My thoughts on spirituality | Seiriosな日々。

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昔から見えない世界に関心があった。

小学校時代に読んでで印象に残っている本に、歴史に残る超能力者に関する学研まんがの本があった。科学では証明できない世界が見える人、能力を持っている人に物凄い魅力を感じた。エドガー・ケイシー、ユリー・ゲラーのほか、日本人の超能力者なども紹介されていたと記憶している。

いまも、見えない世界に対する関心は変わらない。誰に言われるでもなく自然と関心が向いてしまうもの、寝食を忘れて読みふけってしまうもの、その行動をとっているとエネルギーが湧いてくるもの、私にとってそれがスピリチュアルな世界なのである。

一時期離れていた時期もあったが、この5年間くらいはかなりスピに割く時間の比率が上がっている。

書籍を始め、講座や施術、ヒーリンググッズなど、様々な情報源や商品に触れてきたが、つくづく玉石混淆の世界だなと思う。私もいろいろな失敗をした。でも、そのおかげで自分の感覚が研ぎ澄まされてきたという確信はある。

善・悪はない。

答えはほかでもない、自分のなかにしかない。自分にとっての真実であると感じるかどうかの違いだ。

真否を見極める方法は、自分のなかに湧く感情が暖かいか、軽いか、安心するか、ワクワクするか、否か、である。

自分の感覚・感情が唯一無二の羅針盤だ。違和感が湧いたときに、違和感を違和感として認める自分の基盤があるか。自分をどれだけ信じているかにかかっている。

バシャールも言っているのは、「恐怖がワクワクに書き換えられていないかを見極めることが大事」ということ。これは人によっては時間と訓練が必要なことだと思う。私がそうだ。

「わあ!行ってみたい!」「買おう!」と思った心の動きの根底に、「そこに行かないと置いていかれてしまうかもしれない」「今手に入れないともう二度と手に入らないかもしれない」という動機がなかったか。

見極めるのが容易でないことは少なくないと思う。容易でないどころか、辛いこともある。スピの世界を探検していて痛感するのは、とことん自分との向き合いであることを気づかされるということだ。

自分の中に見たくない部分がある、見て見ぬふりをしている部分がある、それが大きければ大きいほど、感覚が麻痺している可能性が高いし、「違和感」があることにも気がつかないと思う。精神的な強さが問われる。

個人的に、純粋な情熱なのか、恐れからくる衝動なのかを見極める秘訣は、

・「失敗を恐れないこと」
・「失敗したときに、失敗だと気がついたことが収穫だったと思うこと」
・「失敗した自分を責めないこと」

この3つだと思う。失敗を恐れないで進んでいくと、心の羅針盤の精度が上がる。感覚が研ぎ澄まされていく。自戒の念を込めて書く(笑)。

感覚が研ぎ澄まされていくと、心のモヤモヤに敏感になる。それはそれで厄介だったりする。いままでは何も違和感なくこなせていたことが、心に引っ掛かるようになる。いままで楽しく会話をして盛り上がれた人と話が合わなくなってくる。いままで興味を持っていた番組に対する関心が薄くなる。

心があったかくなる、軽くなる、ワクワクする、ウキウキする、そういう感覚をコンパスにして進んでいく過程でこういう事象が現実に起きるようになったら、「好転反応」だ。自分を誉めるべき、喜ばしい変化だ。

断食を数日間続けると、体臭がきつくなったり、おりものが増えたり、とんでもない量の宿便がでたりするらしいが、それと似ているかもしれない。

まだまだアヤシイ世界という見方が世間では強いスピだが、致し方がないと思う。

どっぷりハマった時期もあった。高額をはたいたこともあった。「教祖」的存在をフォローした時期もあった。

散々ハマりまくってようやく気がついた。私がスピの世界が好きなのは、自分の純度が増す過程が楽しいからだ。と、最近気がついた。大天使がどうとか、バシャールが何て言っているかとか、フラワー・エッセンスが、クリスタルがなんだとか、ヒーリングは何がいいかとか、すべては「気づき」をもたらすきっかけにすぎない。

すべては汝自身を知れ、という格言に行き着くんだと思う。

真実はひとつではない。正解はひとつではない。あなたにとっての正解・不正解があるだけ。そして、それは時の経過によって変化するものかもしれない。なぜなら、あなた自身が変化するから。そして、あなたがあなた自身を知らなければ、あなた自身にとっての正解・不正解をつかむことはできない。

自分自身を徹底的に知る、ということは自分のいいところも悪いところも、誇りに思うことも、目をそらしたくなるようなことも、すべて知ることだ。

それを楽しい、素晴らしいと思えるようになったらしめたものだと思う。人生のすべてが教材になる。生活のあらゆる場面が、人間関係が、失敗が、情報が、心の浮き沈みが、学びになる。ニュートラルに捉えられるようになる。そして、いいも悪いも、酸いも甘いも、ありがたいと思えるようになる。

自分の行きたい世界、見たい世界、会いたい人、なりたい自分になるには、自分の人生のドライバー席に、自分が座り、自分がハンドルを握り、自分の心をナビにすればいいのだ、ということが理屈じゃなくて感覚で理解できて腑に落ちるようになる。

すると、人に依存しなくなる。「教祖」がいらなくなる(依存を助長するスピ(すべてが意図的ではない)はホンモノではないと思う)。人の意見や評価に一喜一憂しなくなる(ニュートラルに捉えられるようになる)。心が平和になる。

スピリチュアルマスターたちが人々に伝えたかった真髄はここなんじゃないかと思いながら、今日もスピの旅を続ける。