ご無沙汰してました。
りんごです。
 
 
つい先日。
私の命の恩人であり、大好きな友達ぐりちゃん
うちに遊びに来てくれた。
 
私の離婚話やら
おしゃれに対しての疑問やら
しゃべり倒して4時間弱、あっという間だったな~。
めっちゃ楽しかった。
来てくれてありがと~!また遊ぼうね。
 
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
 
このところずっと
言葉にならないけど確実に感じている思いがあって。
 
 
それをぐりちゃんと会うことで
またまたしっかりと体感したから
 
 
いよぉぉぉ~し!満を持して書くよ!
あたしゃ、書くよ!!
書いて書いて書きまくるよ!!
 
 
と思っていたんだけれども
 
いざ言葉にしようと思うと全然まとまんなくて・・・
 
うぅぅむ。
 
 
言葉って難しいなぁ。
というか。
 
 
まだ言葉で表現するほどには
体感が足りないのかも知れないなぁ。
 
 
トピックとしては
 
・肥大化した自己を等身大に戻す
・やってないことは結局やりたくないこと
・ダメな私をなんとかしない
・事実をそのまま捉える
・低すぎず高すぎない自己評価
・「感じる」と「考える」の違い
・役割や囲いから外れてみる
・「前に進む」とは
・黙って必要な金を稼ぎたまえ
・自然と人間
・いったいどこまでを「許す」のか
・性的な話への関わり
・「あの人みたいにならなくていい」が腑に落ちた話
・日々是好日
 
 
・・・う~ん、まずはこの辺りかな。
 
 
あ~、言葉にしたい。
 
 
日常の出来事とともに、
ぼちぼちブログ書いていきます。
私は離婚してるから、
離婚を考えてたり、離婚したばかりの友達から
いろいろ聞かれることがある。


なんで離婚したの?
どうやって離婚したの?
離婚するときどんな手続き必要?
離婚してからどんな風に過ごしてきたの?
離婚して心配なことってなに?
子どもはどんな感じ?


最近もまた複数の友達から聞かれることがあって


あらためて
どうやって今日まで暮らしてきたのか
思い出してみた。



何してきたかなぁ。
どうやって生きてきたかなぁ。


なんも格好いいとこなんかなかったなぁ。


子ども産んだばっかなのに突然
『離婚したい』って言われた
そのじゅくじゅくの傷を

じゅくじゅくなまんまずっと抱えて

どうしたら傷が乾くか
どうしたら早く治るか

いろいろ試したけど
どれも対処療法なだけで


全然解決なんかしなくて


最悪な日と
悲しい日と
辛い日と
寂しい日と
時々あるいい日と
何も考えられないくらい忙しい日を

ただただ重ねて


今日を迎えた。


そしてそんな今日の私が
幸せそうに見えたから
友達は相談してきたんだろうな。



でも
幸せそうに見えたって
まだぜーんぜんダメな日もある。


思考なんて日替わり。
昨日までの前向きさが今日はポッキリ折れるとか
1時間前の決意があっさりひっくり返るとか。


何度も同じとこまわって
何度も同じこと心配して
傷ついたり不安になったり。
そしてまだそんなこと考えちゃう
自分にうんざりしたり。


でも
離婚直後よりも
いろんなことに慣れて
少しずつ安定してきてる。


じゅくじゅくだった傷も
痛みを感じるパターンがわかってきている。


自分だけじゃ身動きとれなくなったとき
助けてくれる存在の確かさを感じている。



結局
自分の傷を自分の思うようになんてできないけど


でも毎日を生きていれば
生きていさえすれば


なんとかなる。


それだけは伝えられるかな。

なんてことを思った。



その思いを強固にしてくれた私の大切な1冊。
やっぱり私は本に助けられることが多い。
数年前からずっとずっと気になっていた、
「石田徹也」の作品展を見てきた。

 
名前は知らなくてもこの画風、見たことある人いるんじゃないかな~
↓↓↓

 
作品はどちらかというと暗いトーンのものが多いんだけど、
重さはあまり、ない、ように感じた(私目線)
 
苦悩、疑問、理不尽
怖れ、不安、憐憫
母体回帰、外界への恐怖、自己愛、救済
 
・・・書かれている絵の内容からそんなテーマを感じたけれど
 
 
なんだろう。
重くない。
 
 
重くないけれど、私の中の重い部分と反応する感じ。
 
 
でもその反応すらも絵画とのコミュニケーションの一環って感じで
 
この人の絵を見てしまったら自分はどうなってしまうのだろう・・・
と思って、怖くてずっと見に行けなかったけど
 
なんというか、
闇的なものを見てしまったときの
あの変な黒い影響力に飲み込まれていないことが
すごく不思議な気分。
 
 
 
でも
それはたぶん
 
この人はどんな気持ちでこれを描いたのだろう
という視点ではなく
 
私はこの人の絵を見るとどんな気持ちになるのだろう
という視点で見たからなのだと思う。
 
 
いい意味で絵に深入りしない感じ。
 
 
深刻なテーマの絵だが、あくまでも「作品」として見ること。
 
深刻なテーマも、ただ「あるもの」として見る。
 
たぶん作者は絵を描いただけで
そのテーマたちについてどうにかしようとしていない。
 
もちろん作者自身にそのテーマについての思いがあるから
作品ができあがっているのだけれども
 
そんなテーマを抱えている自分について
過剰に憐れんでいない。
 
 
 
でも一方で
そんなテーマを描くことで
絵を見た人がそれをどうにかしようとするのは止めない。
 
そのテーマについて
他人や社会を糾弾するのか
何も変えられないと諦めるのか
自分も、と同調するのか
愚かだな、侮蔑するのか
 
見た人それぞれの反応を決して否定しない。
 
 
石田徹也の作品は、ただ「あるもの」としてそこに存在することで
絵を見た人とコミュニケーションをとっている
 
 
そんな感じだった。
 
 
 
 
うーん。
言葉にすればするほど
何かから遠ざかる気がする(笑)
 
 
でも
きっとまた見に行くと思う。
 
それくらいこの人の作品が好きだなぁって
そう思った。
 
 
救済がテーマの作品(2000年)
作者、井川遥が好きだったんだって。
そういえば向かって右の子、井川遥に似てる気がする・・・(笑)