その場の環境づくり、雰囲気づくりって
とっても大切なものだと思うのだけれど。



その場を取り仕切る人が、その場のトップに立つ人が、
そこにいる人たちにとって居心地のよい場所となるように尽くすのは
あたりまえ、とまでは言わなくても

そうあるべき立場の人間が
引っかきまわすのはどうなのでしょう。


厳しくすれば育つわけじゃない。
叱れば叱るほど育つわけでもない。
育てたいなら、できるようになってもらいたいなら、
そのやる気を引き出せるように促すのが指導者なのではないでしょうか。

指導者のひとことでやる気を失くさせられるのなら、
指導者のひとことで俄然やる気にさせることだって可能だ。


ただただ、文句を言いたいわけじゃない。

私自身がかつてそうしてきたから言えること。

高校時代に私がやってきたやり方、それが本当に正しかったなんて微塵も思っていないけれど、
誰かひとりに嫌な思いをさせるやり方が正しいはずがない。


ひがんで、いじめて、くだらないながらも上位に立とうと必死になって
場の雰囲気を悪くする。

みんなが広い心を持って、お互いを受け入れて、笑顔で、同じことをするのと

どちらがしあわせ?

どうしてそれがわからないの?


ひさしぶりに夢中になって読んだ本。
まだ身体が熱いまま書いていますのでまとまりがありませんが御容赦ください。


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私にはバレエ経験はないけれど、
吉田都さんと同じ考えだなんて畏れ多くてとてもとても言えないけれど、
共感できるものが多かった。



 欲しいのは肩書でも階級でもなく、踊り続ける自由。

初めてトウシューズをバレエ教室の先生から手渡されたあの日。それからずっと私にとって大切なのは、どういう形であれ、〝踊り続けていくこと〟でした。

——『バレリーナ 踊り続ける理由』吉田都


そうそうそう! って。


12歳という年齢からヴァイオリンを始めて、つまり言ってしまえば世間から認められるほどうまくなれるわけがない。私は飛びぬけた才能などない凡人なのだから。

それなのに、(私にとっては)莫大なお金と時間だけは際限なくヴァイオリンに消えてゆく。他人様の目から見れば、ろくに上達してもいないヴァイオリンに。


なんで続けるの?もうここら辺でやめといたら?これ以上お金と時間を浪費する前に……
と、散々言われた時期もあった。


やめるわけがない。
ここまできて、そんなにきていないけど、
でもここまできて、やめられるわけがない。

一生無理だと思っていたいくつもの曲に、食らいつくことができたのだから。

ロマン派のコンチェルトにクライスラーの小品、
いやバッハのコンチェルトだって、ヴァイオリンを始めた当初は触れられると思っていなかった。


だれにも認めてもらえなくてもいい。
好きだから、弾いていたい。
弾ける自由だけは失いたくない。
ただただヴァイオリンが好きだから。

夢見ている曲がまだたくさんあるから。


そうして、今までのようにいつかたどり着けるんじゃないかって、淡い期待があるから。




川端康成『眠れる美女』を、初めて読んだ。


美しさと熱さと、ほんのり毒。



川端のひらがなを多用した一見柔らかな文体は、人間の生々しい体温をたっぷり含んでいる。

そして話の展開にしたがって、徐々に冷たい毒を全体に滲ませる。



私は嫌いな小説ではない。寧ろ好きなほうである。


美しい映像が、次々と脳裏をよぎる。



さすが名作、かゆいところに手が届くべく、映画化もされている。



観たい気もするが、恐ろしい。


話が怖いのではない。

理想の裏切りを恐れているのでもない。



鑑賞後、必ず胸を押さえて倒れ込むのが目に見えているからだ。


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放ったボールが落ちるべきところに落ちる、
それがモーツァルトの魅力。

決して裏切るようなことはしない。
ひたすら華やかに、時に寄り添って、どんなときも無条件の肯定をくれる。


ただただ底抜けに明るいだけではない。

聴くものが一番望むように、
ちょうどいい距離をひとまわり愛撫して主音に落ち着いてくれる。

どこかで聴いたことのあるようなないような、
懐かしいようで新鮮な旋律。

日常の現実の人生の外へと優しく誘い出す。


250年続くこの罠に、どれほどの人間がはまりつづけてきたのだろう。







突如、心の中から湧き上がる。
ふとした時に、耳に入りこんでくる。

一度は自分のものになった記憶のある、音の連なりが。


ヴァイオリンで弾いたことのある曲
音楽の授業で歌った曲
レッスンで御指導いただいた曲
発表会で披露した曲
憧れの人に振っていただいて オケのみんなと演奏した曲


どれもこれも、取り掛かる前よりずっと特別な存在になった。

その曲に向き合っている時間は、世界中にあふれるほかのどんな音楽よりも、その作品を愛した。
そして、その曲と共に過ごす時間さえも、心の底から愛していた。


今の私が、この曲を、この先生に御指導いただいて、
この仲間たちと、この指揮者さんと、この場所で、
作り上げていけるのは この一瞬だけだから。
かけがえのないひとときだから。


どんなにこの音楽を愛していても、
ずっとこの先生についていきたくても、
いつまでも大好きな仲間と演奏していたくても、
世の中そんなに甘くない。


そう心して、ずっと音楽と、ヴァイオリンと、向き合ってきた。


街中で流れる音楽
TVや映画に使われる音楽
突然自分のなかにあふれだす音楽

それは、いつか最も愛していたもの。

それらを再び思い起こすとき、
もう私は、かつての場所にはいない。

戻りたいと思う
戻りたいと思える

でも、今の私のもとには新しく愛しい音楽がある。
しかしそれすらも、いつまで続くかわからない。


素敵なひとときの音楽人生を歩んでこられた証。

周りの方々に、恵まれたから。
出会える音楽に、恵まれたから。

とてつもなく儚くも美しい、たくさんのしあわせに感謝します。





わたしが世界で一番しあわせだ、ぜったい。

そう思ったこと、数知れず。


一生大切にしたい友人がいて
尊敬できる人がいて
あこがれの人がいて
愛せる人がいて


それだけで、おなかいっぱいなのに。
とってもとっても満ち足りて、夜道が暗いのをいいことににんまり笑顔がこぼれてしまうほどなのに。



一歩寒い外に出れば、そんなあたたかいしあわせも空気のように消えてしまう。


私のしあわせなんて、本当にささやかなものだった。
私の思う世界なんて、本当に本当に狭かった。



少し世の中に出ただけで、
すこし理不尽なことがあっただけで、
崩れ落ちてしまうしあわせ。




そんなので、世界一しあわせなんてよく言えたね。





いいえ、でも、私にはなによりそれが大切だから。


一生大切にしたい友人がいること
尊敬できる人がいること
あこがれの人がいること
愛せる人がいること


そんな方々に出会えたこと、それだけで私は一番しあわせなのです。


だって、私の 


一生大切にしたい友人
尊敬できる人
あこがれの人
愛せる人


この人たち、みんなと出会った人なんて
世界で私だけなんですから。

心の底より、感謝します。