なんだけれど問題の本質が何かってことを見極められないんだよ。それに行動を起こして実証するのをおっくうがる。机上の空論ばっか。そのお陰で生徒からは大分嫌われたよ・・」
グサグサグサ、フラフラフラ~、空論の世界で生きてまーす。
③へ続く
祈る人々
ヒンズー教寺院でココナッツを食べるパトリック
驚く話の前に、パトリックは自然大好きオジさん。あらゆる山を登り、どこへでも自転車をこぐ、ヨーロッパでよく見かけるタイプの人。このオジさ ん、元はスイス人。というよりも、今もスイス人だし、アメリカ人でもある二重国籍保持者。アメリカに行った理由は、ドイツ人の友人がグリーンカードの抽選 に彼の分も応募してくれて、それが当たったから。ただそれだけ。
相当体力のある人なんだろうと思うかもしれないが、実は彼の心臓も肺も一度死にかけている。
13歳の時に、化学品(漂白剤よりももっと強烈なもの)をバイクの修理中誤って飲み込んでしまい半年間は病院で管につながれて生きていたという。 その半年で180くらいある身長が30キロ台までやせ細り、ちょっと体を動かせば、ゼーゼーハーハー苦しんだとか。だから、彼にとって「私あまり体力なく てー、運動できないんですぅ」というのは信じられないことだと言う。
さて、ここからが驚く話なのだが、前回の日記を読むだけなら「へぇー、凄く頭のいい人なんだね~」で終われる。私は今まで、彼は昔スイスかどこかの大学を出て働いて、それでグリーンカードが当たったからアメリカへ渡り、もう一度勉強し直したんだと思っていた。
ところが今回話をよく聞いてみると、彼は小学校もろくに卒業していなかったのだ。
「うちは8人兄弟で、僕は真ん中なんだけどさ、父親がちょっとおかしな人で僕が10歳の時に『学校で勉強なんてしなくていい!!』って言って、それからはモトクロスをやってたんだよね。ま、それでバイクいじって死にかけたんだけどさ」
なるほど、それじゃー独学で相当勉強してきたんだろうな、と私は思ったわけだが、次の彼のセリフで私がゼーゼーハーハー呼吸困難。
「だからSanta Monica Collegeに入る前まで、分数の足し算とか、Xの求め方なんてさっぱり分からなかったんだよ」
少なくても3回は聞きなおしたね。「分数って言った?分数ってどういう分数?」
私もなんだか質問がおかしくなっている。
「だから、1/2+1/3ができなかったんだよ。あとは2X+1=3のXの求め方とか」
小学校を出てなければ、そんなものだということは理解できるが、それでも貧困地域に暮らしていたわけでもなく、アメリカで大学へ行こうと思ったくらいなら100歩譲ってXの求め方が分からなくても、分数の足し算くらいはできるだろう。
それから色々質問してみたら何だか私の頭がおかしくなってきた。
どう説明してよいか分からないが、一般の人が何年も何十年も勉強して理解するものを、数ヶ月で組み合わせてしまう。だから、分数の足し算ができな かった人が2年後にはBerkeleyなんていう有名大学の工学部に入学して首席で卒業できちゃう。そしてMITなんていう理系では世界のトップクラスの 大学で奨学金を受け取って研究してしまう。
「クラスにいる皆は凄く頭いいから、僕も死ぬ気で勉強したよ」
(私だったらとっくに死んでるわ)
私も一応だが高校3年までやる気あったり、なかったりで数学勉強していたから彼の話す微分・積分の話には笑っちゃう。
微分・積分まで到達するのに、どれだけの年月かかったことか。そして、悲しいくらい何一つ覚えていない。両親には心からお詫びするしかないが、私 の覚えていることなんて言ったら、代ゼミの山本俊郎先生という数学の先生がとても分かり易く親切な方で、大手予備校なのに教材とは別に「鉄則・微分積分」 という一般参考書を薦めてくれて、個人塾のように毎週解いた問題を丁寧に見てくれた。ホント親身になって教えてくれる先生だったのに覚えていることと言っ たら、先生の当時4歳になる娘さんが「月にかわっておしおきよ♪」のセーラームーンが大好きだったってことぐらい・・・・本当に、これだけ・・・・・
