私事で恐縮ですが、母が他界しました。
難病で長年寝たきりで、実家で父が老々介護を続けていましたが、
徐々に体が弱り、昨夜自宅で息を引き取りました。
楽しい一日を過ごして、お酒も飲んで、化粧も落とし、もう寝巻に着替えていた
夜9時半に実家から電話があって、訃報に接しました。
片道2時間かかる…時計を見て、ダイヤを確認して、
まだ間に合う!と大急ぎで着替えて、取るものも取り合えず、
駆け付けた時は日にちをまたいでいました。
苦しまず、安らかに最期を迎えたそうです。
もう15年前から「いつ亡くなってもおかしくない」と言われ、
今度こそ危ない…と思われたこともここ数年増え、
長すぎるほどの覚悟をしてですので、
「とうとう」という気持ちで家族は平静に受け止めています。
全身の筋肉が動かなくなる病気で、
手も足も動かせず、寝返りを打つこともできず、
話せず、意思表示、コミュニケーションはできず、
排泄もコントロールできず、食事が撮れないので胃ろうして、
目は見えますが瞼がなかなか開けられないので見れず、
痰が吐き出せないので吸引が必要で、
胃ろうの宿命でしばしば肺炎を併発して高熱を繰り返し、
呼吸の機能も落ちているので酸素吸入器をつけて、
15年間生き続けました。
ですので、亡くなったことは、悲しくはありません。
強いて言えば呆然としているのかな?
もう、こうなることは100%分かっていたはずなのに。
私にとって、生まれて初めて経験する、親しい肉親の死。
この気持ちを何と名付けてよいのか、わかりません。
亡くなった直後は、逆にものすごい「居る」感があります。
母は「千の風に」なったのだな、と思いました。
長い長い肉体の苦しみと精神の苦しみから解放されて、
今、母の魂はキラキラ輝いて飛翔しているんじゃないかな。
人は魂に帰ると「偏在」するような気がします。
すぐそばにいて、ずっといて、つながっている気がします。
前世療法と出会って変わったことの一つは、
「人は肉体を超える存在である」ということを「知った」ことです。
理屈では、魂の不死や永遠性を唱える説や教義は
古今東西多々あって頭では理解はできていたわけですが、
それを「実感として」分かるようになったことは、
計り知れない深い癒しになっているような気がします。
炸裂お笑いトークはしばらくの間少しおとなしくなるかもしれませんが、
個人セッション、滝行合宿、セミナー等は予定通りです。
「魂を感じている」私に、会いに来てくださいね。
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