笑っちゃう微分・積分の話というのは、彼がBerkeleyで積分のテストを受けている時に、他の生徒が2ページ使って答えを導きだしているけれど彼の頭の中では3-4行で説明できるとしか思えなかったそうだ。
私は日本の大学を受験したわけでもなく、ふつーーーレベルの高校に通い、真面目に勉強したのは高校3年の2学期からという私の数学レベルでもだよ、積分の問題を解くのには1ページ以上使ったりしたのを覚えてる。(ただ単に字が大きかったのかもしれないけどね)
微分・積分って何だったのかよく分からないが、とにかく出てくるのは数字だけじゃなく文字や記号が多くて、回答までの過程が長くなればなるほど解いた達成感があったんだよね。
話を元に戻すが、彼は3-4行書いてテストを終わらせたところ、答えは正解だが教授からは正解だと認められなかった。で、間違いならともかく、何 故この方法が正解と認められないのかという疑問を教授に問いかけたところ、その事が大きくなり学長までも引きずり込む問題へと発展したらしい。結果、再テ ストということになり、従来の解き方でもパトリック式でも、どちらも正解になったというんだから・・・・。
彼曰く、すべての問題が相互に関係し組み合わさって具体的に視覚化されるという。
「頭で考えるんじゃなくて、ハートだよ。ハートで感じるんだよ。いや、僕の場合はお腹で感じているんだけどね、へへへ」
見えちゃうんだろうね(お化けじゃないよ)本質が。
だからMITで工学とはまったく別の、何のクラスだかはっきりとは分からなかったけれど、政治とか経済とかが入り混じったようなクラスでも本質が 見えるからA評価をもらえたんだろう。事例を検証・検討するクラスで、彼は他の生徒が何いっているかチンプンカンプンだったそうだ。
「クラスにいた生徒は人の名前とか、歴史とか事柄をよく知っていて、でもテストになると苦手みたいなんだよね。僕も教授からもうちょっと専門用語覚えるように言われたんだけどさ、ハハハ」
彼が中国の大学で講師を務めていた時の経験から愚痴っていたのだが
「生徒の大多数が知識は豊富なんだけれど問題の本質が何かってことを見極められないんだよ。それに行動を起こして実証するのをおっくうがる。机上の空論ばっか。そのお陰で生徒からは大分嫌われたよ・・」
グサグサグサ、フラフラフラ~、空論の世界で生きてまーす。
③へ続く
祈る人々
ヒンズー教寺院でココナッツを食べるパトリック
Santa Monica Collegeで出会った友人と10年ぶりに再会しました。
この10年間お互い連絡を取り合っていたわけでもなく、たまたま私がホットメールのアドレス帳を整理していたところ彼、パトリックの名前が出てき たので「このメールアドレスまだ使っていたら連絡ください」と味気ないメールを出したところ「久しぶり!元気?今中国のウイグル地区にいて、来月マレーシ アへいくかもしれない」と連絡があったのです。そのお陰で、返事がなかったらアドレスを削除しようと思ってた彼と久しぶりの再会を果たせた、というわけな のです。
イスラム教について調べている彼は、タイとマレーシアの国境近くにあるパッタニというイスラム過激派が住む地区でセミナーに出席した後、ローカルバスに乗ってクアラルンプールまでやってきました。
到着時刻が早朝5時(実は3時半に着いてしまったらしく公園で寝てたとか・・)だったので、家の近くにあるマクドナルドまでタクシーに乗って来てもらい感動の再会となったのですが、最初に出た言葉は「久しぶり!!痩せたね・・・・・大丈夫・・・・ちゃんと食べてる?」
7ヶ月間の旅の途中、ネパールとパキスタンで下痢したらしく5キロ以上は痩せてしまったとか・・
そしてまだ外は真っ暗な5時過ぎ、窓の外から聞こえてくるコーランを耳にしながら彼のこの10年間をざっと話してくれたのだが、まともに書くとあまりにも長くなるので手短に記すとこんな感じになります。
パトリック(おそらく)37歳でSanta Monica Collegeに入学。その後Berkeleyで工学を学び、卒業後1年くらい旅に出て地震について調べる。奨学金でMITの大学院で工学の研究を続け、 Fullbrightという国費留学で、チリの大学へ行き雪崩を研究。そしていつものようにフラっと旅に出た後、奨学金でHarvardの Goverment Schoolに入学。2008年5月、中国で四川大地震が起きたため卒業式には出ず中国へ飛ぶ。Harvardに在籍中、Mckinseyからの仕事依頼 と北朝鮮での大学講師の依頼にちょっと悩む。数千万円のお給料かタダ働き同様の大学講師。もちろん北朝鮮を選ぶ。だが、キム様倒れその話もふっとぶ。中国 で数ヶ月間、大学で講師を務めた後、「イスラム国家とその他の国家との隔たり」を調べるため旅に出る。イスラム研究の博士号をとるためシドニーの大学へ行 こうと決める。でも、気持ち変わってケンブリッジにしよう♪と思った時には奨学金の申し込み期間過ぎてしまい、お金に困るパトリック、その時48歳。
パトリック 「マレーシアの後、インドネシアへ行って、その後クェートに寄って知人に出資してくれないか聞いてみようと思うんだけどさ~」
私 「でも断食はじまっちゃうよ。禁欲しないといけないからね、どうなんだろう。」
パトリック 「そうなんだよね~。お金の話、今しづらいんだよね~」
このオジさんの凄いところ、学歴なんかじゃなく実はもっと驚く話があるんです。
②へ続く。
この10年間お互い連絡を取り合っていたわけでもなく、たまたま私がホットメールのアドレス帳を整理していたところ彼、パトリックの名前が出てき たので「このメールアドレスまだ使っていたら連絡ください」と味気ないメールを出したところ「久しぶり!元気?今中国のウイグル地区にいて、来月マレーシ アへいくかもしれない」と連絡があったのです。そのお陰で、返事がなかったらアドレスを削除しようと思ってた彼と久しぶりの再会を果たせた、というわけな のです。
イスラム教について調べている彼は、タイとマレーシアの国境近くにあるパッタニというイスラム過激派が住む地区でセミナーに出席した後、ローカルバスに乗ってクアラルンプールまでやってきました。
到着時刻が早朝5時(実は3時半に着いてしまったらしく公園で寝てたとか・・)だったので、家の近くにあるマクドナルドまでタクシーに乗って来てもらい感動の再会となったのですが、最初に出た言葉は「久しぶり!!痩せたね・・・・・大丈夫・・・・ちゃんと食べてる?」
7ヶ月間の旅の途中、ネパールとパキスタンで下痢したらしく5キロ以上は痩せてしまったとか・・
そしてまだ外は真っ暗な5時過ぎ、窓の外から聞こえてくるコーランを耳にしながら彼のこの10年間をざっと話してくれたのだが、まともに書くとあまりにも長くなるので手短に記すとこんな感じになります。
パトリック(おそらく)37歳でSanta Monica Collegeに入学。その後Berkeleyで工学を学び、卒業後1年くらい旅に出て地震について調べる。奨学金でMITの大学院で工学の研究を続け、 Fullbrightという国費留学で、チリの大学へ行き雪崩を研究。そしていつものようにフラっと旅に出た後、奨学金でHarvardの Goverment Schoolに入学。2008年5月、中国で四川大地震が起きたため卒業式には出ず中国へ飛ぶ。Harvardに在籍中、Mckinseyからの仕事依頼 と北朝鮮での大学講師の依頼にちょっと悩む。数千万円のお給料かタダ働き同様の大学講師。もちろん北朝鮮を選ぶ。だが、キム様倒れその話もふっとぶ。中国 で数ヶ月間、大学で講師を務めた後、「イスラム国家とその他の国家との隔たり」を調べるため旅に出る。イスラム研究の博士号をとるためシドニーの大学へ行 こうと決める。でも、気持ち変わってケンブリッジにしよう♪と思った時には奨学金の申し込み期間過ぎてしまい、お金に困るパトリック、その時48歳。
パトリック 「マレーシアの後、インドネシアへ行って、その後クェートに寄って知人に出資してくれないか聞いてみようと思うんだけどさ~」
私 「でも断食はじまっちゃうよ。禁欲しないといけないからね、どうなんだろう。」
パトリック 「そうなんだよね~。お金の話、今しづらいんだよね~」
このオジさんの凄いところ、学歴なんかじゃなく実はもっと驚く話があるんです。
②へ続く。






